『歴史学研究』No272号

1963年1月

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書評・上山春平著「歴史分析の方法」


表紙

古屋哲夫


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  「哲学の強化と再生をめざして発足した私の日本哲学史研究プランの実行は、……哲学を社会科学と生態学とに解体させる方向にすすんだ」「私自身としては、哲学を放棄して歴史をやっているというつもりはない。自分のやっていることは一種の『歴史哲学』的研究に他ならないと思っている」

  これは、この本のあとがきとまえがきの中の一節である、それはおそらく、この本が、科学全休のなかでの歴史分析の位置を明らかにし、歴史分析の方法についての新たな問題をさぐりあてることができた、という著者の自負をあらわす言葉でもあろう。なるほどこの本の内容は多岐にわたり、そこに展開される著者の理論構想は壮大でもあり、目新しくもある。そしてこのなかを貫いているのは、マルクス主義がもっている限界を明らかにし、その限界を克服するための新たな、より有効な方法を確立しようという意図である。従ってわれわれは、著者の提起する理論構想がどのような有効性をもっているのか、という点に焦点を合わせてこの本を読まねばなる まい。

  この本は、すでに発表された9つの論文を再録したものであり、ここでとりあげられている問題は大まかに言って次の3つである。

@

フランス革命と明治維新の比較を基礎とする、講座派の維新論批判

A

フランスと日本のブルジョア自由主義思想についての個別的分析

B

すべての科学をその対象と方法とによって体系づ け、そのなかでの歴史学の位置づけと、その上に立った歴史学の方法についての提言


  Bが基礎理論、@、Aがその応用にあたることになりそうである。そこでまづ、基礎理論のエッセンスを示している「歴史と人間科学」という論文から著者の構想のなかにふみ入ってゆこうと思う。

  この論文は、諸科学の次のような分類から始まる。まず科学の対象を内部世界と外部世界に、更に後者を人類中心的、地球中心的、宇宙中心的と分け、そのそれぞれを心理過程、社会過程、自然過程、基礎過程と名づける、そしてこの四つの過程を対象とする科学を、精神科学、社会科学、地球科学、基礎科学と呼ぶ、これが分類の基本である。次に著者はこの分類を二つの方向に進める。その第一は、この分類をさらに細分化する方向であり、それぞれの過程はさらに一次過程、二次過程、ゼロ次過程に区分される。例えば精神過程と社会過程をとりあげてみると、精神過程の場合には、一次過程=衝動的非合理的な「無意識」の過程、二次過程=知的合理的な 「意識」の過程、ゼロ次過程=それらの基底となる身体過程。社会過程の場合には、一次過程=土台、二次過程=上部構造、ゼロ次過程=自然過程ということになる。 そしてこのゼロ次過程の導入ということが、著者の方法論の第一の立脚点とされる。著者はこの点について「自然過程の分析において、とくに社会科学と密接な関係をもつのは生態学であろう」とし、つづけて「マルクスによって提出された社会科学基礎理論のプランは、ゼロ次過程の考察を基本的には捨象している。私はその点を不満に思う」(218〜219頁)と書いている。  

  さて、このような諸科学の分類を細分化することによ ってゼロ次過程を導入した著者は、第二にこれらの諸過程の関係を強調しつつ、より包括的な方法の確立を提唱する。つまり、著者は心理過程と社会過程の中心をコミュニケイションに求め「精神科学が個人内コミュニケイションを対象とするのにたいして、社会科学は個人間コミュニケイションを対象とする」(228頁)とし、両者の関係について次のように述べる。「個人内コミュニケイションの主要な媒体である言語は個人間コミュニケイションによってのみ習得されうるし、心理過程における意味や価値の形成においても、社会過程の関与は不可欠である。その反面、個人間コミュニケイションは心理過程なしには成立しえないし、前者の理解は後者の理解を前提とする」(227頁)従って両者は統一的にとらえられねばならないとされ、精神科学と社会科学を統一するものとしての、人間科学の確立の必要が叫ばれることになるのである。そしてそこでもまた「心理過程の分析を軽視」 し、「もっぱら社会過程の分析に関心を集中して、人間科学=社会科学とみる偏向をしめしている」(227頁)として、マルクス主義への不満が表明されている。

  では人間科学とは何か、この問に対して著者は次のように答える。「人間科学の全領域に共通するような統一的方法論はいまだ見いだされてはいない」(234頁)「マ ルクスの社会分析の方法とフロイドの心理分析の方法とを弁証法的方法の見地から統一的にとらえなおすことが、私の考察の主軸となっている」(241頁)つまり著者は社会過程と心理過程の全体を対象とし、それを一つの方法でとらえる科学を人間科学と考える訳であるが、その場合、この両者を広義のコミュニケイションを中心とした一つの過程として把えようとする点に、著者の主張の眼目があるように思われる。著者はまず「コミュニケイション」ということばの意味について「狭い意味にとれば、思想もしくは情報の伝達をさすが、広い意味にとれば、物質およびエネルギーの伝達および交換をもさす」(223頁)とし、ついで「こうした広義のコミュニケイション理論は、心理過程と社会過程の両方をおおうわけであるが、それらのすべてをおおいつくすわけではない。なぜなら、心理過程においてはその基底をなす身体過程の物質代謝(生理過程)、社会過程においてはその一次過程における物質代謝(生産過程)を視野の外におくからである」(234頁)と述べている。著者の定義からいえば、この物質代謝も広義のコミュニケイションに含まれそうに思えるが、ここでは著者のいう人間科学が、 この広義のコミュニケイションを中心的な対象とする科学、と考えられているという点を指摘するに止めよう。  

  さてこのような形で設定された人間科学という目標に対して著者はどのような仕方で接近してゆくのか、まず次の一節をみよう。「社会過程の分析方法においては、マルクス経済学が一次過程の分析方法としてすぐれている。ただし、いわゆる近代経済学の方法もおそらくは重要な武器を提供しうるに相異ない。二つの方法の統一的把握が、今後の課題となるだろう。二次過程の分析方法 としては、社会学・政治学・社会心理学・知識社会学・法社会学等によって、いろいろな試みがなされて来た。 しかしそれらを統一的にとらえる方法か必要であろう」 (234頁)これにさきのマルクスの社会分析の方法とフロイドの心理分析の方法の統―的把握という指摘を加えてみると、人間科学への道は既成の学問の方法を次々と統一してゆくことにあるようである。  

  では「統一」とはどのようなことを指し、「方法」という言葉にどのような内容が盛られているのか。著者はその問に答える代りに、統一の身近かな場として歴史研究を提示しているようにみえる。「歴史の方法を社会科学の方法と同一視する考えは訂正されなければならない。歴史研究は、社会科学の方法と精神科学の方法を二つながら必要とし、結局において、人間科学の方法を全体として必要とする」(234頁)つまり著者は、歴史研究は他の学問にくらべて人間科学に近い、あるいは歴史研究により人間科学に近づき得ると考えているようである。もっとも「歴史的研究を科学的方法にしたがって推進しようとするかぎり、まず、人間科学の統一的方法を確立することか、迂遠なようで、もっとも近道」(234〜 5頁)であるとされてはいるが、しかし著者の関心が歴史研究に集中されたことは、このような人間科学への近道という意識なしには考えられないであろう。


2


  さて、諸科学の対象の検討からゼロ次週程の問題を提起した著者は、ついでそれらを綜合する壮大な人間科学の構想を打出し、歴史研究にそのための特殊な役割りをあたえたわけであるが、歴史の問題にはいる前に、こう した問題展開の仕方についての疑問を述べておかなくて はならない。卒直にいえばこの壮大さは実は平板な広大さなのではないのか、と考えざるを得ないのであるが、それは著者の力説する方法的統一ということがどのような意味をもつのかという点にかかわっている。著者の目的は「弁証法的方法にもとづく人間科学の基礎理論を構築する」(241頁)におかれるのであるが、この場合、 「方法」とは、直観的方法と、分析的方法、それを統一するものとしての弁証法的方法という論理の次元での問題を指している。そして方法的統一という場合、問題はすべてこの次元に還元されてくるのであり、次のような仕方でこの次元での共通性か指摘されることになるのである。「デカルトとロックの対立に端を発する合理論と経験論の対立は、方法における対立ではなく、同一の方法の適用のしかたにおける対立に他ならなかった」(240 頁)「マルクスはこの方法(弁証法的方法)を社会分析の方法として発展させ、フロイドはこれを心理分析の方法として発展させた」(241頁)。とすれば、統一的方法とは一体何なのか、こうした方法の共通性の確認を全過程にまでおし進めることなのか、それとも新たな方法を生み出すことなのか、ともあれ、このようなやり方による論理形式の次元への還元は、それぞれの個別科学の有する問題の抱え方を捨象することに他ならないのであり、そのようにして得られた方法なるものが、著者のいう人間科学の確立にとって、どのような有効性をもつのか理解に苦しむところである。  

  それぞれの個別科学は、それぞれの対象と共に、それぞれ何を明かにするのかという目的意識と結びついた独自の問題の把え方を基盤として成立する。それは立場といってもよいし、基本的問題意識と呼んでもよいであろうが、個別科学の対象はこの問題意識によって限定されてくるのであり、この両者を結ぶものが一般に方法と呼ばれるものである。著者の場合には、この問題意識、対象、方法の関係か切りはなされ、ここに壮大さが平板におちいる原因があるように思われる。例えば、著者はマルクス主義歴史理論の弱点をついている批判として「上部構造の理論が弱いこと、歴史を個人の見地から微視的 にとらえる方法を欠いていること、自然環境にかんする考察か捨象されていること」などをあげ、つづけて「これらの弱点は、必ずしも社会科学的方法を充実させることのみによっては克服されないのではあるまいか」(213 頁)と書いているが、ここでは次のような点が見落されている。第一に、マルクス主義は社会の歴史的発展の基本的な力を明かにして、未来の変革に役立てようという 問題意識の上に成り立っているのであり、従ってそこでは分析の中心が生産力と生産関係の矛盾という基本的な、力に向けられ、その他の基本的でないと考えられた諸問題が捨象されるのは当然である。それ故、マルクス主義は、基本的でないとして捨象した諸問題を分析する個別科学の成立を拒むものではない。従って、マルクス主義 に対する批判は、この問題意識に対してどのような立場をとるのかということか基本とならなくてはならない。 例えば、マルクス主義が心理や意識の分析に弱いという 批判にしても、独占段階における大衆化現象によって、 生産力と生産関係の矛盾が階級意識の形成をうながし、変革の主体を形成するという関係がゆがめられた形でしかあらわれなくなっており、この点を明確にしなくては、未来の変革に役立だないとする問題意識からの批判 であり、著者のようにマルクス主義がすべての問題に触 れていないとする批判ではない。結局、著者のやり方でゆけば、その人間科学とは、個別科学から問題意識を抜きとった、単なる知識の集積におわるのではあるまいか。

  第二に著者がマルクス主義の弱点は社会科学的方法の充実だけでは克服できないとする指摘にも同じような欠陥が見出せるであろう。つまりそれは社会科学が非社会科学的な関心をもちえないという至極あたり前なことの指摘にとどまるのではないか、若しそうではなく、社会科学が、著者の分類表における社会過程だけに対象を限定しているということならば、それは誤りであろう。社会科学を特長づけるものは、社会過程を明かにしようという問題意識であり、そのために必要とあらぱ、必要に応じて心理過程にも自然過程にふみ込んでゆくことは、最近の政治学の発展の仕方をみても明らかであろう。その場合の方法の変化は社会科学的方法の充実に他ならな いと私は考える。  

  以上述べてきたように、著者の理論構想の弱点は、問題意識の次元を捨象している点にあり、従ってその提唱する人間科学にしても、どのような必要から何をとりあげ、何を明らかにしようとするのかという点かはなはだあいまいであるが、しかし私はその提言を頭から否定しようというのではない。私は著者の提言は、新しい問題意識の発掘による新しい科学の形成、─生態学もその一つであるが、─による科学の細分化に対して、それら相互の関連を把え、広義のコミュニケイションを解明する必要を指摘したものと理解したい。つまり広義のコ ミュニケイションを明らかにすることが諸科学の前進にも必要であるが、そのためにはこれまでの個別科学と同様な新しい科学をつくることではなく、個別科学の相互の関連を明らかにし、その相互の交流と協力を可能にする道筋をつくることが必要だと考えられる。そしてそれ は、著者のいう哲学の再生と強化の一つの道といえるのではあるまいか。  

  なお、歴史学の性格についていえば、社会発展の法則を明らかにし、その発展を具体的な歴史像に組みあげ、 末来への展望に寄与することを目的としているので、政治なり経済なり特定の側面からアプローチする他の社会科学と異なり綜合的であるが、だからといって社会科学と性格が異なるとはいえないように思う。しかし、歴史学の性格か必ずしも明確であるとはいえず、討論を重ねることか必要であり、この著書は、討論のための素材と して貴重なものであるといえよう。


3


  ところで、これまでみてきたような著者の理論的展開 は、その具体的な歴史分析をどのように基礎づけているのか必ずしも明らかではないが、この著書では二つの方向を指摘することができる。第一はさきの社会のゼロ次過程=自然過程からのアプローチであり、第二は、心理過程から社会組織の原理を導き出し、それを歴史分析に応用するという方向である。そしてこの二つの交わったところから、歴史の発展段階についての著者独自の主張が生み出される。

   まず第一の問題は、植物生態学を歴史分析に導入し、温度と湿度を中心とする植物帯と文明の発展方向との関連を説く点てある。即ち著者は文明の発展を高温乾燥なオアシス地域から中温森林地帯へという観点から把え、次のような論旨を展開してくる。まづ乾燥地帯大河流域に古代文明が成立するのは、土地肥が沃で面漑さえ行なえば他になんらの手を加えなくても植物の生産力が一挙に上昇するという条件かあったからであり、従って住民の不断の努力は治水事業に集中され、「こうした共同作業の必要にもとづいて、その指導者が生れ、それに権力が集中されて、専制的な国家権力が発生する」(192頁)とする。しかし10世紀前後を境として「人類文明の中心は、 オアシス地域からフォレスト地域へ、ただし中温森林地域へと徐々に移行しはじめる。そうした移行を媒介する役目をはたしたのは、『西洋』においてはローマ帝国であり、『東洋』においては漢・唐帝国である」「オアシス型文明にたいするフォレスト型文明優位が確立するのは、15世紀前後の時点であろう。このころヨーロッパでは身分制国家が成立し、日本では幕藩体制か確立し、また中国に、はじめて中支南京に首都をおく明の中央集権的文人官僚制が確立する。ヨーロッパではスコラ哲学が国家公認のイデオロギーとして最盛期をむかえ、日本と明 では儒教、ことに朱子学が官学として繁栄する。また国家の土台として、地域的村落共同体と都市共同体が確立し、徴税組織が完備する。村落共同体と都市共同体に組織された生産者は、封建時代の収奪率の固定化(定免制)を契機として分解をはじめ、地主制と問屋制が広範に形成され、資本主義的生産への道がひらかれる。……中温森林地域文明が極相に近づく時期に、日本やヨーロッパ諸国は、オアシス地域や高温森林地域を植民地として征服し、他方新興のロシヤとアメリカは、中温森林地域を拠点としながら、先進資本主義諸国の産業革命の成果(鉄道と機械工業)を利用して、ステップ・サヴァナ・ツンドラ、砂漠等をふくむ広大な生活空間の開発に着手した。二つの世界大戦─これはおそらく中温森林地域型文明の極相の終結をつげる事件であったといえよう─を転機として、オアシス地域や高温森林地域における植民地が解放され、それによって日本やヨーロッパの勢力か衰退したのに反して、アメリカと口シヤは広大な空間と巨大な人口と豊富な資源と高度な技術をフルに生かしてその勢力を増大しつつある」(196〜7頁)。   

  以上が生態学からする文明史の把握の大筋である。しかしこれによって著者は一体何を目指しているのか、なるほど著者は文明史の中心の地域的移動と植物生態学による地域区分とを並行させて説明してくれる。しかしその説明をききながら、もう一歩突込んだ分析を求めて、もどかしく思っているのは私だけだろうか。歴史学の立場からすれば、歴史発展の基本的な力に対して、生態学的条件がどのような規定力として働くのか、という問題が 一番ききたいところである。もっとも著者もこの問題に全く注意を払っていないという訳ではない。例えば「農業社会の分析においては気候条件を指標とする生活 空間の生態学的考察が参照されねばなるまい」(164頁) として、農業面において生態学的条件が最も規定力を発揮する点を指摘している。そして更にその規定力一般については次のように述べられる。「動物の生命の再生産が植物に依存し、人類の生命の再生産が動物と植物に依存するかぎり、人類の生活空間の構造(環境構造)は、基本的に植物生態系の分布によって規定される。人類文明の進歩に比例して、その規定力は間接化され、つまり植物生態と人類生態との中間に介在する媒介項か増大し、いわば規定力が弱められるが、それかゼロになることはおそらく近い将来には考えられない」(189頁)著者は文明の進歩に応じて生態学的条件の規定力が異なることをみとめている訳であるが、その規定力がそれぞれの歴史的発展のあり方を、どのような仕方で、どのような強さで拘束しているか、という点については語っていない。さきの文明史の説明をみても、生態学にみたら異質のものではないかと思われる、村落共同体と都市共同体が、単に並列的にあげられるにとどまっていることは理解に苦しむし、あるいはまた生態学的条件の規定力が著るしく弱まっていると思われる資本主義文明を、中温森林地域型文明の極相と性格づけることが一体どのような意味をもっているのか私にはわからない。さらには「東洋」と「西洋」という範疇が生態学とどう結びついているのかについても説明されていない。結局のところ、さきの基礎理論のところではコミュニケイションという言葉を愛用した著者が、生態史観の提起にあたっては社会過程と自然過程の関係、そのコミュニケイションについての考察を欠いている点が根本的弱点となっているといわなければならない。   

  もちろん、.著者の批判しているように、,従来の歴史研究において自然的条件についての配慮が不足していたことは事実であろう。しかし、同じ自然的条件の上に同じ社会関係が成立するということがいえない以上、個々の具体的な歴史分析にあたって、その規定力を測定しながらそれぞれの場合での意義をとらえねばならないのであり、そこから、文明史を説明する統一的な根拠がみちびき出されるとは考えられない。また帝国主義時代の侵略が、著者のいうようにオアシスあるいは高温森林地域の征服という性格よりも、鉱山を中心とする資源の獲得に 一つの重点があったことを考えれば、自然的条件の基礎を常に植物生態学的条件に求めてよいかどうかも疑問に思われる。

  次に第二の問題点として、心理過程に対応するものとして社会過程における組織原理をとらえ、それを歴史分析に適用するという仕方をあげねばならない。著者はまず心理過程をフロイドに従って一次過程と二次過程に分け次のように述べる。「一次過程とは衝動的非合理的な『無意識』の過程をさし、二次過程とは知的合理的な 『意識』(ないし『前意識』)をさす」また最近の大脳 生理学の研究によれば「一次過程は大脳縁辺系の『古い皮質のはたらきに対応し、二次過程は、大脳の表面をおおう『新しい皮質』のはたらきに対応する」(215頁)のであり、この二つは夢と理性におけるように、それぞれ異なった独自の論理にしたがうことになる。この「心理過程における一次的論理と二次的論理は、それぞれ、社会過程における二つの基本的な組織原理(個人間の結合の原理)を形成する。……一次的論理が主観的感情的であり、本能的要素を多分にふくむ非合理的な性格をもつのに反して、二次的論理は客観的理性的で合理的な性格をもつので、それぞれの論理を用いる組織のいとなみは、おのずからその論理の性格によって規定されることになる。したがって一次的原理は、血縁感情、同郷意識、民族意識、学閥意識、企業一家の精神、世代感覚等々による近接作用的な結合、(時間空間的な接触、もしくは生理的心理的な親近感による)の原理、二次的原理 は、経済的利害、政治的利害、思想的関心、等による個人間の遠隔作用的な結合の原理、という性格をもつにいたる」(230頁)。  

  このような観点から著者は歴史を次のように説明する。「人類の発展史を通観すると、まず明らかに一次的原理が圧倒的優位をしめると推定される時代がつづく、すくなくとも血縁原理を土台とする氏族的社会にあっては、一次的原理の優位は明瞭である。……しかるに…… 巨大オアジス地域に古代国家が形成される時期になる と、……二次的原理が急速に頭をもたげてくる……封建国家、とくに、12、3世紀における古典荘園制の解体以前の封建社会にくらべると、二次的原理の比重は、むしろ古代国家の方が卓越していたのではあるまいか。なぜなら典型的な形で封建国家か形成された西ヨーロッパや日本のような温帯森林地帯においては、氏族的な『血と土地』の原理(近接作用の原理=一次的原理)がいつまでも根づよく生きのこり、封建制も、実はそれを土台として成立していたからである。‥‥‥これらの温帯地帯の社会がはじめて大規校な商業活動でおおわれるようになると、二次的原理が急速に頭をもたげてくる。その優位が決定的になるのは、西ヨーロッパでは17世紀から19世紀 にかけてのブルジョア革命と産業革命であり、日本では19世紀後半から20世紀にかけてであろう」(231〜2頁)。  

  おそらく著者は、この説明で、心理過程からの社会過程及びその変化としての歴史に封する規定性について語 っているつもりなのであろう。しかしここで述べられているのは、結局、生産関係に基礎をもつ社会関係のあり方に規定され、それに適応した形で心理のさまざま な側面がクローズ・アップされてくるということに他ならない。つまり著者の把え方は逆立ちしているということになる。例えば、革命的昂揚を抑圧するという高度に「政治的利害」のために極度に「非合理」な意識を動員 して形成されるファジズムの秩序などは、著者の観点からはどう把えられることになるのであろうか。問題はさ きに引用したような意識の諸類型の列挙(それと、フロ イド的に設定された一次過程、二次過程との対応関係ははなはだ疑問であるが)の平板さにあるのであり、著者が、心理過程と社会過程がもっとも動態的に交錯する権 力現象については触れるところか少ないのもその点に原 因しているように思われる。  

  このような、自然過程と心理過程の双方からの歴史への接近を示した著者は、ついでマルクスの発展段階論を ヨーロッパ中心の理論と限定しながら、より一般的な段階論の設定をこころみる。まず著者は、マルクスがヴェラ ・ザスジッチあての手紙で、封建制から資本主義への移行についての「資本論」の分析は、ロシアの共同体の生命力にかんする論拠を提供していない、と述べていることをあげ、ついで奴隷割について「マルクスは古代的段階」『奴隷制』として特微づけているが、奴隷制はギリシァとローマの特殊条件に適合した乾燥地域型文明の特殊形態なのではなかろうか。つまり、奴隷制は人類史の発展段階を規定する普遍的カテゴジーとしてはみとめられず、たんに、オアシス型社会の一変形とみなされるにすぎないのではあるまいか」(221頁)と指摘する。そして 「マルクスは、ヨーロッパ近代社会の形成のプロセスに焦点をあわせて、その前史をヨーロッパ封建社会→古代ギリシァ・ローマ社会→古代オリエント社会というようにさかのぽって、それを逆に時代順にならべて、アジア的→古代的→封建的→近代ブルジョア的という段階をもうけたように思われる」(221頁)とみる。従って地域別に異なった段階論が必要であり、マルクスの理論はそのうちの一つだということになるのであろう。そして著者 は、このように一方で複数の発展段階系列の並存をみとめると同時に、他方では全地域に通用する統一的な段階論を次のように設定する。即ちマルクスの段階論は、農業革命と産業革命という生産力の画期的変革を区分の指標として、原始無階級社会、階級社会、未来の無階級社会とい三段階に単純化すれば統一的な段階論として通用するようになると考える著者は、この三段階を自然社会、農業社会、産業社会と呼びかえる。そしてこれに対応する社会組織を、自然社会=家族・血縁共同体、農業社会=家族・地域共同体・国家、産業社会=国際機構・ 国家・職業共同体・家族という二重組織から四重組織への発展としてとらえる(162頁)。従ってこの段階論でゆけば、資本主義は農業社会から産業社会への移行過程ということになるわけである。  
 
  このような著者の段階論の特色は、地域的な発展段階系列の単なる並列を前提としているところにあと思われる。たしかにマルクスの段階論は西欧中心といえる。しかしそのことは他面からみれば資本主義社会の自主的な形成の典型として西欧をえらんだということであり、そこに経済発展の純粋型をつかむ手がかりを求めたということであろう。いいかえれぱ、そこでは人類発展の地域的不均等性が前提されているのであり、発展の基本的な力を探るという立場から、発展の停滞した地域をすてて発展の最も順調であった地域をえらんだということでもあろう。また後進地域の発展が先進文明のあり方によって影響されるという条件も考慮されたにちかいない。 従って、マルクスの設定した型とちがった型を地域毎に設定してゆくことは可能であろうが、問題はむしろ地域毎の不均等発展を包括するものとしての、世界史的段階をどう設定したらよいのか、という点にあるのではないか、そしてそれぞれの段階における、先進経済圏の生産力の高さがもつ規定力、不均等発展相互の関係が発展段階によってどのように異なり、その関係がどのような規定力を及ぼすのか、といった問題が問われなくてはな るまい。このような問題を捨象した著者の段階設定は、単に各種の発展系列の最大公約数であるという以上に、 どのような有効性があるのか理解し難い。  

  さてこれまで著者の論点を追いなから、さまざまな欠陥を指摘してきたわけであるか、そこに一貫しているのは、歴史の弁証法的発展についての理解か欠けていると いうことである。その原因は、著者の弁証法に関する理 解が単なる思考方法に還元され、事物の発展の原理としての弁証法に全く眼かむけられていないという点にあると思われる。そしてそこに繰返し指摘してきた発想の平板性が生れるのでもあろう。


4


  著者がこの著書のなかで力を入れているもう一つの問題─フランス革命と明治維新の比較の問題についても同様な批評があてはまる。もう委員会から与えられた紙数がなくなってしまったので細い点にふれることが出来ないが、ここでの殆んどの問題は先進地域における自生的な性格のつよいフランス革命と、列強資本主義による強要という条件を抜きにしては考えられない明治維新とを同じ次元で比較することが一体可能なのか、という問題につながっている。著者は、フランス革命と明治維新のいずれもが、資本主義への道を開いた変革であるという点をとらえて、明治維新がブルジョア革命であると主張する。勿論、論点をこの一点にしぼるならば、そうとしかいえないにちがいない。しかしこれでは著者がマルクス主義における経済過程の偏重を批判してコミュニケイショソの問題を持ち出しだのが何のためかわからなく なる。  

  もちろん、経済的変化によって徐々に新しい社会関係が生れ、拡大し、それがふるい支配体制を変革するという場合─フランス革命はこのような例に数えられると思うが─には、この変革の基本的性格を新しい社会関係としての資本主義を生み出したという点だけに求めることが出来よう。しかし明治維新の場合には、新しい社会関係が生れ、拡大し、それがふるい体制をつきやぶるという関係が中心になっている訳ではない。そこではむ しろ外からおしよせてくる資本主義に対抗するために、より強い体制をつくり、この体制に民衆のエネルギーを 吸収してゆこうという方向が中心を占めているといわねばならない。従って明治維新の場合にも、たしかに資本主義を生み出したが、それはすでに形成されつつあった資本主義の萠芽が、障害がとり除かれたから順調な発展を示し、支配的な体制になったということではなく、先進資本主義に対抗するために、上から強行的に創出されたものであった。それ故に明治維新によって生み出された社会関係や秩序は、資本主義だけからでは説明出来ない特殊な性格をもつに至った。つまり明治維新は資本主義を生み出したけれども、それにふさわしいプルジョア的社会を形成しはしなかったということになる。私が 強調したいのは、この後半の部分を抜きにしては、明治維新を把えることが出来ないばかりでなく、以後の日本近代史を語ることは出来ないという点である。いいかえぱ天皇制を抜きにして明治維新を語ってみても無意味だということである。天皇制は近代日本の社会秩序の特殊な性格の中枢をかたちづくる。  

  もっとも著者がブルジョア的ということをどう理解しているのかはよくわからない。例えば、次のような指摘をみよう。「『共和』とか『自由』とかいう概念は、ギリシァ・ローマ文化やキりスト教文化の伝統に根ざしているのであり、文化的伝統を異にする日本の革命家たちにそういう思想をもとめて、ないものねだりにすぎない」 (166頁)これは明治維新について書かれていることであるが、これと維新=ブルジョア革命論をつなぎ合わせると、著者は東洋文明のもとにおけるブルジョア革命はブルジョア的秩序を生み出さなくてもよい、と考えているのだろうか、とすれば、フラソス革命と維新の両方ともブルジョア革命だといっても、そのブルジョア革命の内容がちがうことになり、何の意味ももたなくなる。私 には、資本主義は、資本の拡大再生産を貫徹するために 「自由」を秩序の基調として要求せざるの得ないのであ り、そうでない場合には何らかの資本主義以外の要因が秩序の基調のながに存在するとしか考えられない。  

  このように著者の主張はあいまいな点があると思われるが、その講座派批判かまったくあたっていないという のではない。なるほど講座派の理論にはいろいろな無理がある。しかしそれは、近代日本の特殊性を西欧の自生的発展に関する概念で解こうとしたことからおこっているのであり、著者のように一方では西欧型の概念におしこめるためにその特殊性を切りはなし、他方でそれを東洋文明の枠によってひろいあげようとするようなやり方で克服されるものではない。繰返していうが、著者がコミニュケイションの問題を出したのは何んのためなのか、 私は、近代日本の特殊性のおこってくる要因を「後進 国」という点に求めなければならないと思う。つまり資本主義は世界史的な段階であり、この世界史的な段階の規定力を無視して後進国の変革を論ずることは出来ないということである。この点を無視してフランス革命と明 治維新を比較しても比較は有効でありえない。  

  最後にもう一度問題を前にもどそう、このような比較史のやり方は、さきにみた人間科学の構想にとってどのような位置をしめるのであろうか。ともあれ、さきにはコミュニケイションとか過程という用語か多用されたにも拘らず、諸過程の動態的構造が明らかにされなかったのとパラレルに、ここでの比較史も全く歴史的動態も捨象している。そしてこれらの問題は、結局、著者が歴史の弁証法的発展を見失っていることにつながっているのではなかろうか。.