『史学雑誌』73編5号

1964年5月

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1963年の歴史学会 回顧と展望


表紙

古屋 哲夫



 大恐慌後の歴史過程は、いうまでもなく直接現在につながる時代であり、この時代の解明は現状分析の重要な基盤となる筈のものである。と同時に、敗戦にも拘らずその地位を保ち得た支配層にとっては、この時代を正当化するということは自らの現在の立場を強化するという直接の利害と結びついてくる。それ故に最近は、或いは現状分析の基盤を求め、或いは支配イデオロギーの強化をめざして、さまざまの意図や方法のもとに、この時代が注目を集めるようになってきた。そしてそれは当然に歴史研究の中にも反映する。とくに昨年は、こうしたさまざまな意図のもとに、研究書、資料集、回顧録など多くの出版が行われた。しかしここではその一々の細かな問題にまで立入る余裕はないので、現代史研究の態度、方法にかかわるいくつかの点を指摘するに止めたい。

  まず一般的な動向として、最近数年来あらわれてきた、太平洋戦争、あるいはもっと広く近代日本の戦争を再評価しようという動きが、ますます大きくなりつつあるという点をあげなくてはなるまい。例えば一方では林房雄「大東亜戦争肯定論」(「中央公論」9月〜12月号)が出るかと思えば、他方では雑誌「思想の科学」が「大東亜共栄圏」という特集号(12月・21号)を出すといった具合である。前者は、幕末からの「大東亜百年戦争」という構想をかかげて、幕末に於ける半植民地化の危機に対する民族的抵抗という側面を太平洋戦争までひきのばしてきて、「大東亜戦争は形は侵略戦争に見えたが、本質において解放戦争であった」(前掲12月号)と主張するもののようであるし(この論文は幕末から征韓論までをとりあげただけで中断された。)、後者は大東亜共栄圏に托した大衆の「夢の中には、やはりまだ評価できるものがあるのじゃないか」(座談会「大東亜共栄圏の理念と現実」に於ける司会者山田宗睦の発言)という発想にもとづいている。もちろん侵略を真向から否定する前者と、全体として侵略の中にも何か拾いあげるものはないかと探しまわる後者とを同じに扱おうとは思わない。しかし後者の場合にも、侵略に眼をそむけるところから出発して、竹内好らのアジア主義の再評価の主張を背景とし、大東亜共栄圏が「戦後のアジアの諸民族の独立運動に一体どういう刺激をあたえたか」(前掲山田発言)という方向に延長されてくると、意外と侵略肯定に近づいてくるようである。同じ「特集・大東亜共栄圏」には判沢弘「東亜共栄圏の思想―内田良平を中心に―1」、武藤富男「満州国にかけた夢」があるが、判沢論文は、内田良平から石原莞爾に至るアジア主義を高く評価し、武藤論文は満州国官吏であった同士の立場から、「満鉄及び附属地については帝国主義侵略ということばがあてはまる、しかし満州建国はこれとちがうところがある」として、ユートピア思想を含む王道精神と、初期日本人官吏の真剣な努力を強調する。両者に共通なのは個人の善意を歴史の脈絡から切り離してとり出してくるやり方である。しかし侵略の上にのった個人の善意を強調することは、侵略を個々の善意の集合の中に埋没させ、歴史の動向を見失わせることになる他はない。こうした形の太平洋戦争再評価論が、諸民族の近・現代史を「工業化」という側面だけに刈りそろえてしまう、いわゆる「近代化」論と、発想の基本を異にしながらも手をつなぐ方向を示していることは、林房雄論文がライシャワーを高く評価する形で表れてきている。(なお、「近代化」論の昨年の動向を示すものは、ライシャワー「日本と中国の近代化」(「中央公論」3月号)川島武宜「『近代化』の意味」(「思想」11月号“特集「近代化」をめぐって”)清水幾太郎「新しい歴史観への出発」(「中央公論」12月号)また「近代化」論批判としては、井上清「『近代化』への一つのアプローチ」(「思想」前掲号)などがある。)

  ところで昨年は、日本国際政治学会・太平洋戦争原因研究部編『太平洋戦争への道』7巻・別館資料編(朝日新聞社)という大規模な出版が完成して話題となったのであるが、この論文集は前述の一般的動向と深くかかわっていながら、「実証主義」を正面にかかげるという新しい動きを示すものとして注目されなくてはならない(4巻以降が63年刊行であるが、昨年の本誌「回顧と展望」では内容についてまったく触れられていないので、ここでは全巻を通じてとりあげることにする)。この論文集はほぼ満州事変から日米開戦までの時期を対象とし、角田順を委員長に、臼井勝美、宇野重昭、大畑篤四郎、小林竜夫、小林幸男、斎藤孝、島田俊彦、関寛治、長岡新次郎、奏郁彦、細谷千博、平井友義、福田茂雄らが参加した共同研究の成果としての19編の論文を集めたもので、角田順の第7巻あとがきによれば、この共同研究は2年間にわたり数万枚の複写資料、四十数回の関係者よりの聴聞研究会を行うなど相当大がかりなものであったようである。こうした防衛庁戦史室をはじめ未公開資料の大幅な利用が、イデオロギー的史観を排した実証的叙述(7巻あとがき)という自負を支えている訳であるが、同時にこの実証主義は共同研究者に厳しい制約を加えるものであったようである。まず「日本の対外関係の具体的経緯について、特にその制作の決定と実施との面から正確な事実関係を確立すること、」「研究の本来の視野は軍事・外交に亘る対外関係に限定すること」(7巻あとがき)という方針が立てられ、さらに「主観的判断を排除し、『帝国主義』など使用者によって必ずしも意味が同一でない社会科学的用語は排除するとの執筆申合せ」(小林幸男「困ったこと7巻付録」)があり、そのうえ、江口圭一「日本現代史研究における帝国主義的歴史観―『太平洋戦争への道』について」(「新しい歴史学のために」88)も推理しているように、角田順による「全体の編集・調整・校閲」が論文への具体的訂正あるいは加筆を含んでいたと思われる。こうした制約にも拘らず多くの研究者が参加したのは、これらの制約をうけいれることが大幅な資料利用の条件となっていたためではないかとさえ考えられるのであり、旧軍関係資料が防衛庁戦史室にうけつがれているといった問題までふくめて今後学会全体の問題として追求する必要があろう。

  さて、このような共同研究のあり方は、次にあげるようなこの論集の特色を生み出してきた。まず第1の点は、研究対象を軍事・外交における政策の決定・実施に限定したうえで、更に政策担当者個人ないし小グループの性格・行動を中心に叙述するという方法である。もちろん政策の過程を細かくみてゆく場合には、個々の政策担当者の行動を知ることは是非とも必要であり、こうした側面を明らかにしたことは、この共同研究の最も大きな成果として高く評価されなくてはならない。しかしここではそうした行動が資質や性格から説明される傾向が強く特定の資質や性格をもった個人のグループが、なぜ特定の時期に政策過程の中に押し上げられ登場してきたのかについては問題とされていない。そのため歴史が指導者の性格・資質・派閥、そしてその間の感情的対立や心理的要因などで動かされたような印象を与える叙述が多くなっている。島田俊彦「満州事変の展開」(2巻)、「華北工作と国交の調整」(3巻)、奏郁彦「日中戦争の軍事的展開」(4巻)、「仏印進駐と軍の南進政策」(6巻)、角田順「日本の対米開戦」(7巻)「解題」(1〜6巻)など、とくに角田論文にこの傾向が著しい。また外交の背後にある利害の対立、そこから生ずる社会的勢力の動向などに眼をむけない点では、5巻の大畑篤四郎「日独防共協定・同強化問題」、細谷千博「三国同盟と日ソ中立条約」も同様である。ただ、関寛治「満州事変前史」(1巻)で、満州青年連盟が石原莞爾らの満州事変への動きを支えると同時に日本国内へも積極的な運動を行い、日本のファシズム体制創出の橋頭堡となったとする指摘、及び臼井勝美「日中戦争の政治的展開」(4巻)が現地軍の態度を規制している占領地経営の経済的側面をとり出している点などは、こうした傾向をふみこえたものとして注目すべき業績と言えよう。

  ところで、この第一の特色は、製作過程を政策構想を中心に把えようとする第2の特色と結びついている。しかも、それは「編集・調整・校閲」の任にあたった角田順の見解と関連しているように思われる。例えば「日本の対米開戦」(7巻)では、開戦への過程が日本の身勝手な甘さにもとづく書生論的国策と、アメリカ側の極東の勢力均衡についての具体的感覚と洞察を欠いた平面的公式論との対抗として画かれているし、また日中戦争については、「陸軍の放漫にして古色蒼然たる分治合作政策、政府の空想的な権益主義、海軍の戦争便乗主義に共通して欠如したものは日中関係の処理を貫く徹底した一個の構想であった」として、石原莞爾の構想が対置されている(4巻解題)。そしてこうした構想中心の見方が、例えば、石原莞爾に非常な力点を置くという形で諸論文の中にもあらわれてきている。しかしそれらの構想がもつ歴史的意味については追求されない点がここでの問題なのである。

  このことは、7巻を通じて、満州事変以後の日本の行動が「侵略」であったかどうかという問題を全く取り上げていない、という第3の特色と関連する。例えば「幣原外交をはばむ協賛軍の活躍」という小見出しの所では「日本の行政的レベルが蒋介石政権を協調の相手としてとりこんだまさにそのときに、中国革命は、国民政府の支配のおよばぬ間島地方や長沙の暴動となって爆発し、日本の陸軍や右翼の対華武力行使政策への傾斜との間で相互作用的な悪循環をひきおこすことになった」(1巻、関「満州事変前史」)と書かれているし、日中戦争が、両国の中央部の望まない大戦争になったのは、両国に「理性的判断をくつがえし、押流そうとする非合理的な強硬論」がうずまいていたからだとして、日本側では「拡大派の一撃論」、中国側では「中国全土にひろがっていた抗日の風潮」をあげている(4巻、秦「日中戦争の軍事的展開」)。つまり日本の軍部や右翼と中国の民族運動を同列にあげてどちらも悪いとする態度であり、これでは「日本の侵略」が問題にならないのは当然であろう。そしてここでも角田順の特異な歴史観が結びついてくる。角田は九ヵ国条約が「日本の満蒙既存権益にたいするなんらの具体的保障をも欠き…列国ことに日本の自粛と見合う自制義務をなんら中国に賦課」しなかった(一巻解題)ため、満州事変前には「ワシントン会議をもって日本の外交的敗北ととらえた中国側の日本軽視、日本の進出をさえ阻止すれば極東の政局は自動的に安定するという米国の公式論、それに呼応する中国の一方的国権回収運動、中国側政治家による排日運動の内政的利用、コミンテルン・中共の満州擾乱」などの状況があらわれ、これに誰も有効な解決策を立てられなかったため陸軍中喧騒が「満蒙問題に向ってひとり真正面から取組んだ」(2巻解題)のだというのである。この見解はさらに一方でワシントン会議以前の日本の在華権益を正当なものとみ、他方では日米の対立が調整されていれば中国をおさえることが出来たという考えにつらなっているようである(1〜6巻解題後出「朝日ジャーナル」座談会)。この角田理論は極論すれば「侵略」を否定することで、さきにあげた大東亜戦争肯定論や近代化論につながり、また日米共同の中国支配を空想する帝国主義的歴史観という性格をもつのではないだろうか。結局この7巻の論集は個々のすぐれた指摘(とくに資料的な)をふくみながら全体としての態度・方法の点では反動的と評せざるをえない。なおこの論集に関連しては前掲の江口圭一の書評の他に、今井清一・角田順・斎藤真・臼井勝美による座談会「太平洋戦争への道」(「朝日ジャーナル」12月1日号)今井清一「日本の対華政策と資本の要求」(「歴史学研究」別冊、3月)があり、小池澄「高校世界史教科書における中国近現代史の取扱いについて」(歴史評論155)は角田的な見解が教科書に入りこんでいることを指摘している。またゾルゲ事件を中心とした藤原彰「現代史の動向―第二次大戦期の日本に関する最近の業績」(「歴史学研究」275)でもいくつかの問題が出されている。

  ところでこれまでみてきた反マルクス主義の動向に対して、マルクス主義の立場を進めようとした業績としてまず『岩波講座日本歴史』の「現代1〜4」(18-21)をあげなくてはならない。ここで問題としている大恐慌後を対象とする論文は、井上清「現代史概説」(現代1)の他は「現代3・4」に収められているが、その基本的立場は戦争を独占資本主義を軸として解明しようとするものであり、また従来の論争との関連では天皇制ファシズム論をとっている。そしてこの立場から、小野義彦「金融寡頭制の確立」、宇佐美誠次郎「満州侵略」(3)、島恭彦「戦争と国家独占資本主義」(4)という経済面からの分析を軸とし、政治面では、江口圭一・小野信爾「日本帝国主義と中国革命」、今井清一・野沢豊「軍部の制覇と日中戦争」(3)のように日本と中国との双方からの分析を1つの論文のなかでつけ合わせることを試みている点が大きな特色と言えよう。さらに渡部徹「無産階級運動」、鈴木正四「大恐慌と世界政治」、小田切秀雄「戦時体制化の文化」(3)、荒井信一「第二次世界大戦」、勝部元「天皇制ファシズム論」、藤原彰「太平洋戦争」、井上清「第二次大戦後の日本と世界」、犬丸義一「現代史研究解説」(4)などにより戦後までの全体的歴史像を提供することが企てられている。こうした編集意図、とくにさきの『太平洋戦争への道』などとの対比でみれば、従来あまり手のつけられなかった植民地支配の分析を積極的にとりあげ(前掲宇佐美論文の他に、1、2では夫々、原田勝正、山辺健太郎の朝鮮・台湾に関する論文を収録)またこの時期の問題の中核に日本の中国侵略をすえ「太平洋戦争を日中戦争の延長としてとらえ」(藤原論文)「日中戦争から日米戦争が派生した」(井上「概説」)とする点などは、今後研究が深められなければならない問題提起であるが、しかし全体としてみると、編集意図が必ずしも成功しているとは言えない。とくに、かなめの点である政治と経済の関連の把え方(周知のようにマルクス主義史学で終始問題となっている困難な問題ではあるが)などについては、残念ながら新しい展開がみられていない。また論文相互の間にも調整されていない点もみうけられる。

  まず第1に経済についてみると、金融寡頭制という概念が単に経済面だけでなく支配体制分析の中心に据えられている点が特徴的である。もっともこの点について意見が統一されてはいないが、最も強くこの点を強調している小野義彦は次のように規定する。「金融寡頭制は下部構造であると同時に上部構造であり、国家権力を動かす最深奥でまた最有力な階級的勢力である。国家は、原則として、最有力な、経済的に支配する階級の、この場合には、金融資本の国家である」。小野の意図は金融資本が成立すれば国家はその法則によって基本的に動かされるのであり、権力にその他の階級が加わっているかどうかといった特殊性はこの原則と無関係であると主張して、いわゆる二重の帝国主義論に反撃する点にあるようである。そして更に、日本に於ける金融資本の成立を明治40年代にまでさかのぼり、その後の政治過程に於ける金融資本の支配を問題とする。しかしここで具体的に述べられているのは、金融資本が最有力の階級になったということにすぎないのであり、それがどの程度有力であるか、さきの引用で言えば「最深奥」とする点については明かでない。例えば第一次大戦後にまだ財閥独占の支配の及ばない広汎な部門が残されていることについてはこの論文でも指摘されているが、そうした産業全般をおおわない金融資本の支配が果して金融寡頭制とまで言えるかどうかは疑問である。これに対して、初期的独占と現代的独占の区別を強調する井上晴丸「独占資本主義の確立」(2)は反対の立場に立つものであろう。また島論文でも「独占資本は軍事生産を掌握し、統括していなかった…ことが、軍・官・独占資本の紛争となり、戦時統制そのものを破壊する軍部のエゴイズム、あるいは陸海軍相互の争いとなってあらわれた」という指摘の仕方から見ると、小野の見解と異なっているようであるが、理論的提起はみられない。つまり金融寡頭制の問題が強く主張されているのに、その内容は著るしくあいまいという他はない。この点は国家独占資本主義の理解についても言える。

  この講座の第二の特色は、国家独占資本主義を危機に対する金融寡頭制の対応形態とし、具体的には戦時統制をその内容としてあげている点にみられる。この点では小野も島も同様であり、島は国家独占資本主義の時期区分として移行期(31-36年)、展開期(36-41年)、確立期(41-敗戦)としているが、それは戦時統制の強化の過程とみあっている。しかしそこでは、国家独占資本における国家と独占資本との結合はそれ以前の結合とどう区別されるのか、その成立の指標は何か、戦後をふくめた統一的把握はどうなるか、などの疑問には全く答えていない。こうした疑問を強く提起しているのは、揖西光速・加藤俊彦・大島清・大内力「日本資本主義の没落B」(東京大学出版会)志村嘉一「戦前における日本の国家独占資本主義」(『現代帝国主義講座』4巻、「日本帝国主義の構造」所収、日本評論新社)などであり、これらの論者は国家独占資本主義を大恐慌を契機として成立する管理通貨制度をもってその基本的特徴と主張している。そして志村論文によれば、30年代以降、第二次大戦までの時期はその過渡期であり、第二次大戦後に「世界資本主義の統一的体制として定着した」という。つまり国家独占資本主義を世界的な体制とし、戦時統制をその一時的な特異な形体とする訳である。これらの問題は現在学会の論争点である国家独占主義の本質論につながる訳であり、深く立入る余裕はないので、ここでの問題として、いずれの論文でも、大恐慌からファシズム化の過程、国家独占資本主義とファシズムの関連などについての理論的分析が弱く、歴史的叙述としての迫力を欠いている点を指摘するに止めたい。なお、安藤良雄『現代日本経済史入門』(日本評論新社)は第一次世界大戦から第二次世界大戦後にまで及ぶ概説であり、便利な本であるが、こうした理論的問題についての立場は明らかでない。

  第3に、ファシズムの問題に限らず、一般に経済史的分析と政治史的分析とが十分かみあっていないことはさきにもふれたが、例えば小野論文をとってみても、政治に関する叙述に出てくる「自由主義ブルジョアジー」などは、その金融寡頭制についての把握とは異った把え方であるし、また江口・小野信爾論文での「帝国主義ブルジョアジー」にしても、ブルジョアジーのうちの最も侵略的な部分を指しているようであり、経済構造の分析から出されている概念ではない。といってもこうした把え方が誤りだというのではなく、政治と経済での把え方の相違と関連とを、もっと積極的に明らかにする必要を強調したいのである。一般的に言って政治過程は諸勢力の対抗としてあらわれるわけであり、それらの勢力の形成と展開を明らかにすることが政治史の場合にはとくに必要となる。この形成と展開は社会のあり方を媒介として経済構造と関連するが、これらの関連を分析することが歴史学を進める上での当面の課題となっているように思われる。ここでの対象の時期に関して言えば、とくにファシズムの問題についてこうした分析が必要とされる。『岩波講座』の「現代」ではファシズムの形成過程を正面からとりあげた論文のみられないのは不満であるが(勝部論文は近衛新体制を中心として、神山茂夫的見解に反論することが主眼となっている。)そこで出された問題についても例えば、今井・野沢論文が満州事変後の国内の小康状態を指摘し、ここではなお、「戦争とファシズムへの道を断ちきる可能性をのこしていた」とする点も、前述の観点から問題となる。つまりこの可能性とは、そうした方向をめざす勢力の発展の可能性でなければならないわけであるが、叙述されているところは、政党を中心にまだ批判的勢力の存在の余地があったという点にすぎない。こうした問題が出てくるのも結局、これまでファシズム形成の問題が軍部を中心とするいわゆる急進ファシズム運動に集中されたかの観が強く、今井・野沢論文で内務官僚から経済官僚へという点が指摘されている革新官僚の問題や、前述の関論文の満州青年連盟、江口・小野論文の「帝国主義ブルジョアジー」などの問題が総合的にとりあげられてこなかったという点に起因しているのではあるまいか、とくに革新官僚については国家独占資本主義との関連でも重要であろう。またこの講座でも重要な関心事となっている天皇制ファシズムに関連する論争もこうした見地から整理される必要があろう。なお、この論争に最近のソビエト学会の成果を加えた観点からの批評としては、岩村登志夫「現代史像の再構成とはなにか―『岩波講座・日本歴史』現代3・4の刊行によせて」(「新しい歴史学のために」90)がある。またいわゆる急進ファシズム運動については『現代史資料4・国家主義運動(1)』、末松太平『私の昭和史』中野雅夫『橋本大佐の手記』(以上いずれも、みすず書房)などの貴重な資料の他、小磯国昭『葛山鴻爪』(小磯国昭自叙伝刊行会)、佐々木到一『ある軍人の自伝』(普通社)などがかんこうされたが、それらについて述べることは紙幅がゆるさなくなった。

  以上、昨年の業績の大きな傾向をとりあげてきたが、反マルクス主義の方向が拡大の傾向にあること、これに対抗するためにマルクス主義の側では、政治と経済の関係などの理論的課題に精力的にとり組む必要があることを最後に記しておきたい。筆者の不手際のため、用意したいくつかの問題を割愛し、とくに戦後史について触れ得なかったことを御詫びする次第である。