『人文学報』第36号

1973年3月

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北一輝論 (1)


 

古屋 哲夫


は じ め に

1帝国主義と国家の必要
2社会の進化と個人
3公民国家=社会民主主義論
4国体論批判の性格と天皇機関論
5社会主義運動論の特徴と矛盾



5社会主義運動論の特徴と矛盾


 北は明治国家の現実を次の2つの観点から捉えた。彼はまず第1に、明治維新後の権力者は、維新の本質であった社会民主主義の進展を阻害するに至っているとみる。「凡ての進歩的勢力が其の権力を得ると同時に保守的勢力」に転ずるのは「社会進化の原理」だとする北は、倒幕の志士たちも同様の運命をたどったとする。すなわち「彼等藩閥者は維新革命の破壊的方面に於て元勲なりき。而しながら維新革命の建設的本色に至っては民主々義者を圧迫する所の元兇となれり」(1-355頁)と。ついで彼は第2に、維新によって政治的家長君主が打倒されたあとに、今度は「秩序的掠奪」(1-5頁)によって、土地人民を私有する経済的君主・黄金大名があらわれ、日本は経済的家長国に転じたと論ずるのである。そして保守化した政治勢力は、この黄金大名の力の下にくみ入れられるに至ったとみる。

  「凡ての事は天皇の名に於て、国家の主権に於てなさる。而も現実の日本国なるもの天皇主権論の時代にもあらず国家主権論の世にもあらずして、宛として資本家が主権を有するかの如き資本家万能の状態なり。大臣も資本家の後援によりて立ち議員も資本家のしん(臣+頁)使によりて動く。斯くの如くにして国家の機関が国家の意志なりとして表白しつゝある所は、国家の目的、理想の為めに国家が執らんとする意志にあらずして自己若しくは自己の階級の利益のみを意識して意志を表白するを以て事実上は階級国家となれり。」(1-378〜9頁)

  北の見方から云えば、公民国家が空洞化されて、階級国家、経済的家長国家に転ずるということは、公民国家を成り立たしめた国家意識の担い手である国民が、賃金奴隷や農奴として貧困化することであり、それはとりもなおさず、経済的君主が強大化するのと反比例して国家そのものが弱体化するということであった。「日清戦争に勝ち日露戦争に勝ちて、利益線の膨脹、貿易圏の拡大が無数に存在する経済的家長君主の強大を加ふるとも、其れによりて国民と国家とが強大なりや否やは全く問題を異にす。十六軍団の陸軍と数十万トンの海軍とを以て武装せる巨人が骸骨の如く餓えて、貧民の上には小盗人を働き富豪の前には跪きて租税の投与を哀泣しつゝある醜態をみよ。大日本帝国は今や利益の帰属すべき権利の主体たる人格を剥奪せられて経済的家長君主等の為めに客体として存するに過ぎずなれり。経済的専制君主等は強大なるべし。而しながら大日本帝国は斯くても強大の国家か。」(1-57頁)すでに述べたように、国家を強化することを目的とする北の社会主義は、この経済的君主と保守的政治勢力を打倒して、土地・資本の公有をめざすものであった。

  北はこの闘争を一応は「階級闘争」と名付ける。「おゝ来るべき第二のの維新革命よ。再び第二の貴族諸侯に対して階級闘争を開始せざるべからず。…一切は階級闘争による。」(1-394頁)しかしこの階級闘争は彼の進化論にみあって特殊であった。彼もまた階級闘争のためにまず第1に「団結」を求める。「団結は勢力なり。社会主義勢力は主権なり。」(1-391頁)だがこの「団結」は階級的利害を結集して、敵対的階級を打倒しようという発想とは異なっていた。彼は階級闘争の目的は「階級絶滅(1-38頁)にあるという。しかしそこで彼が力点を置いているのは、資本階級をも労働者階級をも共に解体して社会主義を実現するという点にあった。

  「固より社会主義は当面の救済として又運動の本隊として今の労働者階級に陣営を置くものなりと雖も此れあるが為めに労働者階級を維持する者と解すべからず、階級なき平等の一社会たらしむるのみ。社会主義は社会が終局目的にして利益の帰属する主体なるが故に名あり。現今の階級的対立を維持して掠奪階級の地位を転換せんと考ふる如きは決して社会主義に非らず。」(同前)このような考え方が出てくるのは、彼が自らつくりあげた進化論に於ける同化作用と分化作用の論理を、社会主義実現のためにもより基本的なものとみ、階級闘争よりも根底的なものとみていたからにほかならなかった。それは簡単に言えば個人の自律性が強まるにつれて、同化作用も拡大・強化され、それによって社会は進化するとするものであったが、その場合、北は個人の自律性の内容を問題とすることなく、たんに個人の自由や権威が上層から下層へと漸次浸透するという形でしか捉えていないことが特徴的であった。すなわち、「社会の進化は下層階級が上層を理想として到達せんとする模倣による」。「個人の権威が始めは社会の一分子に実現せられたる者より平等観の拡張によりて少数の分子に実現を及ぼし、更に平等観を全社会の分子に拡張せしめて茲に仏蘭西革命となり維新革命となり」(1-191頁)などと言った具合である。

  それは言いかえれば、個人の分化作用は社会の上層より下層にと下降し、従って同化作用は下層から上層への上昇運動としてあらわれるということになる。北はこの考え方をそのまま階級闘争に持ちこんで次のように述べているのである。「社会民主々義の階級闘争は執て代らんとするの闘争に非らず。否、凡ての階級闘争とは運動の本隊が下層階級に在りと言ふことにして闘争の結果は模倣と同化とによりて下層階級の上層に進化して上層階級の拡張することに在り。即ち下層階級が其れ自身の進化による階級の掃討にして上層階級の地位が転換されて下層となり、若しくは社会の部分中進化せる上層が下層に引き下げらるゝ原始的平等への復古にあらず。」(1-393頁)もっとも、「模倣と同化」と言っても、上層階級の何を模倣し、どの部分に同化するのか明らかではない。北としては、下層階級の不自由と貧困が「平等」の基準となるものではないことを強調したかったのであろう。

  しかし北がそれ以上に云いたかったことは、この文章で言云えば、下層階級が自らの「階級の掃討」をなさねばならないとする点にあったと思われる。彼は良心は階級的に形成されるとしているのであるから、上層階級の階級的良心を下層階級の階級的良心が「模倣と同化」の対象とすることを期待しているわけではない。むしろこのせまい階級的良心を解体してより普遍的な良心を形成することが同化作用の基本だとみていることは、社会主義の目標を「現今の経済的階級国家を打破して経済上に於ても一国家一社会となし、以て国家社会の利益を道徳的理想とする良心の下に現時の階級的良心を掃討せんことを計る」(1−84頁)という形で述べている点からもうかがうことが出来る。従って北における階級闘争とは、下層階級が上層階級の階級的良心を打倒すると共に、自らの階級的良心をも解体して、より普遍的な良心の下で旧上層階級と同化し、上層階級の自由と豊かさをわがものにする過程として捉えられていたと思われるのである。

  こうみてくると北の言う「団結」は階級的連帯を軸とするものではなくて、より普遍的な良心の形成を伴うものでなくてはならなくなる。北の場合それが国家意識であり、国家への忠誠であるとされることは、これまで述べて来たことからも明らかであろう。国家意識の強化による階級的良心の掃討―そこから「社会民主々義の運動は純然たる啓蒙運動なり」という命題が生れる。「啓蒙運動は凡べての革命の前に先ちて革命の根底なり。 社会民主々義は其の実現を国民の覚醒に待つ」(1−385頁)。 結局のところ、彼の言う社会主義をめざす「啓蒙」とは、下層階級を階級として結集させるのではなく、逆に階級としては解体し、国家意識の明確な国民としての自律性を強化してその線に沿って団結させると言うことにほかならなくなる。従ってまた彼の言う社会主義社会像は、革命運動に於ける階級的連帯に支えられるのではなく、国家への忠誠をちかう個人としての国民に解体された労働者や資本家を、国家が目的合理的に組織するという形で提示されることとなるのであった。

  このことを最も端的にあらわしているのは、彼の「社会主義の労働的軍隊」「徴兵的労働組織」という発想であろう。北の社会主義経済についての基本構想は「ツラストの進行を継続」した資本の「大合同」(1−63頁)によって、破壊的競争と浪費をなくすということにつきているが、この大合同に「徴兵的労働組織」(1−31頁)を対置している点が著るしく特徴的と言える。彼は次のように説明する。「今日の公民国家の軍隊は絶対の専制と無限の奴隷的服従の階級とに組織せられ、其の報酬の如きは往年の主従の如き差ありと雖も、社会主義の労働的軍隊に於ては各個人の自由と独立は充分に保障せられ、権力的命令組織を全く排斥して公共的義務の道徳的活動と他の多くの奨励的動機とによりて労働し、物質的報酬に至っては如何なる軽重の職務も全く同一となること是れなり。即ち約言すれば、社会主義の軍隊的労働組織とは徴兵の手続によりて召集せられたる壮丁より中老に至るまでの国民が、自己の天性に基く職業の撰択と、自由独立の基礎に立つ秩序的大合同の生産方法なりと云ふを得べし」(1−32頁)と。

  なるほど待遇は画期的に改善され、組織は民主化されたと云えよう。しかし、徴兵という手続きは権力的な上からの動員であり、自由と独立もその枠のなかだけのことにすぎなくなる。従って北の言う社会主義の啓蒙運動とは、このような徴兵に堪え得る愛国心を持った国民をつく出すことにほかならないとも云えよう。そしてこれこそが北の社会主義運動論の軸をなす観点なのであった。

  北が「革命とは思想系を全く異にすと云ふことにして流血と否とは問題外なり」(1-389頁)と云う時、それはこれまでみてきたような、旧い階級的良心の掃討こそが革命の本質的問題なのだという主張と読める。そしてこのような啓蒙によって形成された団結からどのような形態の連動が生れるかは、その直面した条件にかかわるというのである。彼はこの点については、日本では流血を必要としないと断じ、彼の社会主義運動論は啓蒙運動を基礎とした「法律戦争」論として展開されてゆくことになるのである。「吾人をして露西亜に生れしとせよ、吾人は社会民主々義者の口舌を嘲笑して爆烈弾の主張者たるべし!」(1-388頁)と述べた北は、日本の場合には「実に維新革命の理想を実現せんとする経済的維新革命は殆んど普通選挙権其のことにて足る」(1-389頁)とするのである。つまり日本には「法律戦争を戦ふべき法律的形式」が存在しているというのである。「国家内容の革命は国家主権の名の下に一に投票によりて展開す。―『投票』は経済的維新革命の弾丸にして普通選挙権の獲得は弾薬庫の占領なり。」(同前)「経済的維新革命は投票の階級闘争を以て黄金貴族の資本と土地とを国家に吸収し事実上の政権独占を打破すべし」(1-393頁)と。そしてまた、彼は「社会が今日まで進化し而して階級闘争の優劣を表白するに投票の方法を以てするに至れり」(1−388頁)と述べて、このような「投票」による革命が可能となったことは、闘争方法そのものの進化なのだと強調するのであった。

  しかし、この法律戦争論をたんに普通選挙さえ獲得されれば第2の維新革命が実現できるのだというように読んでしまっては、北がこれまでつみ上げてきた論理にそぐわなくなるであろう。彼は「一切は生存競争なり、真理の生存競争に打ち勝ちて社会民主々義が全国民の頭脳を占領せる時、茲(ここ)に国家の意志は新たなる社会的勢力を表白して経済的維新革命が法律戦争によりて成就せらるゝの時なり」(1−385頁)と述べているのであり、啓蒙運動によって「新たなる社会的勢力」が「強力」となっているという前提があってはじめて、普通選挙による法律戦争の勝利がありうるとの主張と解すべきであろう。そして彼は、現実には日露戦争に於ける国民の団結、とくに満州から帰還してくる兵士たちに、この新しい社会的勢力を見出そうとしていた。

  「満州の誠忠質実なる労働者が帰り来る時!―今、彼等は続々として帰りつゝあり、人は彼等の凱旋を迎ふと雖も彼等は凱旋者にあらずして法律戦争を戦はんが為めの進撃軍なり」 (1-390〜1頁〉「吾人は断言す、普通選挙権の獲得は片々たる数千百人の請願によりて得らるべからず、実に根本的啓蒙運動による全国民の覚醒によりて彼等権力者の一団を威圧して服従せしむることなりと。凡ての権利は強力の決定なり。団結に覚醒せるときに強力生ず。…国民の下層にして団結の強力なることを覚醒せざる間は権利を要求すべき基礎の強力なし。吾人はこの点に於て万国社会党大会の決議に反して日露戦争の効果を天則の名に於て讃美す。国民は団結したり。団結の強力なることは明らかに意識せられたり。 而してしょう(火・章)烟の間に翻へりたる『愛国』の旗は今や法律戦争の進撃軍の陣頭に高く掲げられたり。」(1−392頁)

  北にとって普通選挙とは、多様な利害の統合のためのものではなく、「愛国」の団結を国家意志に高めるためのものであった。そして彼がそのための啓蒙運動を戦争と徴兵制軍隊に期待していることは、さきの徴兵的労働組織の問題と合せて、北のその後をみるために注目しておかなくてはならないであろう。彼は天皇の軍隊を国民の軍隊と読みかえることでこの論を立てていると思われるが、この読みかえがそのように簡単にゆく問題でなかったことは、のちの青年将校と北との関係のなかにも現れてくる。もちろん北のこの読みかえは、さきの最高機関としての天皇の性格づけを前提としていたにちがいない。そしてその問題はもう一つの別の面でも彼の普通選挙論の暗黙の前提となっていたことであろう。

  すなわち北の憲法論から言えば、国家の最高機関は天皇と議会の合体したものとされるのであるから、たんに議会の多数を得たとしても最高機関の一部にくい込んだにすぎない。しかも彼は貴族院の問題に触れていないのだから、普選で制圧することが可能なのは衆議院だけということになる。とすれば、彼の普選=無血革命論は、普選によってその姿をあらわした社会的勢力の意志に他の国家機関が従うということが前提されねばならない。しかし事態がそのように進行するという保証は、制度的には存在せず、社会的勢力の圧倒的強さという点以外には求めえなくなる。ところで、圧倒的な社会的勢力は北の理論から言えば、国家意志を形成することになり、それは超憲法的存在となるはずであった。

  こうみてくると、彼の普選中心論は彼の理論から出てくる唯一必然の結論ではないと云わざるをえなくなる。何故なら超憲法的な力が何も普選だけにこだわることはないからである。国家の最高機関を構成する要素のうち最大の力を持つ天皇を動かした方がはるかに効果的であることは明らかであろう。もちろん当時は、後世の我々からは想像し難い程に、普選の効果が過大視されていたことが、北をこのような普選中心論に走らせたのであろうし、またそれは当時としては極めて急進的と云える議論ではあった。しかし北のこれまでつみ上げて来た理論から云えば、後年の天皇を擁したクーデターの方が、より直接的結論であるように思われるのである。

  『国家改造案原理大綱』は次の如く述べている。「挙国一人ノ非議ナキ国論ヲ定メ、 全日本国民ノ大同団結ヲ以テ終二天皇大権ノ発動を奏請シ、天皇ヲ奉ジテ速カニ国家改造ノ根基ヲ完ウセザルベカラズ」(2-219〜20頁)、「クーデターハ国家権力則チ社会意志ノ直接的発動卜見ルヘシ」(2-221頁)。そしてそれはまさに、さきに引用した「団結は勢力なり、 社会的勢力は主権なり」という13年前の一文と直結していると云えよう。そこでは普通選挙権はもはや変革の突破口ではなくなり、クーデターの下で、改造体制の一環として上から与えられるものに転化していた。

  このように、普選=無血革命論が、北の論理の筋道から云って、基礎薄弱なものであったとすれば、この普選論にみあう形で提示されている世界連邦による世界平和論が、彼の理論体系から完全にはみ出したものになることは必然であった。彼はまずその進化論の見地から、国家を発展させる基本的な力である社会の同化作用が更に拡大すれば世界大の単一社会があらわれると考える。そしてそこに至る中間頃として世界連邦による世界平和という進化の段階を設定しこれを社会主義の当面の目標にしようとするのである。つまり、階級闘争が「投票」で解決されるまでに進化したとする考え方を拡大して、国家競争をも世界連邦の連邦議会に於て解決するように進化させうるというのであった。日露戦争の勝利という状況の下で、北は帝国主義者としての興奮からさめて、帝国主義を克服する問題に眼をむけたとも言える。

  「社会主義の世界連邦論は斯の競争の単位を世界の単位に進化せしむると共に、国家競争の内容を連邦議会の議決に進化せしめんとする者なり」(1-112頁)、「社会主義の戦争絶滅は世界連邦国の建設によりて期待し、帝国主義の終局なる夢想は一人種一国家が他の人種他の国家を併呑抑圧して対抗する能はざらしむるに至らしむる平和にあり」(1-111頁)、「社会主義の世界連邦国は国家人種の分化的発達の上に世界的同化作用を為さんとする者なり」(同前) 。そして彼は、主体化した国家人格は帝国主義という野蛮な段階から世界連邦の形成へと進化するというのである。「個人が其の権威に覚醒せるとき茲に戦士となりて他の個人の上に自己の権威を加へんとする如く、君主等の所有権の下より脱したる国家は其の実在の人格たる権威に覚醒したる結果、他の国家の権威を無視して自己の其れを其の上に振はんとす。―帝国主義と云ふもの是れなり。天則に不用と誤謬となし。社会主義は国家の権威を主張すべき点に於て明らかに帝国主義の進化を継承す。即ち個人の権威を主張する私有財産制の進化を承けずしては社会主義の経済的自由平等なき如く、国家の権威を主張する国家主義の進化を承けずしては万国の自由平等を基礎とする世界連邦の社会主義なし」(1-434頁)。そして日本が帝国主義の野蛮な段階にあることを認めて、次のようにも書いた。「吾人は日本国の貴族的蛮風の自由が更に進化して文明の民主的自由となりて支那朝鮮の自由を蹂躙しつゝあるを断々として止めしめざるべからず」(1-435頁)と。

  しかしこの世界国家を展望した世界連邦による世界平和論が、理論的難点を持っていることは、おそらく北自身も気づいていたのではないかと思われる。彼は次のように書いていた。「階級的道徳、階級的智識、階級的容貌によりて今日階級闘争の行はれつゝある如く、階級間の隔絶より甚しく同化作用に困難なる今日の国家間に於ては国家的道徳国家的智識国家的容貌の為めに行はるゝ国家競争を避くる能はず」(1-432頁)。つまり、 世界連邦から世界国家への進化の推進力となるべき世界的同化作用が、どのような基礎の上に展開されるかについて、北の理論は何の解答も用意していないとうことである。彼は「経済的境遇の甚しき相違と精神的生活の絶大なる変異とが世界連邦の実現と及び世界的言語(例へぱエスペラントの如き)とによりて掃討されざる間、社会主義の名に於て国家競争を無視する能はず」(同前)として、世界連邦と世界的言語が世界的同化作用の基盤であるかのように述べているが、しかしこの説明も、そもそも世界的同化作用を前提としなければ、世界連邦の成立さえもありえないではないか、との疑問に答えることが出来ない。

  彼の進化論から云えば、国家競争は「避くる能はず」とか「無視する能はず」といった消極的に容認さるべきものではなく、人類進化のための積極的な力であり、それ故に国民の国家への集中と国家の強化とを強調した筈である。それは国家を通さない個人間の国際的連帯を否定するまでに強烈であった。彼は社会主義者の非戦論を「原子的個人を仮定して直ちに今日の十億万人を打て一丸たらしめんとする如き世界主義なり」(1-431頁〉としてしりぞけている。つまり北の理論で云えば、個人の側から国家をこえる世界的同化作用が生ずる余地はなくなってしまうのである。残る方法は、国家そのもののなかに世界への方向が内在するという論理を組む以外にはなかった。

  北は個人と国家との間に想定した関係をそのまま持ち込んで、国家は世界に対して道徳的義務を負う倫理的制度だと主張しようとする。「国家が個人の分子を包容して一個体たると共に、世界は国家を包容して其の個体の分子となす。故に個人が其れ自身を最善ならしむるは国家及び社会に対する最も高貴なる道徳的義務なる如く、国家は其の包含する分子たる個人と分子として包含せらる世界の為めに国家自身を最善ならしむる道徳的義務を有す。此の義務を果すことによりて国家はルーテルの言へる如く倫理的制度たり。然るに、個人が其の小我を終局目的として国家の利害を害するならば国家の大我より見て犯罪なる如く、 国家にして若し―否!今日の如く世界の大我を忘却し国家の小我を中心として凡ての行動を執りつゝあること帝国主義者の讃美しつゝある如くなるは、実に倫理的制度たるを無視せる国家の犯罪なり」(1-122頁)と。

  しかし、彼が社会=大我、個人=小我と述べた際には、個人は社会のなかでしか生きられず、 そこから社会を強めようとする意識が生まれるという点を基礎としたのであった。また国家は 国家意識にもとづいた社会的勢力によって規制される筈であった。とすれば、社会と個人との関係をそのままあてはめて、国家=小我、世界=大我とする主張は、彼のこれまでの理論の展開からはづれたものと言わざるを得ない。彼の理論展開からすれば、問題はあくまでも、個人―国家―世界の3段階を切り離すことなく、その進化の筋道を説明しなければならなかったと考えられる。彼は進化を倫理的価値の実現とみるのであるから、帝国主義→世界連邦→世界国家が進化の必然の過程であるということを証明したうえで、国家は世界連邦実現の倫理的義務を負うと主張するのでなければ、彼は自ら設定した論理の手続きを無視するものと評されても致方あるまい。つまり、帝国主義から世界連邦への進化の必然を説くことなく、「社会主義は近代に入りて漸く忠君より覚醒せる愛国心を更に他の国家に拡充せしめて他の国家の自由独立を尊重する所の愛国心なり」(1-381頁)などと説くことは、北自身の進化論的見方と相反して いるということなのである。

  では北の進化論を世界国家に向っておしすすめてみるとどういうことになるのであろうか。彼が想定した進化の基本的な形は、社会従って国家が拡大し、そのなかでの国民の同化作用と分化作用とが進行する、それによって強化された社会=国家が生存競争のなかで更に自らを拡大してゆくというものであった。従って単一の世界社会=世界国家もこの基本形の進行のはてに設定されねばならなかった筈である。つまり現実の国家を固定しておきながら、その国家をこえる世界的同化作用を考え、世界連邦の実現を説くのではなしに、現実の国家の拡大による同化作用の拡大が世界にまで達するというのが、北の進化論から出てくる結論だったと思われるのである。

  ここでもまた、後年の『国家改造案原理大綱』の方が、この結論に忠実なのではないかと思われてくるのである。『原理大綱』は「国家改造ヲ終ルト共二亜細亜連盟ノ義旗ヲ飜シテ真個到来スベキ世界連邦ノ牛耳ヲ把」(2-220頁)ることを目的とする。しかしこの亜細亜連盟から世界連邦への道は、『国体論及び純正社会主義』に於ける世界連邦による世界平和論とは本質的に異っている。『原理大綱』の説く展望は次のようなものであった。「現時マテノ国際的戦国時代二亜イテ来ルヘキ可能ナル世界ノ平和ハ必ス世界ノ大小国家ノ上二君臨スル最強ナル国家ノ出現ニヨツテ維持サル丶封建的平和ナラサルベカラズ。…全世界二与ヘラレタル当面ノ問題ハ何ノ国家何ノ民族ガ徳川将軍タリ神聖皇帝タルカノ一事アルノミ」(2-280〜1頁)。つまりこの世界連邦は、連邦議会で国家競争を解決するようなものではなく、最強の国家が君臨することを予定したものにほかならなかった。北の云う国家改造が日本をこの最強国家たらしめんとするものであることは云うまでもないが、同化作用もまた─この用語は使われなくなっているが─この過程と共に進展するものとされているのである。例えば、彼は改造国家の教育に於て「英語ヲ廃シテ国際語(エスペラント)ヲ課シ第二国語トス」ることとしたが、その理由として次のように述べている。

  「国際語ノ採用ガ特二当面二切迫セル必要アリト言フ積極的理由ハ…日本ハ最モ近キ将来二於テ極東西比利亜濠洲等ヲ其ノ主権下二置クトキ現在ノ欧米各国語ヲ有スル者ノ外二新タニ印度人、支那人、朝鮮人ノ移住ヲ迎フルガ故二殆卜世界凡テノ言語ヲ我ガ新領土内二雑用セシメザルベカラズ。此二対シテ朝鮮二日本語ヲ強制シタル如ク我自ラ不便二苦シム国語ヲ比較的良好ナル国語ヲ有スル欧人二強制スル能ハズ。印度人支那人ノ国語亦決シテ日本語ヨリ劣悪ナリト言フ能ハズ。…言語ノ統一ナクシテ大領土ヲ有スルコトハ只瓦解二至ルマテノ槿花一朝ノ栄ノミ」(2-253頁)と。それは大帝国内部に於て、エスペラントによってより広汎な同化作用を推進するということにほかならないであろう。また世界的同化作用については「東西文明 ノ融合トハ日本化シ世界化シタル亜細亜思想ヲ以テ今ノ低級文明国民ヲ啓蒙スルコトニ存ス」(2-280頁)と述べているが、これもまた大帝国の建設を前提としていることは言うまでもないであろう。

  北が『国体論及び純正社会主義』に於て、一方で、「国家の強化拡大を熱望しその理論的基礎づけに狂奔する強烈な国家主義者としての自己をあらわにしながら、他方、その社会主義運動論の結論として普選=無血革命論、世界連邦=世界平和論を説いたことは、恐らく日露戦争の勝利によって帝国主義国家としての日本の地位が確立したという現実と、日露戦争にあらわれた国民のエネルギーを、彼の云う国家主義としての社会主義の方向に誘導しうるという期待とにもとづいていたことであろう。そしてこの点において変らなかったならば、彼が、その進化論の必然的帰結とは言えない社会主義運動論を維持しつづけるということもありえたかもしれない。

  しかし彼は、中国革命という新たな状況のなかに身をおくことによって、中国革命に対応する日本の改造という新たな視点を獲得し、それと共にかつての社会主義運動論を捨て去ってゆくのであった。

〔未 完〕

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