次に被支配階級に力点を置いた成果として、まず日比谷焼打事件から大隈内閣までを対象とした信夫清三郎「大正デモクラシー史T」(日本評論新社)をあげることができる。本書は現代日本政治の第1巻として刊行されたものであるが、前著「大正政治史」を補完するものとして、その中心課題を、大正デモクラシーの担い手である民衆運動の解明に求め、個々の事件について極めて詳細な叙述を展開する。著書は、この時期の民衆運動の性格を、支配階級のなかにできた割れ目に向って被支配階級の不満と憤慨とが決潰したものであるが、プロレタリアートの未成熟と主体的条件の欠除=組織の欠除のため革命への発展を持たなかったのみでなく、かえってブルジョア民族主義運動にのせられて行った、として、支配階級との連関に於て把えている。即ち民衆運動に於ける政党の指導が重視されている訳であるが、そこに現れたブルジョア的性格と民族主義的性格との内的連関は充分には明かではない。亦、大正政変については、護憲運動の発端を交詢社に求め、金融ブルジョアジー内部における特権的政商的資本家と、産業資本に基礎を置いた資本家との対立が指摘されるのであるが、全国的に展開された商業会議所の運動に触れていないのは疑問である。信夫氏のものとしては他に、「明治末期の民衆運動」(戸沢鉄彦教授還暦記念論文集「ブルジョア革命の研究」所収・日本評論新社)、「明治末年」(「歴史教育」二−二)がある。
日本革命運動史上に劃期的意義を持つ米騒動については、庄司吉之助「米騒動の展開過程―資料的にみた全国米騒動と福島県の場合」(「歴史評論」58・59)、長谷川博・増島宏「『米騒動』の第一段階―現地調査を中心として―」(「社会労働研究」一,二)が公けにされた。まず庄司氏は、当時の資本主義の構造及び階級闘争の展開についての分析の上に立って全国米騒動を概観し、ついで福島県下の場合を、産業構成を異にする地域別にとりあげその各々の特徴を調べることにより、資本の状態との関連に分析の重点を置いた。これに対して長谷川・増島氏の論文は、富山県下の現地調査を中心とし、この地域における米騒動の歴史的伝統、騒動そのものの経過、参加者の階層の分析、支配階級の対応などについての詳細な研究として注目されるものである。特に、その指導に関して、一貫した指導部は形成されなかったが、一次的に地域的には自然発生的に指導集団が形成されたとする指摘や全国米騒動についての段階規定を提示している点は重要である。
労働運動・反戦運動等に関しては次の様なものがみられる。荒畑寒村「ひとすぢの道」(慶友社)、松下芳男「反戦運動」(元々社)、渡辺徹「明治前期の労働争議―三十年以前の争議事例の紹介―」(京都大学人文科学研究所「創立廿五周年記念論文集」所収)、大野盛直「別子労働争議の研究―大正十三〜十五年」(「愛媛大学地域社会総合研究所研究報告Aシリーズ」一)、森本憲夫「愛媛県における労働運動(黎明期)―日本労働運動の一展開―」(同上二)、篠崎勝「産業革命期における今治綿業労働者の形成」(「愛媛歴史学報」三)、坂本清一郎「水平社の生れるまで」(「部落」53)。 原始社会から明治に至る通史として、家永三郎『日本道徳思想 史』(岩波全書)が刊行されたことは、思想史の分野における注 目に価する成果であつた。本書は、第十章市民の道徳思想に於て、 明治前期の近代市民精神の発生を高く評価し、それが、国権主義 の強化と共に退化して行ったことを、第十一章勤労民衆の道徳思 想の誕生では、勤労民衆の道徳思想が近代的労働者の成長を背景 としつゝおゝむね市民的思想家の反省によって生み出されたこと を指摘している。本書にっいては、尾藤正英氏の書評 (「歴史学 研究」一七三)と著者の反論(「歴史学研究」一七六)がある。家永氏 が、個々の階級の道徳思想の特長を、いわば静態的に把えること に重点を置かれているのに対して、明治の在野思想の運命を動態 的に解明しようとしたものとして松本三之介「明治思想における 政治と人間」(「思想」一二月号)をあげることができる。氏はまず 自由民権時代を政治的価値の優位の時代とされ、「国民の友」「日 本人」等の出現を以て、この優位を克服し、多元的価値の併存と いう市民社会のあるべき姿を方向ずけたものと評価する。しかし これらの思想は、日清戦争というプリズムを通過することにより その固有の屈折を明かにし、その一は、国家機構にくり込まれ官 僚主義のとりことなり、他は非政治的な場からの現実政治への批 判者となるとして、明治後期の思想を「蘇峯的国家主義と鑑三らの反国家的個人主義との中間領域が実は原点を国家主義に固着したところの振幅である」という構造に於て把えている。しかしここでは、思想の階級的性格が捨象され、思想史が、思想の外的状 況に対する適応に力点を置いて把握されており、権力に対する対抗関係が充分明確でないために、思想の現実的機能があいまいである等のうらみがある。民友社については、大久保利謙「民友社の維新史観」(「日本歴史」10月号)があるが、その中で「国民の友」初期の蘇峯を「地主的」と規定しているのが注目された。 他に思想家を中心とした向坂逸郎編『近代日本の思想家』 (和光社)、大井正『日本の思想家』 (青木新書)がある。前者が各思想家についての概説であるのに対して、後者は主要な思想家をあげて、民主・自由・天皇・自然の問題別に考察している点ユニークである。この様な思想史・思想家研究と若干系列を異にするものとして、埋れた思想家・民衆の指導者等を発掘しようとする努力が続けられている。代表的なものとしては木下尚江の研究をあげうるが、今年度には、山極圭司「民主々義の戦士・木下尚江」 (「歴史評論」55)、村井康男「木下尚江考」(「社会労働研究」1)、 山岡桂二「明治思想史に於ける政治と文化の問題―木下尚江の場合―」(「大阪学芸大学紀要」A・人文科学2)等の成果がみられた。特に山程氏の論文は、天皇制に対する対決の点から尚江の生涯を 把えたもので注目された。他に和田久次「山田キリ小伝」(「歴史 評論」51)、中沢市郎「田島梅子小伝覚書」(「歴史評論」55)がある。この様な成果とほゞ同一の問題意識に立つものに、雑誌「世界」が企画した一連の特輯がある。即ち、林茂・遠山茂樹 「座談会・児島惟謙の功績―大津事件と司法権の独立について―」 (1月号)、遠山茂樹「失はれた自由の歴史」、隅谷三喜男「天皇制の確立とキリスト教」、磯野誠一「政府と大学」(以上2月号)、小野秀雄「新聞の発達とその自由」、鈴木安蔵・伊藤整・西田長寿「座談会・自由民権と新聞」、長谷川如是閑・丸山幹治・杉村武「座談会・時代と新聞」(以上7月号)、林茂・荒畑寒村・柳田 泉・楫西光速・塩田庄兵衛「田中正造」(9月号)、小島(しめすへん+右)馬・遠 山茂樹・林茂・大久保利謙「中江兆民」(12月号)等であるが、特に、「田中正造」に於いて、彼の立場が、村落共同体の自治制をまもるというカッコつきの「民主々義」的伝統を基盤として、農民の側に立つものであり、鉱毒問題をめぐる農民運動も、農民一揆の最終的な形態と云えるのではないかと指摘されている点、亦「中江兆民」に於いて兆民の悲劇が、絶対主義打倒の具体的手がゝりを階級関係の中に見出し得ず、対外的緊張に求めなければ ならなかつたとする指摘などには注目すべきであろう。
|