『帝国議会誌』第31巻

1978年1月

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第七二回帝国議会 貴族院・衆議院解説


 

古屋 哲夫

 

第七二回帝国議会 貴族院解説
第七二回帝国議会 衆議院解説

第七二回帝国議会 貴族院解説
日中全面戦争へ
第七二回議会の召集
貴族院の状況

第七二回帝国議会 貴族院解説



日中全面戦争へ

 第七一回議会の閉院式が行われた翌日、1937(昭和12)年8月9日、今度は上海で海軍陸戦隊の大山勇夫中尉が中国保安隊に射殺されるという事件が起こった。当時の華中の警備責任は海軍とされており、軍令部は早速、事件責任者の陳謝及び処刑、保安隊員数・装備・駐屯地の制限、陣地の防禦施設の撤去、その実行を監視する日華兵団委員会の設置、排・抗日の取締り励行などの要求事項とともに、「支那側当事者に於て之が解決実行に対し誠意を示さざるに於ては、実力を以て之を強制するも敢て辞せざる決意あるを要す」(「現代史資料9・日中戦争(二)」、192頁)との方針を決定、 11日には、艦隊を増派し、陸戦隊を増強するなどの措置をとった。

  しかしこの増強は中国側を強く反発させ、国民政府は中央軍二個師団を上海に送り込むなど、上海地区に最精鋭六個師団を配置して抵抗態勢を強化した。中央軍は12日未明より続々と上海に到着、「上海今や戦争一歩前」(東朝、8・13)と報ぜられた。そして遂に13日朝から日中両軍の衝突が始まり、翌14日には、中国空軍が日本艦艇への爆撃を企てるという事態にまで発展した。もっとも爆撃そのものは、日本車の反撃によって成功せず、フランス租界に爆弾を投じて二千余名の死傷者を出すという結果に終わったが、ともかくもこの中国空軍の出勤は日本側に大きな衝撃を与えた。

  政府は14日午後10時半から深夜にわたる緊急閣議を開き、15日午前1時半にいたって、「帝国としては最早隠忍その限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し以て南京政府の反省を促す為今や断乎たる措置をとるの已むなきに至れり」との声明を発表した。それは実質的には宣戦布告ともいえるものであり、この戦争の目的は「支那における排外抗日運動を根絶し今次事変の如き不祥事発生の根因を芟除すると共に、日満支三国間の融和提携の実を挙げんとする」(東朝、8・15) にあると述べていた。そして、この15日には、第3、 第11師団を基幹とする上海派遣軍(司令官、松井石根大将)の編成が発令された。しかし抗日運動の根絶のためには、全中国人民を敵とする長期戦におちいるこ とは必然であった。従って事変不拡大を唱える石原莞爾参謀本部作戦部長らは、上海への陸軍派遣に反対し、 結局妥協したものの、上海付近の戦闘を出来るだけ小範囲に抑えようとしていた。松井司令官に与えられた命令は「上海並其北方地区ノ要線ヲ占領シ帝国臣民ヲ保護スヘシ」(「日中戦争(二)」、206頁)とし、いわば居留民保護に主任務を限定するものであり、大上段にふりかぶった政府声明とは対照的なものであった。石原はのちに「今次の上海出兵は海軍が陸軍を引摺って行ったものと云っても差支へないと思ふ」(同前、307頁)と回想している。

  しかし一度出兵してしまうと、あとは敵の戦力を打破できるまで増兵することになるのは避けられなかった。中国空軍に対抗して15日には海軍航空隊が、杭州・南昌・南京の航空基地に爆撃を加えたが、とくに首都南京の爆撃は、全面戦争への突入を強く印象づけるものであった。同じ日、中国側では蒋介石が陸・海・空三軍総司令に就任して国民に対する総動員を命令、 ついで22日陝西の紅軍が第八路軍に改編、さらに9月6目陝甘寧ソビエト政府が辺区政府と改称されるなど、国共合作による抗日統一戦線は現実のものとなって具体化していった。事態は明らかに全面戦争の局面に入りj中国の抗日の気運が高揚していることは、上海の激戦にもあらわれていた。

  上海派遣軍に編成された二個師団が上陸を開始して戦闘に参加したのは、8月23日であったが、この兵力では、中国軍の抵抗を排除することができず、「9月1日には、さきに青島上陸のため大連に控置していた天谷支隊を、また9月7日には、台湾守備隊をもって編成した重藤支隊(支隊長、重藤千秋少将)を上海に増援 したが、中国軍の兵力はますます増大し、第19路軍 に包囲されるようになり、第3、第11師団は戦闘1ヵ月にもならないのに非常な損害を被った」(防衛庁戦史室「大本営陸軍部(一)」、476頁)。そして9月11日 には内地より新たに第9、第13、第101の三個師団の増派が決定・発令され、これを機に、これまで「焼け石に水」として増兵に反対していた石原作戦部長は 遂に辞任を申し出、9月23日関東軍参謀副長に転出 していった(後任、下村定少将)。しかしこの五個師団 をもってしても、上海戦線は膠着状態がつづき、10月20日には新たに第10軍の編成が発令され、11月5日の杭州湾上陸によってようやく上海地区の制圧に成功するといった有様であった。

  しかもこの間、華北でも戦争は本格化しつつあった。 この方面では、7月28・29日の総攻撃で北平・天津地区を占領した支那駐屯軍は、内地より三個師団(第5・第6・第10)の集中をまって、保定付近で中国中央軍と決戦を行うことを想定していた。しかし中央軍の進出は予想より早く、湯恩伯軍が察哈爾省に入り、 北平北西40キロの南口にまで出現したため、南進の前にまず北方の敵を撃破するという予定外の作戦を実施せざるを得なくなった。そこで支那駐屯軍司令部は、 第5師団及び独立混成第11旅団をもって、南口から八達嶺に至る線を占領して長城線を確保したうえ、主力を反転させることとし、8月11日から南口攻撃が開始された。「しかし中央軍は、しきりに兵力を増加 してきたため、攻撃が進展せず苦境に陥った。特に衛立煌の指揮する三個師は、保定付近から山中を北西進して第五師団の左側背を衝いた。支那駐屯軍は集めうる兵力を注ぎ込んで、かろうじてその破綻を防止」(同前、464頁)するという有様であり、長城線占領に8月末までの期間を費している。

  こうした予想外の察哈爾作戦の必要とその苦戦から、それまでに華北に集中されていた四個師団(朝鮮より一師、内地より三師)では、保定作戦の遂行は困難と判断されるに至り、8月31日、さらに四個師団(第14・第16ハ・第108・第109師団)を動員し、従来の支那駐屯軍を、第一軍、第二軍より成る北支那方面軍に改編する旨発令された。方面軍司令官には寺内寿一大将が任命され、第七二回議会の開院式の行われた9月4日、天津に到着、保定攻撃準備を命じているが、 寺内に与えられた任務は、「敵ノ戦争意志ヲ挫折セシメ戦局終結ノ動機ヲ獲得スル目的ヲ以テ速ニ中部河北省ノ敵ヲ撃滅スヘシ」(「日中戦争(二)」、36頁)というものであり、もはや武力行使が、居留民保護や局地的占領を目的とするものではなく、「敵ノ戦争意志ヲ挫折セシメ」るための、全面戦争の段階にはいったことを明示していた。



第七二回議会の召集


  第七二回議会は、日中戦争の全面化にともなう緊急措置のための臨時議会として、8月24日公布の召集詔書により、9月3日召集された。会期5日間で9月4日開院式、9月8日予定通り会期を終わっている。

  この臨時議会が必要とされた直接の契機は、前述したような、上海への陸軍(上海派遣軍)出兵により、事変不拡大の方針が公式に破棄されたことであった。8月15日「暴支膺懲」の声明を発した近衛内閣は、翌々17日午前の閣議で、次のような決定を行っている。
 

 

「(一)従来執り来れる不拡大方針を抛棄し、戦時態勢上必要なる諸般の準備対策を講ず。
 (二)拡大せる事態に対する経費支出の為来9月3日 頃臨時議会を召集す。開院式は御都合を伺ひ決定す。尚会期は開院式の日を加へ約5日とす」(同前、34頁)。  

 この議会召集時には華北8個師団、上海2個師団、 計10個師団がすでに中国戦線に動員され、議会閉会直後の上海3個師団増派を加えれば、13個師団に達するのであり、こうした大規模な出兵を支えるためには、国家総動員の発動が必要とされた。例えば陸軍が「現に貯蔵している弾薬量は、戦時計画上の兵力30師団に対する4ヵ月分で、15個師団を使用すると しても、8ヵ月充当できるにすぎない。軍需動員の発足が叫ばれた。これを要するに、能うかぎりの努力が払われたが、わが陸軍の作戦能力は底の浅いものであった」(「大本営陸軍部(一)」、462頁)といわれる。この臨時議会の召集は、日中全面戦争の緒戦において早くも、戦時態勢への移行が必要となったことを示すものであった。

  この議会での議長・副議長、全院・常任委員長、国務大臣、政府委員、議員の会派別所属は次の通りであ った。

議長   松平 頼寿(伯爵・研究会)
副議長   佐々木 行忠(侯爵・火曜会)
     
全院委員長   徳川 圀順(公爵・火曜会)
     
常任委員長    
  資格審査委員長 柳原 義光(伯爵・研究会)
  予算委員長 林 博太郎(伯爵・研究会)
  懲罰委員長 大久保 利武(侯爵・研究会)
  決算委員長 東久世 秀雄(男爵・公正会)
     
国務大臣    
  内閣総理大臣 近衛 文麿
  外務大臣 広田 弘毅
  内務大臣 馬場 ^一
  大蔵大臣 賀屋 興宣
  陸軍大臣 杉山  元
  海軍大臣 米内 光政
  司法大臣 塩野 季彦
  文部大臣 安井 英二
  農林大臣 有馬 頼寧
  商工大臣 吉野 信次
  逓信大臣 永井 柳太郎
  鉄道大臣 中島 知久平
  拓務大臣 大谷 尊由
     
政府委員(9・3発令)    
  内閣書記官長 風見  章
  法制局長官  滝  正雄
  法制局参事官 樋貝 詮三
  森山 鋭一
  企画庁調査官 中村 敬之進
  資源局長官 松井 春生
  対満事務局事務官 竹内 徳治
  情報委員会事務官 横溝 光暉
  関東局事務官 大塚 喜一
  外務政務次官 松本 忠雄
  外務参与官 船田  中
  外務省東亜局長 石射 猪太郎
  外務省通商局長 松嶋 鹿夫
  外務書記官 土田  豊
  内務政務次官 勝田 永吉
  内務参与官 木村 正義
  内務省地方局長 坂  千秋
  内務省警保局長 安倍 源基
  内務書記官 熊谷 憲一
  社会局長官 大村 清一
  社会局部長 山崎  巌
  大蔵政務次官 太田 正孝
  大蔵参与官 中村 三之丞
  大蔵省主計局長 谷口 恒二
  大蔵省主税局長 大矢 半次郎
  大蔵省理財局長 関原 忠三
  大蔵省銀行局長 入間野 武雄
  大蔵省為替局長 上山 英三
  大蔵書記官 山田 鉄之助
  氏家  武
  預金部資金局長 広瀬 豊作
  陸軍政務次官 加藤 久米四郎
  陸軍参与官 比佐 昌平
  陸軍中将 後宮  淳
  陸軍主計少将 石川 半三郎
  陸軍主計大佐 栗橋 保正
  海軍政務次官 一宮 房治郎
  海軍参与官 岸田 正記
  海軍主計中将 村上 春一
  海軍中将 豊田 副武
  海軍主計大佐 山本 丑之助
  司法政務次官 久山 知之
  司法参与官 藤田 若水
  司法書記官 斎藤 直一
  文部政務次官 内ヶ崎 作三郎
  文部参与官 池崎 忠孝
  文部省専門学務局長 山川  健
  文部省普通学務局長 藤野  恵
  文部省社会教育局長 田中 重之
  文部書記官 橋本 政実
  農林政務次官 高橋 守平
  農林参与官 助川 啓四郎
  農林省農務局長 小浜 八弥
  農林省米穀局長 荷見  安
  農林書記官 周東 英雄
  馬政局長官 村上 竜太郎
  商工政務次官 木暮 武太夫
  商工参与官 佐藤 謙之輔
  商工省工務局長 小島 新一
  商工書記官  波江野 繁
  貿易局長官 寺尾  進
  逓信政務次官 田島 勝太郎
  逓信参与官 犬養  健
  逓信省管船局長 小野  猛
  逓信省経理局長 手島  栄
  鉄道政務次官 田尻 生五
  鉄道参与官 金井 正夫
  鉄道省経理局長 池井 啓次
  拓務政務次官 八角 三郎
  拓務参与官 伊礼  肇
  拓務省殖産局長 植場 鉄三
  拓務書記官 副島  勝
  朝鮮総督府財務局長 林  繁蔵
  台湾総督府財務局長 嶺田 丘造
     
政府委員追加(会期中発令)    
  司法省民事局長 大森 洪太
  司法省刑事局長 松阪 広政
  商工省統制局長 黒田 鴻五
     
会派別所属議員氏名    
開院式当日各会派所属議員数    
  研究会 163名
  公正会 66名
  火曜会 43名
  交友倶楽部 35名
  同和会 34名
  同成会 22名
  会派に属さない議員 49名
  412名
     
研究会    
  大久保 利武
  黒田 長成
  林 博太郎
  橋本 実斐
  堀田 正恒
  川村 鉄太郎
  樺山 愛輔
  副島 道正
  黒木 三次
  柳原 義光
  松平 頼寿
  松木 宗隆
  二荒 芳徳
  後藤 一蔵
  児玉 秀雄
  有馬 頼寧
  酒井 忠克
  酒井 忠正
  溝口 直亮
  山田 秀夫
  岩城 隆徳
  伊東 二郎丸
  井上 勝純
  井上 匡四郎
  今城 定政
  池田 政時
  伊集院 兼知
  西大路 吉光
  西尾 忠方
  西四辻 公尭
  保科 正昭
  豊岡 圭資
  戸沢 正己
  土岐  章
  富小路 隆直
  大岡 忠綱
  大河内 輝耕
  大久保 立
  岡部 長景
  織田 信恒
  渡辺 千冬
  加藤 泰通
  片桐 貞英
  米田 国臣
  米津 政賢
  吉田 清風
  立花 種忠
  立見 豊丸
  高橋 是賢
  高木 正得
  冷泉 為男
  曽我 祐邦
  鍋島 直縄
  裏松 友光
  梅園 篤彦
  梅小路 定行
  植村 家治
  野村 益三
  薮  篤麿
  前田 利定
  松平 忠寿
  松平 直平
  松平 康春
  松平 保男
  蒔田 広城
  増山 正興
  舟橋 清賢
  青木 信光
  綾小路 護
  秋月 種英
  秋元 春朝
  秋田 重季
  安藤 信昭
  実吉 純郎
  清岡 長言
  水無瀬 忠政
  三室戸 敬光
  三島 通陽
  白川 資長
  新庄 直知
  毛利 元恒
  松平 乗統
  京極 高修
  谷  儀一
  八条 隆正
  市来 乙彦
  磯村 豊太郎
  今井 伍介
  馬場 ^一
  八田 嘉明
  板西 利八郎
  西野  元
  堀 啓次郎
  堀切 善次郎
  大橋 新太郎
  大谷 尊由
  太田 政弘
  大塚 惟精
  小倉 正恒 
  若林 賓蔵
  金杉 英五郎
  根津 嘉一郎
  内藤 久寛
  潮 恵之輔
  山岡 万之助
  山川 端夫
  藤原 銀次郎
  藤山 雷太
  木場 貞長
  三井 清一郎
  宮田 光雄
  勝田 主計
  関屋 貞三郎
  松村 真一郎
  藤沼 庄平
  黒崎 定三
  有賀 光豊
  松本  学
  遠藤 柳作
  今井田 清徳
  大橋 八郎
  白根 竹介
  林 頼三郎 
  下村  宏
  深井 英五
  伍堂 卓雄
  結城 豊太郎
  島根 糸原 武太郎
  北海道 板谷 宮吉
  佐賀  石川 三郎
  千葉 浜口 儀兵衛
  長崎 橋本 辰二郎
  和歌山 西本 健次郎
  東京 細田 安兵衛
  福井 山田 仙之助
  福岡 大藪 守治
  福島 金成  通
  北海道 金子 元三郎
  神奈川 上郎 清助
  京都 風間 八左衛門
  新潟 高島 順作
  東京 小野 耕一
  山梨 名取 忠愛
  愛媛 仲田 伝之(長+公)
  静岡 中村 円一郎
  熊本 長野 忠次
  岐阜 上松 泰造
  高知 野村 茂久馬
  京都 大沢 徳太郎
  栃木  久保 市三郎
  鹿児島 久米田 新太郎
  熊本 山隈  康
  鳥取 米原 章三
  兵庫 松岡 潤吉
  埼玉 松本 真平
  宮城 氏家 清吉
  徳島 三木 与吉郎
  新潟 白勢 春三
  沖縄 平尾 喜三郎
  大阪 森 平兵衛
  静岡 鈴木 幸作
  鹿児島 上野 喜佐衛門
  兵庫 滝川 儀作
     
公正会    
  岩村 一木
  岩倉 道倶
  伊藤 一郎
  伊藤 文吉
  井田 磐楠
  稲田 昌植
  井上 清純
  今園 国貞
  今枝 直規
  伊江 朝助
  原田 熊雄
  橋元 正輝
  本多 政樹
  東郷  安
  徳川 喜翰
  長  基連
  小畑 大太郎
  大井 成元
  大蔵 公望
  大森 佳一
  奥田 剛郎
  沖  貞夫
  渡辺  汀
  渡辺 修二
  加藤 成之
  金子 有道
  郷 誠之助
  高崎 弓彦
  高木 喜寛
  園田 武彦
  辻  太郎
  鍋島 直明
  中村 謙一
  黒田 長和
  山根 健男
  矢吹 省三
  松岡 均平
  松尾 義夫
  松平 外与麿
  深尾 隆太郎
  福原 俊丸
  近藤 滋弥
  有地 藤三郎
  赤松 範一
  足立  豊
  浅田 良逸
  佐藤 達次郎
  安場 保健
  阪谷 芳郎
  坂本 俊篤
  紀  俊秀
  北島 貴孝
  菊池 武夫
  肝付 兼英
  三須 精一
  東久世 秀雄
  関  義寿
  千田 嘉平
  千秋 季隆
  周布 兼道
  杉渓 由言
  安保 清種
  松田 正之
  飯田 精太郎
  前田  勇
  松村 義一
     
火曜会    
  伊藤 博精
  一条 実孝
  徳川 家達
  徳川 圀順
  鷹司 信輔
  九条 通秀
  山県 有道
  近衛 文麿
  三条 公輝
  島津 忠重
  島津 忠承
  岩倉 具栄
  池田 仲博
  細川 護立
  徳川 頼貞
  徳川 義親
  大隈 信常
  鍋島 直映
  中山 輔親
  中御門 経恭
  野津 鎮之助
  蜂須賀 正
  山内 豊景
  山階 芳麿
  前田 利為
  松平 康昌
  久我 通顕
  西郷 従徳
  西郷 吉之助
  佐竹 義春
  佐々木 行忠
  木戸 幸一
  菊亭 公長
  四条 隆愛
  広幡 忠隆
  小村 捷治
  池田 宣政
  東郷  彪
  井上 三郎
  筑波 藤麿
  伊達 宗彰
  浅野 長之
  嵯峨 公勝
     
交友倶楽部    
  勅男 山本 達雄
  犬塚 勝太郎
  橋本 圭三郎
  岡  喜七郎
  若尾 璋八
  和田 彦次郎
  川村 竹治
  芳沢 謙吉
  竹越 与三郎
  長岡 隆一郎
  中川 小十郎
  中村 純九郎
  室田 義文
  内田 重成
  鵜沢 総明
  小久保 喜七
  古島 一雄
  佐藤 三吉
  水野 錬太郎
  鈴木 喜三郎
  出光 佐三
  宮崎 岩崎 清行
  山口 林 平四郎
  香川 大西 虎之助
  滋賀 吉田 羊治郎
  埼玉 田中 徳兵衛
  青森 宗野 勇作
  岡山 山上 岩二
  茨城 青木 歳次郎
  千葉 三橋  弥
  広島 水野 甚次郎
  群馬 渋沢 金蔵
  愛知 下出 民義
  大分 久恒 貞雄
  秋田 辻  兵吉
  勅男 若槻 礼次郎
  勅男 幣原 喜重郎
  岩田 宙造
  稲畑 勝太郎
  徳富 猪一郎
  大島 健一
  岡田 文次
  織田  万
  門野 幾之進
  各務 鎌吉
  嘉納 治五郎
  田所 美治
  永田 秀次郎
  野村 徳七
  倉知 鉄吉
  松浦 鎮次郎
  真野 文二
  江口 定条
  有吉 忠一
  赤池  濃
  安立 綱之
  光永 星郎
  土方 久徴
  仁井田 益太郎
  辜  顕栄
  宇佐美 勝夫
  佐藤 鉄太郎
  松井  茂
  小幡 四吉
  小野寺 長治郎
  広島 松本 勝太郎
  三重 小林 嘉平治
  大阪 佐々木 八十八
  山形 三浦 新七
     
同成会    
  伊沢 多喜男
  加藤 政之助
  川上 親晴
  高田 早苗
  武富 時敏
  塚本 清治
  次田 大三郎
  丸山 鶴吉
  青木 周三
  菊池 恭三
  三宅  秀
  柴田 善三郎
  菅原 通敬
  中川 健蔵
  富山 金岡 又佐衛門
  茨城 大和田 健三郎
  奈良 山本 米三
  長野 小坂 順造
  岡山 坂野 鉄次郎
  福島 油井 徳蔵
  神奈川 平沼 亮三
  長野 武井 覚太郎
     
会派に属さない議員    
  雍仁親王
  宣仁親王
  崇仁親王
  載仁親王
  博恭王
  博義王
  武彦王
  恒憲王
  朝融王
  守正王
  多嘉王
  鳩彦王
  孚彦王
  稔彦王
  永久王
  恒徳王
  春仁王
  盛厚王
  大山  柏
  西園寺 公望
  毛利 元昭
  徳大寺 実厚
  朴  泳孝
  醍醐 忠重
  小松 輝久
  華頂 博信
  中島 久万吉
  勅男 松井 慶四郎
  渡辺  暢
  樺山 資英
  田沢 義鋪
  黒田 英雄
  松本 烝治
  二上 兵治
  福永 吉之助
  後藤 文夫
  土方  寧
  小山 松吉
  河田  烈
  平生 釟三郎
  出渕 勝次
  小原  直
  吉田  茂
  広田 弘毅
  小野塚 喜平次
  田中館 愛橘
  三上 参次
  長岡 半太郎
  岩手 瀬川 弥右衛門

なお、この議会の会期中には、議員の移動はなかっ た。



貴族院の状況

 この議会ではまず、9月4日の開院式において、宣戦の詔勅に代わるものともいえる異例の勅語が下された。そこでは戦争の原因は中華民国が「深ク帝国ノ真意ヲ解セス濫二事ヲ構へ」たことにあるとし、また戦争の目的は「一ニ中華民国ノ反省ヲ促シ速二東亜ノ平和ヲ確立セムトスルニ外ナラス」と述べられている。また翌日の施政方針演説では近衛首相は「帝国ノ打撃ヲ加ヘムトスル目標ハ、斯カル誤レル排外政策ヲ実行シツツアル所ノ支那政府及軍隊デアリマシテ、帝国ハ断ジテ支那国民ヲ敵トスルモノデハナイノデアリマス」 (速記録第2号)とし、長期戦も辞せずとの決意を表明 した。しかしこれらの勅語や演説で、どこまでゆけば戦争をやめるのかという具体的目標が示されたわけではなかった。

  例えば東京朝日は、8月24日「戦争目的を諒解させよ」との社説をかかげ、出兵の目的が「自衛のため」 から「支那の反省を求めるため」、「支那を膺懲はするが最後の目的は提携にある」と変化してきたことを指摘しながら、もし提携が目的であるなら、中国民衆に対して「北支をどう収めるか」、「いはゆる提携のため には南京政府をどこへ持って行くか、飽くまで蒋介石を打倒するか、我方の膺懲により或程度に改造された新政府ならば我慢すべきであるか、或は全然根本的に異る主義政綱の新政府を必要とするか」という二つの点を明確にしておくべきではないかと問うた。しかし政府にそうした問に答える用意のなかったことは、翌38(昭和13)年1月に、国民政府を相手とせずと声明するかと思えば、すぐにその実質的取り消しをはかったりといったその後の動揺ぶりをみても明らかであろう。

  この議会に政府から提出されたのは、追加予算案・ 臨時軍事費予算案のほか、法律案11件であったが、そのすべてが成立している。議案はすべて、日中戦争の全面化にともなう経費と、厖大な軍需をまかなうための態勢づくりを目的とするものであった。まず、軍事費は20億2干余万円にのぼったが、臨時軍事費特別会計法により、一般会計と区別して、事変終結までを一会計年度とする特別会計を設けて処理することとされた。法律案中、重要なものとしては、臨時資金調整法案・輸出入品等臨時措置法案などがあるが、前者は一定規模以上の企業の設立・拡張に必要な資金の需給を政府の許可制のもとにおこうとするものであり、後者は政府に特定物品の輸出入を制限・禁止する権限を与えただけでなく、その物品を原料とする製品の製造・配給・消費などを統制する権限をも与えるものであった。これより10月11日には早速、毛製品ステーブルファイバー等混用規則が出され、一般民需用の毛糸・毛織物などにはスフの混用が強制されている。要するにこの2法律は、次の議会で国家総動員法が出来るまで、戦時統制経済への移行を支える柱となるものであった(詳しくは「第七二回帝国議会衆議院解説」参照)。 その他、軍需工業動員ノ適用二関スル法律案・臨時船舶管理法案・臨時肥料配給統制法案などが成立している。

  この議会はこれらの重要案件が提出されたにも拘らず、議会側が政府支援の立場をとったため全く平穏であった。とくに貴族院では、施政方針に対する質問を全く行わないという異例の措置がとられ、委員長報告以外の議員の演説としては、「陸海軍将兵二対スル感謝決議」に関して2名、臨時軍事費等に関する3名のみであり、しかもそのいずれもが、日中戦争の遂行を叫ぶものにはかならなかった。

(古屋哲夫)


第七二回帝国議会 衆議院解説