『帝国議会誌』第43巻

1979年1月

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第八〇、八一回帝国議会 貴族院・衆議院解説


 

古屋 哲夫

 

第八〇回帝国議会 貴族院・衆議院解説
第八一回帝国議会 貴族院・衆議院解説

第八〇回帝国議会 貴族院・衆議院解説
翼賛選挙運動の展開
翼賛選挙への批判
第二一回総選挙の結果
選挙干渉問題
翼賛政治会の結成と大政翼賛会の改組
戦線の拡大と船舶問題
第八〇回議会の召集
第八〇回議会の議案

第八〇回帝国議会 貴族院・衆議院解説



翼賛選挙運動の展開

 1942(昭和17)年2月15日、第七九回議会が議案審議を終えて自然休会に入るや、政界は総選挙にむけて一斉に動きはじめた。すでに衆議院議員の任期は、前年の4月29日で満了していたが、この時は選挙法改正問題の紛糾などもあり、結局任期の一年延長という特別法を成立させて選挙を回避したのであった。従って、対米英戦争への突入という新しい事態もあり、この問題がどう処理されるかが注目されたが、東条内閣は42年初頭には現行選挙法による総選挙実施の方針を明らかにしていた。戦勝気分のなかで総選挙を行い、政府の支持勢力を一挙に強化しようというのが、そのねらいであったとみられる。

  内閣はまず、2月17日これまで東条首相の兼任であった内相の地位に、湯沢三千男次官を昇格させ、ついで翌18日の閣議で次のような「翼賛選挙貫徹運動基本要綱」を決定し、総選挙に対する基本方針を明らかにしてきた。

一、

運動ノ名称
「大東亜戦争完遂翼賛選挙貫徹運動」ト称ス

ニ、

運動ノ目標
大東亜戦争ノ完遂ヲ目標トシテ清新強力ナル翼賛議会ノ確立ヲ期スル為、衆議院議員総選挙ノ施行セラルルニ際シ一大挙国的国民運効ヲ展開シ以テ重大時局ニ対処スベキ翼賛選挙ノ実現ヲ期セントス

三、

運動ノ基本方針
(一)選挙ヲ機トシ必勝ノ国民士気ヲ昂揚シ大東亜戦争完遂ニ対スル挙国鉄石ノ決意ヲ鞏固ナラシム
(二)清新強力ナル翼賛議会ヲ確立スル為国民ノ真摯純正ナル政治的意欲ヲ積極的ニ喚起昂揚セシム
(三)太東亜戦争完遂ノ大目的ニ副ヒ真ニ大政翼賛ノ重任ニ任ズベキ最適ノ人材ヲ議会ニ動員スルノ気運ヲ汎ク醸成セシム
(四)重大時局下ノ選挙タルニ鑑ミ愈々選挙ノ倫理化ヲ徹底シ断ジテ在来ノ情弊ヲ一掃シ公正ニシテ明朗ナル選挙ヲ実現セシム

四、

運動ノ実施方策
(一)啓蒙運動ノ徹底
本運動ハ右ノ基本方針ニ則リ大東亜戦争ノ完遂、翼賛議会ノ確立、翼賛選挙ノ実現ヲ目標トスル一大啓蒙運動トシテ部落会、町内会、隣保班等ノ市町村下部組織ハ勿論各種団体其ノ他凡ユル組織ヲ動員シ活発ナル展開ヲ期スルモノトス
(二)候補者推薦気運ノ醸成
翼賛選挙実現ノ啓蒙運動トシテ最適候補者推薦ノ気運ヲ積極的ニ醸成セシム
(三)選挙ノ論理化ト戦時態勢化
重大時局下ノ選挙ニ際シ真ニ翼賛選挙ノ実ヲ挙ゲシムル為左ノ方途ニ依り選挙ノ論理化ト戦時態勢化ヲ期スルモノトス
  (1)出選挙ニ関スル在来ノ情実因縁ヲ一掃シ選挙ノ公正ヲ期セシム
  (2)一般選挙民ノ自覚ヲ喚起シ選挙犯罪ノ根絶ト棄権防止ニ努メシム
   (3)選挙運動関係者ニ対シテハ自粛自戒以テ違反ノ絶無ヲ期セシム
   (4)戦時ニ即応シ選挙運動上物資、労力等ノ節約ト運動方法ノ改善合理化ニ努メシム

五、

運動実施機関
本運動ハ之ヲ官民一体ノ挙国運動タラシムルモノトシ運動実施機関ノ分担ハ概ネ左ニ依ルモノトス
(一)政府ハ運動基本方策ヲ決定シ関係機関ノ緊密ナル連絡ノ下ニ運動全般ヲ指導ス
(二)地方庁ハ政府ノ基本方策ニ即応シ運動実施方策ヲ決定シ地方ニ於ケル運動全般ヲ指導ス
(三)大政翼賛会(翼賛壮年団ヲ含ム)及選挙粛正中央連盟ハ政府及地方庁ニ協カシ民間運動ヲ展開ス(「週報」、282号)。


 つまり、この総選挙の目的は、選挙運動のなかで戦争の意義を宣伝し、戦意の高揚を図ること、戦争完遂に積極的に協力する人材で議会を固めることなどにあり、そのためには、戦争遂行にふさわしい議員候補者を探し出し推薦するという気運を高めねばならないというのであった。この「推薦」を重視する考え方は、すでにこれまでの選挙粛正運動のなかで次第に強く主張されるようになっていたものであるが、それは議会を国策実現に協力する機関と捉え、選挙とはそうした役割を果たしうる人材を探し出し議員になることを依頼するのが本来のあり方なのだとする選挙観を基礎とするものであった。そして実際の選挙粛正運動をみても、地方選挙のレベルでは、こうした考えにもとづく 推薦制の実現をはかることが主流的な動きとなりつつあった。例えば、41年に行われた15市での市会議員選挙についてみると、そのうち10市で、地域有力者によって結成された推薦団体が候補者の推薦を行い、2市では無投票で当選が決定している(「都市問題」、昭和17年3月号)。つまり東条内閣は、衆議院議員選挙をもこの推薦制を軸にして実施しようとしたわけであった。

  しかし、推薦制そのものを政府の手で実現することは、選挙法を変えなければ、違法な選挙干渉となることは明らかであり、さきの「基本要綱」でも、政府の指導する「翼賛選挙貫徹運動」は、「啓蒙運動と候補者推薦気運の醸成」という範囲にとどめるという方針が示されていた。従って、実際に候補者の推薦を行うためには、一応政府から離れた機構をつくることが必要となるわけであり、政府は2月23日に至り、各界の有力者として33名を首相官邸に招いて翼賛政治体制協議会(翼協)を開催、翼賛選挙実現の具体策をつくりあげることを求めた。同会では、趣旨説明ののち政府側が退席、出席者は、この協議会そのものを政事結社として、推薦制の運用にあたるという方針を打ち出した。つまり、政府より招かれた33名は、そのまま翼協会員となって候補者の推薦にあたるというわけであり、その顔ぶれは次のようなものであった。

阿部 信行 安藤 記三郎 井田 磐楠 石黒 忠篤
遠藤 柳作 大麻 唯男 大河内 正敏 太田 正孝
太田 耕造 岡田 忠彦 小倉 正恒 勝  正憲
児玉 秀雄 小磯 国昭 後藤 文夫 伍堂 卓雄
酒井 忠正 下村  宏 末次 信正 千石 興太郎
高橋 三吉 滝  正雄 田中 都吉 徳富 猪一郎
永井 柳太郎 平生 釟三郎 藤原 銀次郎 藤山 愛一郎
前田 米蔵 矢吹 省三 山崎 達之輔 結城 豊太郎
横山 助成      


 まず翼協は阿部信行を会長に推し、会長指名の13名の委員による小委員会で会運営の具体案の作成にかかり、2月28日の総会に小委員会案が提出、決定されたが、その骨子は次のようなものであった。すなわち(一)翼協が全国にわたる衆議院議員候補者の推薦を行う、(二)そのために東京に本部、各道府県に支部をおき、政事結社の届出をなす、(三)支部会員(15名乃至20名を基準とす)は本部から委嘱し、支部長は支部会員より会長が指名する。(四)推薦すべき候補者は各支部で銓衡して内申し、本部で決定する、(五)翼協は総選挙終了後 解散する、つまり翼協は、候補者の推薦と推薦候補者のための選挙運動を行うだけの組織とし、永続的な政治団体にはしない、というのであり、また政府との関係で言えば、政府の指導する啓蒙運動は総選挙の告示までにとどめ、以後の選挙運動では翼協が主体となることが予定されているわけであった。

  翼協の成立につづいて、2月25、26日には大政翼賛会の臨時中央協力会議が、さらに3月3日からは7日までの5日間にわたる地方長官会議が開かれ、いずれも政府側から翼賛選挙のための啓蒙運動の展開が要請されている。また3月の町内会・部落会の常会では「翼賛選挙の貫徹」をとりあげるよう指示され、4月1日には、ラジオの司会による全国画一の一斉常会も企画された。政府はさらに3月14日、日比谷公会堂で翼賛選挙貫徹夫講演会を開き、国民への直接的呼びかけの口火を切ったが、この席上で湯沢内相は、「選挙の方法を日本化すること」を唱え、「これについてはどうしても選挙の考へ方を改め、立派な人に選挙民一同が御苫労を御願ひするといふ考えにならなければならぬのである。『投票してやる』といふ考え方から『御苦労でも出て貰ふ』といふ考へ方に改めぬ限り人格高潔有能達識の人は議会に動員されて来ぬのである」(朝日、3・15付け夕刊)と演説していた。

  この間、翼協は3日17日、政事結社の届出をなし(18日許可)、3月20日の総会で、支部長、支部会員の決定・発表を行い、以後これらの人々による支部の結成・候補者の推薦が始められるわけであるが、支部会員選考の大体の傾向を示す意味で、支部長の職業 ・地位などについての当時の報道を掲げておこう。 翼協支部長一覧(協力会議は大政翼賛会の組織)

北海道 吉田 貫一   (62) 静内町長、北海道町村長会長
青 森 山田 金次郎  (58) 東奥日報社長 
岩 手 田村 丕顕   (68) 県壮年団長、子爵、海軍少将
宮 城 高木 義人   (57) 県協力会議長、陸軍中将
秋 田 片岡 重脩   (52) 県協力会議長、帝国農会副会長
山 形 登坂 又蔵   (68) 米沢市長
福 島 大原 八郎   (60) 県壮年団長、医師
茨 城 渡辺 覚造   (52) 貴族院議員
栃 木 渡辺 志郎   (55) 県翼賛会庶務部長、県会議員
群 馬 山口 権平   (62) 海軍大佐
埼 玉 岩田 三史   (55) 貴族院議員、医学博士
千 葉 永井 準一郎  (61) 県協力会議長、千葉市長
東 京 平生 釟三郎  (76) 鉄鋼統制会長、翼協本部会員
神奈川 中村 良三   (65) 海軍大佐
新 潟 白勢 量作   (60) 新潟電力社長、商工会議所会頭
長 野 倉島 富次郎  (65) 青少壮年団長年団副団長、陸軍少将
静 岡 柴山 重一   (67) 陸軍中将
富 山 金山 又左衛門 (59) 前貴族院議員、商工会議所会頭
石 川 千田 俔次郎  (59) 壮年団長、陸軍少将
福 井 野村 勘左衛門 (75) 県教育会副会長
山 梨 名取 忠彦    (45) 権翼賛会組織部長、会社員
岐 阜 鳥居 百三    (70) 陸軍中将
愛 知 坂井 徳太郎   (58) 県壮年団長、陸軍中将
三 重 和渡 豊一    (60) 海軍中将
滋 賀 西田 太一郎   (67) 県医師会長
京 都 稲垣 孝照    (67) 市協力会議長、陸軍中将
大 阪 小倉 正恒    (68) 翼協本部会員、前蔵相
兵 庫 川西 清兵衛   (79) 会社重役、元商工会議所会頭
奈 良 松井 貞太郎   (59) 貴族院議員
和歌山 藤田    順   (64) 陸軍中将
鳥 取 米原 章三     (60) 貴族院議員
島 根 山崎 定道    (67) 県会議長
岡 山 石原 紀一    (60) 陸軍少将
広 島 重岡 信治郎   (64) 海軍中将
山 口 内田 重成    (74) 貴族院議員、県教育会長
徳 島 大久保 義夫   (68) 脇町町長、県議、中央協力会議員
香 川 十川   登    (56) 壮年団長、陸軍少将
愛 媛 鳥谷   章    (64) 県協力会議長、陸軍中将
高 知 野村 茂久馬   (75) 貴族院議員
福 岡 中牟田 辰六   (61) 県協力会議長、陸軍少将
佐 賀 高取   盛    (64) 県協力会議長、会社重役
長 崎 岩井 敬太郎   (70) 翼賛会支部顧問、町村長会長
大 分 麻生 益良    (58) 貴族院議員、会社重役
熊 本 赤星 典太    (75) 前知事
宮 崎 新原 貞次郎   (65) 翼賛会支部常務、陸軍少将
鹿児島 坂口 壮介    (75) 県協力会議長、県会議長
沖 縄 平良 辰雄    (56) 県壮年団長

(朝日、3・19、3・21)

 これらの顔ぶれをみると、地方協力会議長、壮年団長など大政翼賛会の地方組織の幹部、軍人、貴族院議員らが、支部長の多数を占めており、これらの人々が支部における推薦候補者銓衡をりードすることになるのであった(なお、このメンバーは当初のものであり、彼等自身が候補者に推薦された場合には、支部長を辞している)。3月22日には決定されたばかりの支部長を招集して、翼協支部長会議が開かれ、本部側は原則として各選挙区毎に定員数の推薦候補者を内申するように指示した(やむをえない場合には定員数より一名増加を認め る)。各支部は28日から一斉に候補者銓衡を開始、翼協本部は31日から支部の内申を基礎として次々に選挙区毎の推薦候補者を決定、総選挙期日を4月30日とする詔書が公布され、立候補受付けが開始された4月4日には、数府県を残すだけとなっており、4月9日の沖縄県を最後として推薦を終わった。その後推薦候補者の立候補辞退、補充などによる若干の変動があり、結局翼協は定員数と同じ466名の推薦候補を立てて選挙に臨むこととなった。しかしその内訳けをみると、10選挙区で定員より一名増、他の10選挙区 で一名減の候補者を推薦したため、総数で定員数に合致しているだけであり、すべての選挙区で定員数だけの候補者を立てることに成功したわけではなかった。

 

推薦候補が定員数より一名増の選挙区=干葉3、東京4、新潟2、岐阜2、京都1、兵庫4、和歌山1、島根2、岡山1、山ロ1

 

推薦候補が定員数より一名減の選挙区=青森1、宮城1、茨城3、新潟1、愛知5、三重2、大阪1、兵庫5、香川1、高知1


 また推薦候補者を現議会との関係でみると、現議員236名、元議員18名、新人212名で、新人の比重が高いことが注目される。新人中には、岸商相、井野農相らをはじめとする官公吏、壮年団などの翼賛会関係者、在郷軍人など、これまで政党に関係のなかった者が多いが、こうした新人のみで一挙に議会の多数を制することは困難であり、当選の可能性という観点をも加えて、現議員の半数強も推薦候補となった。それを会派別にみると、翼賛議員同盟209名、議員倶楽部9名、興亜議員同盟9名、無所属13名となっており、翼同以外の会派では推薦者は極めて限られたものとなっていた。



翼賛選挙への批判


 政府が翼賛会や町内会・部落会までも動員して、推薦制の意義を強調したにもかかわらず、この総選挙では多くの非推薦候補者が立候補し、総数1079名、平均2・3倍という高い競争率に達したことも大きな特色であった。新聞は「候補者総数が未曽有の多数に上ったのは、新人待望の声に呼応するものであるが、 5年間選挙がなかったこと、推薦候補に対抗して自由立候補が競ひ立ったこと、政党解消後を承けて全国的に政治分野が刷新されんとする傾向のあることなどが大きな理由となっている」(朝日、5・3)と報じていたが、この翼協による推薦方式には強い批判が存在していたことにも注目しておかなくてはならない。

  既成の会派のなかでも、中野正剛を党首とする東方会は、早くも2月24日には、翼協の推薦を拒否し、独自の公認候補を立てて選挙戦を戦う方針を固め、また鳩山一郎を中心とする同交会は、2月27日、翼協が画策中の推薦制度は「官製議会を実現せんとする虞れあり、吾人は憲法の精神と国家の危局とに鑑み、厳に今後の推移を監視せんとす」(朝日、2・28)との声明を発し、翼協の活動に反対する態度を明らかにした。同交会はさらに、翼協の支部体制が出来あがりつつあった3月19日、安藤正純を提案者、尾崎行雄、鳩山一郎、川崎克ら36名を賛成者として「政府ノ選挙対策ニ関スル質問主意書」(第七九回帝国議会衆議院議事速記録第一八号参照)を衆議院事務局に提出し、翼賛選挙違憲論をかかげて政府を追及する姿勢を示した。

  安藤らはまず、選挙にあたって国民の間で自発的に推薦会が開かれることは別に問題とするに足りないが、「其ノ推薦会ニ官憲ノ参加スル」ということになれば「憲法ノ精神ニ抵触スルコト明々白々タリ」と主張する。つまり、「大日本帝国憲法」第三五条には「衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依り公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス」と規定されているが、この「公選」とは「官選」と対立する概念であり、選挙において官憲の参加した推薦会が大きな役割を果たすとすれば、それはもはや公選ではなく、官選だというわけであった。そしてこの質問書は、翼協を政府の参加した機関とし、その解散を要求して次のように述べている。

 

「翼賛政治体制協議会ハ政府ノ指意ニ依テ設ケラレ、其ノ委員ハ政府ノ詮衡ニ依テ挙ゲラレ又其ノ運営ノ裏面ニ政府ノ参加セルコトハ如何ニ表面ヲ粉飾スルモ蔽フベカラザル事実ナリ。是レ国民ノ多数ガ翼賛政治体制協議会ヲ目シテ公選ノ精神ニ背戻シ民意ノ暢達ヲ阻止シ下意上通ノ門戸ヲ狭メントスルモノニ非ズヤトノ深憂ヲ抱ク所以ナリ。政府ハ速ニ翼賛政治体制協議会ノ解消ヲ求メ、国民公選ノ憲法ノ精神ヲ徹底シ、候補者推薦方法ノ如キモ民意ニ一任スルノ方針ヲ採ルノ意ナキヤ如何」


 質問書はさらに、衆議院議員候補者を推薦する筈の翼協会員の半数以上が、貴族院議員の地位を有することと二院制との関係、翼協会員の選出基準、今回の総選挙にあたって政府がとくに「翼賛選挙運動」を開始した意図などについてただし、「政府ノ唱フル翼賛議会ノ実現トハ如何ナル事態ヲ指スヤ」「政府ハ現議会ガ大政翼賛ノ議会ニ欠クル所アリト認メテ特ニ翼賛議会ノ 実現ヲ企図セルモノナルヤ」、また政府が考えている衆議院議員として適当なる要件とは何かを具体的に示せ、と政府につめよっていた。

  これに対して東条内閣は3月25日に至って衆議院に東条首相・湯沢内相連名の答弁書を提出したが、その要点は政府は民間各界の「有識経験ノ士」(「貴族院議員ノ資格ヲ考慮シテ人選セルモノニアラズ」)を招請して、最適の人材選出に関する工夫と尽力とを依頼したのみであり、これらの人士が推薦母体としての翼協を結成 した過程及びその後の運営に関しては何等関与していない、として推薦制に関する政府の責任を否定する点におかれていた。また他の問題についても「政府ノ謂フ翼賛議会ノ確立トハ此急激ニ発展セル時局ノ新段階ニ対応シ、大東亜戦争完遂ノ目的ニ副ヒ、愈々大政翼賛 ノ負荷スベキ清新強力ナル議会ノ実現ヲ指称スルモノナリ」といった抽象的言葉を繰り返すか、或いは「政府トシテハ衆議院議員トシテノ適格条件ヲ更ニ(これまでの首相・内相らの言明以上に)具体的ニ明示スルノ必要ヲ認メズ」とつっぱねるかであり、質問者を満足させるものではなかった。同様の質疑は、貴族院でも3月25日の本会議において、大河内輝耕(子爵・研究会)によって行われたが、政府側の答弁も衆議院に対する答弁書の域を出るものではなかった。しかし、ともかくも、同交会は最も明確に翼賛選挙反対の立場を貫いたのであり、翼協側はこれに対し、同交会所属議員を推薦の範囲からはずすという形で対抗していた。

  ところで翼賛選挙に対する同交会の批判を、自由主義的立場からするものとすると、東方会の批判はむしろ右翼団体側からの批判と共通するものであり翼協の革新性を不徹底とする全体主義的立場からのものであったとみられる。右翼陣営では、国粋大衆党、建国会などが翼協に対抗して総選挙対策愛国団体協議会を結成しているが、2月24日には「真乎の翼賛議会を創造するための候補者推薦団体の結成も最適の措置と認めるが、中央推薦母体の構成人員は過去の思想的政治行動において我々と対跳的の軌道を進みたるもののみにして、必然愛国革新陣営の抹殺されんとする傾向を孕めるは革新人士の進出を期待する政府の希望の却って正反対の結果に陥るべき恐れが大いにあるので、我々は大乗的に政府の意図を支援しつつ推薦母体の純化強化を期待するものである」(朝日、2・25)との申し合わせを行って、その態度を明らかにしていた。

  すなわち、右翼陣営からの批判は、一体翼賛選挙によってどのような人物を動員しようとするのか、「革新人士」の進出を期待するとしたら、翼協の顔ぶれは非革新的ではないか、などといった観点からのものであり、結局、具体的推薦基準を明確にせよとの要求に集中していったといえる。2月28日には国粋大衆党は政府に対し「推薦候補者は日本主義革新運動家を中核とし、この線に沿った新人を議員定数の半数推薦し、現前元代議士は悉く自由立候補に委しその当否は自由なる国民の良心的判断に委すべし」(朝日、3・1)との建白を行い、つづいて総選挙対策愛国団体協議会は3月2日、推薦の基準に関し「一、地方的声望、門閥、財力などの如き基準を放棄し、真に人物本位の任命を なすこと、一、旧故党人を排し、国体観念明徴なる人士ならびに愛国革新団体の代表者、一、時局便乗の鵺的人物の排撃、一、財界、学界の大部分は自由主義者にして、これらに対しては厳選を加へること、一、府県会議員は過去において選挙を最も汚毒せし徒輩なる故これらを排斥する」(朝日、3・2)ことなどの要望を関係方面に申し入れていた。しかしこれらの基準は結局採用されることなく、右翼団体では赤誠会10名、国粋大衆党5名、大日本党3名、建国会1名を立候補 させたが、翼協から推薦されたのは赤誠会の稿本欣五 郎他一名にすぎなかった。

  ところでこうした右翼からの批判は、政府の提唱する翼賛選挙の目標の不明確さという問題をついていることはたしかであり、政府から啓蒙運動の担い手とされた翼賛会関係者のなかにもこの点をめぐる不満は拡がっていたと思われる。つまり政府の提唱する翼賛選挙貫徹運動に参加しようとしても、推薦の基準について具体的な候補者名を想定しながら論議することは、選挙運動とされ公事結社としての翼賛会も壮年団もそうした選挙運動にまで踏み込んではならないとされる。また当時すでに国策の是非について公けに論議する自由は残されていなかった。従って出来ることといっては、政府の言う推薦制の意義を抽象的にくり返すことや棄権防止、買収防止を叫ぶことなどにすぎなくなるのであり、これでは国民の「政治的意欲」の喚起など出来る訳がなくなってくる。つまり一方で「国民的政治力の結集」を唱えながら、他方ではそれが政府を批判するような力を持ち得ないようにするという矛盾が翼賛選挙をめぐってもあらわれてきたのであった。

  こうした点に翼賛会のなかでもとくに強い不満を示 したのは、翼賛運動のための同志的結合、実践部隊などのスローガンのもとに、翼賛壮年団に統合されたばかりの、壮年団関係者であったとみられる。例えば朝日新聞の記者座談会では翼壮の選挙への取り組み方に ついて「翼賛壮年団が進んで自分たちが責任をもって推薦しよう、推薦した人のためには積極的に応援する、もしその人が落選した場合には、自分たちが壮年団をやめる、また自分たちの行為が公事結社の埓内を越えたものとして叱責を受けた場合には除名されても差支ないぢゃないか、といふ意気込みでやっているところもある」(朝日、3・3)と述べられており、壮年団側に啓蒙運動のレベルに閉じ込められることへの不満が強かったことがうかがえる。

  全般的に見ても、政府の大がかりな宣伝にもかかわらず、選挙戦は容易に盛りあがって来なかった。朝日新聞の記者座談会「翼賛選挙を現地に見る」でも「推薦選挙制度に対しては何故現行選拳法の下に、このやうな推薦選挙を行はねばならぬかといふ根本的なものが分っておらぬ」「下から盛り上って来るといふやうな力などは全然見えない」「推薦母体一体となって推薦候補のために強力な運動をやらうという空気が出て来ないやうな感じがする」(朝日、4・17、18)など、選挙への熱意の昂揚がみられない状況が述べられておりその原因については次のように指摘されていた。

 

「しからば選挙に対して熱意があるかといふことになって来ると概して気乗り薄である、なぜ気乗り薄なのかといふことを方々できいてみたが、その理由の主なものは、従来のやうな選挙の面白昧といふものがないといふことと、従来のやうな反対党といふものがなくて、どれもこれも政府支持であるといふ点、また次に推薦候補を出しているけれども推薦候捕と非推薦候補もどれも反政府ではないのだから同じことだといふ気持、それから選挙違反の問題を非常にやかましくいっているために選挙違反を恐れて気乗薄になっているといふことも大いにあり得るのだと思ふ」(朝日、4・17)


 これに対して政府は、「選べ適材、貫け征戦」のスローガンをかかげ、また選挙は民意についての天皇の御下問にこたえることであり、国民の義務である、従って「棄権は国民の重大義務の放棄であり日本臣民としての大切な臣道の実践を怠ることである」(「週報」、285号)と唱えて、国民を投票にかりたてることにやっきとなっていた。



第二一回総選挙の結果

 翼賛選挙のかけ声のもとに、第二一回総選挙は、42年4月30日実施され、投票率83・11%に達した。次表にみられるように前回の林内閣の下での総選 挙にくらべれば著しい上昇ぶりであるが、30年の浜口内閣の下での総選挙には及んでいない。
普選実施後の投票率

第16回総選挙

28・2・20

80・33%

第17回 〃

30・2・20

83・34%

第18回 〃

32・2・20

83・09%

第19回 〃

36・2・20

78・65%

第20回 〃

37・4・30

73・31%

第21回 〃

42・4・30

83・11%


 政府の支持をうけた翼協推薦候補は圧倒的に強く、立候補者466名のうち381名が当選、当選率8割をこえた。また、岩手、群馬、埼玉、石川、長野、滋賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島の11県の全選挙をはじめ、51選挙区で推薦候補者が議席を独占している。まず当選者の顔ぶれをみよう。

  第21回総選挙当選者一覧表
  推=翼協推薦候補者、非=非推薦候補者、翼=翼賛議員同盟、興=興亜議員同盟、議=議員倶楽部、同=同交会、諸=諸派、いずれも右翼団体であり、橋本欣五郎大日本赤誠会会長、笹川良一国粋大衆党総裁、佐々井一晃大日本党主宰、赤尾敏建国会々長が当選している。
 

選挙区名の下の数字は有権者総数
  得票数     候補者氏名
北海道一区 91,174      
  18,105 推翼 山本 厚三
  13,584 推翼 沢田 利吉
  10,241 安孫子 孝次
  8,547 正木 清
北海道二区 98,337      
  19,261 推翼 松浦 周太郎
  10,336 吉田 貞次郎
  6,613 非同 坂東 幸太郎
  6,345 前田 善治
北海道三区 91,174      
  16,991 真藤 慎太郎
  15,256 推翼 大島 寅吉
  12,654 渡辺 泰邦
北海道四区 148,466      
  19,023 推翼 手代木 隆吉
  18,327 非翼 北 勝太郎
  15,831 南条 徳男
  15,106 推翼 深沢 吉平
  13,909 星野 靖之助
北海道五区 133,052      
  19,343 黒沢 酉蔵
  19,330 推翼 南雲 正朔
  18,513 推翼 東条 貞
  17,803 奥野 小四郎
青森一区 105,458      
  26,383 三浦 一雄
  17,313 非翼 小笠原 八十美
  15,413 推翼 森田 重次郎
青森二区 79,022      
  10,343 竹内 可吉
  9,904 長内 健栄
  9,400 楠美 省五
岩手一区 93,301      
  33,254 推翼 田子 一民
  20,969 推翼 八角 三郎
  13,179 推翼 高橋 寿太郎
岩手二区 116,016      
  25,946 推翼 泉 国三郎
  21,804 金子 定一
  16,443 小野寺 有一
  14,650 推翼 鶴見 祐輔
宮城一区 135,599      
  31,666 推翼 内ヶ崎 作三郎
  15,253 推翼 守屋 栄夫
  14,735 非翼 庄司 一郎
  13,751 阿子島 俊治
  11,377 菊地 養之輔
秋田一区 104,635      
  18,611 推翼 町田 忠治
  11,296 推翼 信 太儀右衛門
  11,120 二田 是儀
  10,471 非翼 中川 重春
秋田二区 92,866      
  17,077 川俣 清音
  16,404 推翼 小山田 義孝
  12,766 斎藤 憲三
山形一区 111,552      
  21,050 推翼 高橋 熊次郎
  19,605 非翼 木村 武雄
  18,210 近藤 英次郎
  12,896 推翼 西方 利馬
山形二区 97,357      
  16,884 推翼 松岡 俊三
  13,004 推翼 伊藤 五郎
  11,655 池田 正之輔
  8,974 小林 鉄太郎
福島一区 90,623      
  18,744 内池 久五郎
  18,495 小松 茂藤治
  12,124 加藤 宗平
福島二区 127,674      
  17,877 牧原 源一郎
  17,148 推翼 助川 啓四郎
  15,051 仲西 三良
  13,598 神尾 茂
  11,452 唐橋 重政
福島三区 77,925      
  16,463 植松 練磨
  15,806 非翼 星   一
  14,757 推翼 山田 六郎
茨城一区 117,109      
  25,351 推翼 内田 信也
  17,019 推翼 豊田 豊吉
  16,805 推翼 渡辺 健
  12,692 小沢 治
茨城二区 84,707      
  25,991 推翼 中井川 清
  20,615 福田 重清
  7,499 非翼 川崎 已之太郎
茨城三区 120,602      
  29,940 赤城 宗徳
  21,284 推翼 山本 粂吉
  17,347 推翼 佐藤 洋之助
  9,187 小篠 雄二郎
栃木一区 120,602      
  23,357 推翼 船田 中
  19,684 推翼 高田 耘平
  10,735 矢部 藤七
  9,322 佐久間 渡
  8,926 菅又 薫
栃木二区 110,350      
  24,633 森田 正義
  21,243 推翼 森下 国雄
  19,441 推翼 松村 光三
  18,961 日下田 武
群馬一区 147,106      
  30,414 推翼 中島 知久平
  24,843 木村 寅太郎
  17,850 推翼 青木 精一
  16,722 五十嵐 吉蔵
  13,085 推翼 清水 留三郎
群馬二区 103,726      
  16,358 推翼 最上 政三
  16,097 蝋山 政道
  15,131 推翼 木暮 武太夫
  14,330 推翼 篠原 義政
埼玉一区 140,597      
  26,158 推翼 松永 東
  24,377 推翼 宮崎 一
  19,803 遠山 暉男
  19,138 飯塚 茂
埼玉二区 98,830      
  19,440 推翼 横川 重次
  15,153 推翼 坂本 宗太郎
  15,081 推翼 高橋 守平
  13,058 推翼 石坂 養平
埼玉三区 84,836      
  18,481 新井 堯爾
  16,524 推翼 出井 兵吉
  15,564 松岡 秀夫
千葉一区 137,193      
  21,703 推翼 多田 満長
  19,066 非翼 成島 勇
  14,909 推翼 篠原 陸朗
  14,313 非翼 川島 正次郎
千葉二区 92,367      
  17,866 推翼 吉植 庄亮
  17,180 伊藤 清
  13,732 推翼 今井 健彦
千葉三区 102,848      
  14,576 推翼 岩瀬 亮
  14,300 中村 庸一郎
  13,959 白鳥 敏夫
  13,919 推翼 小高 長三郎
東京一区 113,932      
  21,243 牛塚 虎太郎
  12,512 河野 密
  12,156 福家 俊一
  11,283 大神田 軍治
  10,828 橋本 祐幸
東京二区 117,567      
  19,087 非同 鳩山 一郎
  17,953 推翼 中島 弥団次
  15,945 推翼 長野 高一
  11,752 推翼 駒井 重次
  9,790 川口 寿
東京三区 101,731      
  16,481 頼母木 真六
  15,054 非同 安藤 正純
  10,255 渡辺 善十郎
  9,790 今牧 嘉雄
東京四区 101,527      
  16,110 推翼 真鍋 儀十
  9,713 推翼 滝沢 七郎
  9,316 本多 市郎
  7,914 山田 竹治
東京五区 452,495      
  76,250 四王天 延孝
  43,188 推翼 大橋 清太郎
  29,478 非東 本領 信治郎
  26,077 推翼 牧野 賎男
  21,700 花村 四郎
東京六区 453,749      
  73,673 推翼 中村 梅吉
  57,514 推翼 前田 米蔵
  46,298 非諸 赤尾 敏
  41,078 推翼 山田 清
  28,411 非翼 田中 源
東京七区 102,055      
  31,655 推翼 津雲 国利
  20,611 推翼 八並 武治
  17,010 坂本 一角
神奈川一区 197,418      
  50,859 中 助松
  32,983 田辺 徳五郎
  21,082 佐久間 道夫
神奈川二区 131,894      
  22,294 推翼 小泉 又次郎
  20,260 推翼 野口 喜一
  20,086 野田 武夫
  19,213 岡本 伝之助
神奈川三区 109,899      
  18,763 推翼 平川 松太郎
  16,230 非興 河野 一郎
  15,665 安藤 覚
  14,402 山口 左右平
新潟一区 80,954      
  17,348 長沼 権一
  15,381 非同 北 ヤ吉
  10,602 吉川 大介
新潟二区 101,221      
  20,291 高岡 大輔
  12,797 佐藤 芳男
  12,336 推翼 小柳 牧衛
  10,542 稲葉 圭亮
新潟三区 132,541      
  25,481 三宅 正一
  18,039 川上 法励
  16,030 推翼 加藤 知正
  15,466 田下 政治
  9,549 推翼 今成 留之助
新潟四区 87,268      
  20,546 非東 中村 又七郎
  18,589 石田 善佐
  16,644 推翼 増田 義一
富山一区 88,162      
  17,619 井村 荒善
  10,049 推翼 高見 之通
  9,872 中川 寛治
富山二区 80,410      
  18,556 推翼 松村 謙三
  15,932 大石 斎治
  12,406 推翼 卯尾田 毅太郎
石川一区 86,587      
  23,568 推翼 永井 柳太郎
  9,756 村沢 義二郎
  9,750 推翼 箸本 太吉
石川二区 71,319      
  17,667 推翼 桜井 兵五郎
  11,545 推翼 喜多 壮一郎
  11,325 推翼 青山 憲三
福井全区 135,978      
  25,225 薩摩 雄次
  19,720 中西 敏憲
  17,436 推翼 猪野 毛利栄
  15,906 酒井 利雄
  13,690 推翼 添田 敬一郎
山梨全区 126,325      
  19,749 高野 孫左衛門
  19,636 推議 今井 新造
  16,477 非興 平野 力三
  15,951 推翼 田辺 七六
  15,101 掘内 一雄
長野一区 87,936      
  22,140 推翼 松本 忠雄
  20,952 藤井 伊右衛門
  15,772 小坂 武雄
長野二区 77,504      
  19,371 推議 小山 亮
  18,804 推翼 小山 邦太郎
  14,634 推翼 羽田 武嗣郎
長野三区 98,860      
  21,890 木下 信
  20,214 小平 権一
  16,283 吉川 亮夫
  15,478 推議 中原 謹司
長野四区 79,400      
  20,800 吉田 正
  16,699 小野 祐之
  13,693 小野 秀一
岐阜一区 84,722      
  14,106 推翼 清  寛
  12,373 船渡 佐輔
  10,285 石榑 敬一
岐阜二区 72,876      
  10,645 推翼 伊藤 東一郎
  10,161 安田 桑次
  7,359 非東 三田村 武夫
岐阜三区 101,683      
  24,574 推興 牧野 良三
  18,447 推翼 古屋 慶隆
  17,450 間宮 成吉
静岡一区 164,518      
  24,962 八木 元八
  24,540 非翼 山口 忠五郎
  24,033 推興 深沢 豊太郎
  23,429 推翼 山田 順策
  19,646 加藤 弘造
静岡二区 113,436      
  20,361 鈴木 忠吉
  18,445 金子 彦太郎
  16,009 木村 直
  13,214 勝又 春一
静岡三区 119,389      
  23,232 推議 大田 正孝
  19,499 森口 淳三
  14,822 非翼 坂下 仙一郎
  14,377 加藤 七郎
愛知一区 269,322      
  32,928 推翼 加藤 鐐五郎
  31,692 下出 義雄
  29,676 推翼 小山 松寿
  29,662 林 正男
  22,344 山崎 常吉
愛知二区 100,852      
  26,233 中埜 半左衛門
  24,967 推翼 樋口 善右衛門
  16,823 安藤 孝三
愛知三区 86,885      
  15,756 野田 正昇
  15,124 推翼 加藤 鯛一
  14,712 富田 愛次郎
愛知四区 102,941      
  25,662 本多 鋼治
  25,509 推翼 小笠原 三九郎
  21,167 推翼 大野 一造
愛知五区 80,973      
  24,937 田島 栄次郎
  18,293 非興 鈴木 正吾
  15,117 推翼 大口 喜六
三重一区 151,245      
  33,690 井野 碩哉
  23,597 非同 川崎 克
  18,417 九鬼 紋七
  16,801 推翼 馬岡 次郎
  15,452 非翼 松田 正一
三重二区 101,068      
  24,557 田村 レイ
  21,270 推翼 浜地 文平
  14,525 非同 尾崎 行雄
  12,630 非翼 長井 源
滋賀全区 150,053      
  28,634 推翼 堤 康次郎
  15,340 松原 五百歳
  14,614 別所 喜一郎
  12,682 信正 義雄
  12,341 広野 規矩太郎
京都一区 189,356      
  34,638 田中 伊三次
  22,775 今尾 登
  18,594 推議 中村 三之丞
  18,327 田中 和一郎
  17,234 非興 水谷 長三郎
京都二区 102,105      
  17,615 推翼 池本 甚四郎
  16,822 推翼 田中 好
  16,424 推翼 川崎 末五郎
京都三区 73,854      
  18,811 岡田 啓治郎
  15,978 推翼 村上 国吉
  15,016 非同 芦田 均
大阪一区 135,457      
  26,401 田万 清臣
  23,152 川上 胤三
  18,478 一松 定吉
大阪二区 82,377      
  17,339 推翼 山本 芳治
  15,506 田中 藤作
  13,794 推翼 紫安 新九郎
大阪三区 136,373      
  24,168 推議 池崎 忠孝
  17,849 高梨 乙松
  16,863 推翼 上田 孝吉
  11,546 山野 平一
大阪四区 381,561      
  43,797 菅野 和太郎
  40,153 大川 光三
  33,082 推翼 吉川 吉郎兵衛
  30,699 非興 西尾 末広
大阪五区 204,563      
  37,019 推翼 勝田 永吉
  36,173 非諸 笹川 良一
  25,474 杉山 元治郎
  20,892 大倉 三郎
大阪六区 114,915      
  32,603 河盛 安之介
  24,192 推翼 松田 竹千代
  21,823 推翼 井阪 豊光
兵庫一区 206,791      
  34,232 推翼 中井 一夫
  22,981 河上 丈太郎
  20,178 今井 嘉幸
  20,092 金光 邦三
  18,751 推翼 浜野 徹太郎
兵庫二区 190,857      
  39,320 推翼 前田 房之助
  35,955 阪本 勝
  18,083 白川 久雄
  16,553 南 鉄太郎
兵庫三区 97,687      
  28,902 推翼 小林 絹治
  19,682 黒田 厳
  12,138 非翼 吉田 賢一
兵庫四区 108,881      
  16,866 推翼 清瀬 一郎
  16,758 古河 和一郎
  15,912 推翼 田中 武雄
  14,085 推翼 原 惣兵衛
兵庫五区 78,286      
  19,753 斎藤 隆夫
  12,268 非諸 佐々井 一晃
  12,066 木崎 為之
奈良全区 128,074      
  23,933 越智 太兵衛
  15,697 北村 又左衛門
  12,699 非興 江藤 源九郎
  10,855 植村 武一
  9,299 推翼 福井 甚三
和歌山一区 101,532      
  17,308 中谷 武世
  13,626 推翼 松山 常次郎
  10,789 山口 喜久一郎
和歌山二区 83,320      
  18,475 角 猪之助
  14,214 推翼 小山 谷蔵
  13,650 森川 仙太
鳥取全区 97,743      
  19,439 推翼 三好 英之
  16,431 坂口 平兵衛
  16,088 推翼 豊田 収
  15,786 由谷 義治
島根一区 88,313      
  27,535 田部 朋之
  19,887 推翼 桜内 幸雄
  16,956 非翼 原 夫次郎
島根二区 71,969      
  18,445 恒松 於菟二
  12,956 推翼 島田 俊雄
  11,116 田中 勝之助
岡山一区 145,125      
  21,870 推翼 岡田 忠彦
  18,002 久山 知之
  16,707 森谷 新一
  12,666 片山 一男
  12,255 逢沢 寛
岡山二区 143,535      
  25,682 推翼 小川 郷太郎
  20,586 非同 星島 二郎
  17,786 非翼 犬養 健
  11,577 推翼 小谷 節夫
  10,640 土屋 源市
広島一区 128,024      
  23,657 推翼 古田 喜三太
  22,971 奥 久登
  16,148 推翼 岸田 正記
  10,770 加藤 俊夫
広島二区 130,148      
  20,220 田中 貢
  19,760 永野 護
  16,876 推翼 木原 七郎
  12,743 非議 肥田 琢司
広島三区 134,174      
  20,838 推議 永山 忠則
  20,016 推翼 土屋 寛
  18,316 推翼 作田 高太郎
  18,315 非興 森田 福市
  15,858 推翼 宮沢 裕
山口一区 133,061      
  22,228 推翼 西川 貞一
  20,354 林 圭介
  16,463 紀藤 常亮
  14,619 非翼 安倍 寛
山口二区 132,241      
  30,302 岸 信介
  14,297 推翼 西村 茂生
  12,630 窪井 義道
  11,162 八木 宗十郎
  8,612 伊藤 三樹三
徳島一区 78,207      
  20,343 谷原 公
  13,146 紅露 昭
  11,803 推翼 田村 秀吉
徳島二区 73,283      
  14,788 秋田 清
  12,654 三木 与吉郎
  12,252 非翼 三木 武夫
香川一区 76,107      
  16,719 推翼 藤本 捨助
  13,426 三木 武吉
  11,988 前川 正一
香川二区 78,442      
  17,017 非翼 矢野 庄太郎
  16,705 推翼 松浦 伊平
  16,315 岸井 寿郎
愛媛一区 82,278      
  23,466 推翼 武知 勇記
  22,490 岡本 馬太郎
  9,559 米田 吉盛
愛媛二区 84,892      
  15,696 山中 義貞
  12,807 推興 河上 哲太
  9,288 推翼 村瀬 武男
愛媛三区 69,959      
  12,956 野本 吉兵衛
  12,101 毛山 森太郎
  9,314 推翼 高畠 亀太郎
高知一区 78,786      
  12,801 松永 寿雄
  11,905 非東 大石 大
  11,507 宇田 耕一
高知二区 77,214      
  14,325 推翼 依光 好秋
  11,937 中越 義幸
  9,764 小野 義一
福岡一区 127,973      
  24,543 非東 中野 正剛
  21,756 推興 松本 治一郎
  18,505 森部 隆輔
  16,058 江口 繁
福岡二区 186,349      
  42,830 満井 佐吉
  18,751 推翼 松尾 三蔵
  16,353 赤松 寅七
  16,063 吉田 敬太郎
  13,959 図師 兼弐
福岡三区 137,594      
  18,766 楢橋 渡
  18,147 沖  蔵
  15,365 推翼 山崎 達之輔
  15,364 推翼 鶴 惣市
  12,661 松延 弥三郎
福岡四区 125,814      
  22,180 推諸 橋本 欣五郎
  17,116 推翼 勝 正憲
  16,086 有馬 英治
  14,922 林 信雄
佐賀一区 54,267      
  23,335 真崎 勝次
  8,247 推翼 池田 秀雄
  7,630 非同 田中 亮一
佐賀二区 73,373      
  17,155 推翼 藤生 安太郎
  10,603 推翼 愛野 時一郎
  9,705 松岡 平市
長崎一区 135,479      
  23,993 伊吹 元五郎
  20,554 推翼 馬場 元治
  17,402 木下 義介
  15,708 中瀬 拙夫
  14,186 推翼 則元 卯太郎
長崎二区 113,219      
  26,162 小浦 総平
  15,774 鈴木 重次
  15,496 推翼 川副 隆
  15,285 推翼 森  肇
熊本一区 128,906      
  24,642 荒川 真郷
  21,174 推翼 大麻 唯男
  17,446 推翼 松野 鶴平
  16,391 推翼 木村 正義
  11,456 推翼 石坂 繁
熊本二区 132,931      
  23,932 中井 亮作
  19,070 深水 吉毅
  16,858 推翼 三善 信房
  12,873 推翼 藤原 敏捷
  10,789 推翼 伊豆 富人
大分一区 122,026      
  22,341 柏原 幸一
  19,976 推翼 金光 康夫
  18,310 大島 高精
  13,670 推翼 一宮 房治郎
大分二区 74,135      
  18,649 山口 馬城次
  17,476 推翼 綾部 健太郎
  15,422 木下 郁
宮崎全区 156,265      
  21,966 斎藤 正身
  21,856 推翼 三浦 虎雄
  19,130 推翼 曽木 重貴
  18,443 野村 嘉久馬
  16,165 小田 彦太郎
鹿児島一区 116,631      
  15,546 高城 憲夫
  14,764 推翼 松方 幸次郎
  14,668 南郷 武夫
  14,654 推翼 小泉 純也
  13,510 推翼 津崎 尚武
鹿児島二区 103,922      
  25,360 浜田 尚友
  18,410 原口 純允
  17,627 推翼 東郷 実
  17,208 推翼 寺田 市正
鹿児島三区 65,366      
  20,059 宗前 清
  15,277 推翼 永田 良吉
  12,972 金井 正夫
沖縄全区 117,701      
  15,366 推翼 漢那 憲和
  10,269 推翼 中井間 宗一
  9,301 推翼 伊礼 肇
  9,224 桃原 茂太
  8,267 非東 湧上 襲人


新前元と党派 当選 落選 立候補者総計
推薦 非推薦 小計 推薦 非推薦 小計
新人 168 27 195 44 406 450 645
前議員 201 50 251 35 84 119 370
内訳け 翼同 176 21 197 33 33 66 263
興同 5 7 12 0 11 11 23
議倶 8 1 9 1 3 4 13
同交 0 9 9 0 19 19 28
東方 0 5 5 0 2 2 7
その他 12 7 19 1 16 17 36
元議員 12 8 20 6 38 44 64
合計 381 85 466 85 528 613 1079


 以上の当選者を党派的にみると上表の如くであった。

  この表から明らかなように、多数の新人候補者が当選したこと、そのうちの圧倒的多数が翼協の推薦候補であったことがこの選挙の一つの特徴であった。しかも全選挙区(122区)の4割に達する49選挙区でこの翼協推薦の新人候補が最高点を獲得している。これらの新人の職業・年令は次の通りであり、ここから翼協が推薦した新人候補の性格をうかがうことができよう。

最高点当選の翼協推薦・新人候補者(翼は大政翼賛会)

北海道(三) 真藤 慎太郎(60) 日魯漁業副社長、翼道顧問
北海道(五) 黒沢 酉蔵(58) 北酪連会長、道議、翼道常務
青森(一) 三浦 一雄(48) 前農林次官
青森(二) 竹内 俊吉(43) 県議、翼県参与、元東奥日報取締役
宮城(二) 高木 義人(57) 陸軍中将、県翼協議長
福島(一) 内池 久五郎(48) 信用組合長、翼県常務
福島(二) 牧原 源一郎(46) 県信連監事、翼県参与
福島(三) 植松 練磨(60) 海軍少将、元上海陸戦隊指揮官
栃木(二) 森田 正義(36) 県壮年団長、寒川村長、県翼常務
埼玉(三) 新井 堯爾(45) 華北交通理事、元運輸局長
東京(一) 牛塚 虎太郎(64) 元東京府知事、東京市長
東京(三) 頼母木 真六(43) 放送協会国際課長
東京(五) 四王天 延孝(64) 陸軍中将、飛行協会理事
神奈川(一) 中 助松(40) 元県会副議長
新潟(一) 長沼 権一(56) 県壮年団副団長、会社重役
富山(一) 井村 荒喜(54) 不二越鋼材社長、産報県副会長
山梨(全) 高野 孫左衛門(44) 県壮年団副団長
静岡(一) 八木 元八(60) 元ハルビン総領事、鴨緑江製材社長
静岡(二) 鈴木 忠吉(48) 県自動車連合会長、下田町長
愛知(二) 中埜 半左衛門(55) 半田市長、味噌醤油製造業
愛知(三) 野田 正昇(67) 県壮年団副団長、県町村会長
愛知(四) 本多 鋼治(50) 県会議長、翼県常務、農業
愛知(五) 田島 栄治郎(60) 陸軍中将
三重(一) 井野 碩哉(52) 現農相兼拓相
京都(三) 岡田 啓次郎(53) 町長、府会副議長
大阪(四) 菅野 和太郎(48) 経博、元大阪商大教授
大阪(六) 河盛 安之介(57) 堺市長、会社重役
奈良(全) 越智 太兵衛(61) 全購販連会長、県信連会長
和歌山(一) 中谷 武世(45) 評論家、興亜同盟常務委員
和歌山(二) 角 猪之助(48) 著述業
島根(一) 田部 朋三(37) 島根新聞社長、郡農会長
島根(二) 恒松 於菟二(53) 県農会長、県産連会長
山口(二) 岸 信介(47) 現商相
愛媛(二) 山中 義貞(46) 翼県常務、元県議、会社重役
愛媛(三) 野本 吉兵衛(45) 八幡浜市長
高知(一) 松永 寿雄(55) 海軍少将、会社重役
福岡(四) 橋本 欣五郎(53) 陸軍大佐、赤誠会々長
佐賀(一) 真崎 勝次(59) 海軍少将
長崎(一) 伊吹 元五郎(69) 陸軍大佐、在郷軍人会連合分会長
長崎(二) 小浦 惣平(52) 佐世保市長、翼県顧問
熊本(一) 荒川 真郷(62) 陸軍少将、県壮年団長
熊本(二) 中井 亮作(58) 県購販連会長、郡農会
大分(一) 柏原 幸一(48) 翼県組織部長、町長
大分(二) 山口 馬城次(51) 県会議長、翼県庶務部長
宮崎(全) 斎藤 正身(44) 貿易商、満州日々顧問
鹿児島(一) 高城 憲夫(43) 翼県参与、女子師範教諭
鹿児島(二) 浜田 尚友(34) 元厚相秘書官
鹿児島(三) 宗前 清(46) 和歌山県振興課長




選挙干渉問題


  翼協推薦候補の大勝利は、一面からみれば、戦勝気分が東条内閣支持につながったことを意味したが、他面からみれば、現状批判的な言論が極度に抑圧され、推薦候補に投票しない者は非国民だとする空気がっくり出されたこと、自由主義的とみられる候補者の選挙運動に強い弾圧が加えられたことなどの結果とも言えた。軍部もまたこの選挙に深く関与したことについて、大谷敬二郎「昭和憲兵史」には次のように記されている。「このとき選挙を動かしたものは軍務局であった。翼賛会の推薦をうけた候補者には、一人あたり5000円の選挙費用が政府から渡されたが、この選挙費用はことごとく臨時軍事費から出ていたといわれる。この場合、翼賛会支部長すなわち地方長官の候補者推薦は、主として連隊区司令官の資料により、また連隊区司令官の資料は、地方在郷軍人会幹部の情報を基礎としたものであった」(「昭和憲兵史」、450〜1頁)。

  非推薦候補のなかでは、さきの第七五回議会で反軍演説を行って除名された斎藤隆夫(無所属)が兵庫五区で最高点で当選したこと、選挙運動中の4月24日、 応援演説での言動を不敬罪として起訴された尾崎行雄が、三重二区で3位(定員4名中)ながら当選を果たしたことなどが注目された(尾崎行雄の事件については、我妻栄他編「日本政治裁判史録 昭和・後」参照)。しかし非推薦候補が全体として振わず、さまざまな圧迫の下で苦戦したことは、翼賛選挙を批判した同交会候補者の次のような成績からもうかがうことができる。

同交会候補者の成績
  (前議会で所属代議士36名中28名立候補、当選9名、※印次点12名、かっこ内は当選回数)

北海道二区 6,613 坂東 幸太郎(7)
同 四区 7,008 松尾 孝之(2)
青森一区 ※落 12,095 工藤 鉄男(6)
宮城二区 ※落 9,045 大石 倫治(4)
群馬二区 ※落 10,343 木桧 三四郎(7)
東京二区 19,087 鳩山 一郎(10)
東京三区 15,054 安藤 正純(8)
同  上 ※落 9,274 田川 大吉郎(8)
神奈川二区 ※落 13,983 片山 哲(3)
新潟一区 15,382 北 ヤ吉(3)
富山一区 5,717 石坂 豊一(5)
長野四区 ※落 6,371 植原 悦二郎(8)
岐阜一区 ※落 9,171 大野 伴睦(14)
三重一区 23,597 川崎 克(10)
三重二区 14,525 尾崎 行雄(21)
滋賀全区 10,510 森 幸太郎(2)
京都一区 7,624 福田 関次郎(3)
京都二区 15,016 芦田 均(4)
大阪四区 8,086 本田 弥市郎(4)
兵庫五区 ※落 11,250 若宮 貞夫(6)
和歌山二区 ※落 6,329 世耕 弘一(2)
岡山二区 20,586 星島 二郎(8)
広島一区 ※落 10,577 名川 侃市(6)
香川一区 5,529 宮脇 長吉(5)
高知二区 ※落 9,284 林 譲治(4)
福岡一区 8,691 原口 初太郎(3)
佐賀一区 7,630 田中 亮一(5)
長崎二区 ※落 10,962 牧山 耕蔵(8)


 ところで、非推薦で落選した候補者、とくに自由主義的とみられて圧迫をうけた候補者からは、政府側の選挙干渉を非難する声が高まり、一部では選挙無効の訴えなども起こされることとなった。内務省は選挙後、これら選挙関係訴訟事件及び有力政治家の意見(昭和17年8月現在)を調査しているが、その中には前記斎藤隆夫の意見が次のように伝えられている。

 

「私ハ今明治二五年当時ノ選挙干渉事件ニ関スル文献ヲ調ベテ居ルガ其ノ時ハ局部的デアツタノニ反シ今回ハ全国的ニ然カモ徹底シテ行ハレタ。大東亜戦争遂行中ヲロ実ニ行ナツタ事ハ聖代ノ不祥事デアリ立憲政体トシテノ面目モ何モアツタモノデハナイ。大東亜戦争ニ勝ツ事ガ出来タノモ立憲国家タルノ賜デアル。此ノ憲法ヲ無視スルガ如キ事ハ如何ニ戦争中ナリト雖モ許サルベキモノデハナイ。而シテ干渉ノ代表的ノ例ヲ挙グレバ

 

(1)、

国民学校ノ教師ガ児童ニ対シ推薦候捕者ニ投票セヌ者ハ非国民デアルト教へ、之ヲ父兄ニ云ハセタ。

 

(2)、

県知事ガ推薦状ヲ強制的ニ発送セシメタ。

 

(3)、

壮年団長ガ部落民ヲ或一定ノ地区ニ集メ部落毎ニ投票スベキ候拙者ヲ指示ス。

 

(4)、

隣組ニ対シ回覧板ヲ利用シ投票ノ割当ヲナス。

 

(5)、

推薦候補者ハ買収・戸別訪問ヲ公然ト行ツタ。之等干渉ニ依ツテ落選シタ一部ノ者(植原、石坂、林(平)、木桧等)ガ非推薦落選者及当選者ノ一部ニ対シ事実調査ヲ依頼シ目下材料ヲ蒐集中ナルガ纒リ次第之ヲ貴衆両院議員、枢密院、其他有識者ニ配布シ批判ヲ乞フ予定デアル」(情報課政治係「昭和一七年四月三〇日施行・衆議院議員総選挙ニ於ケル選挙関渉問題」 「陸海軍文書」NO1472所収)


  この選挙を無効とする訴えは、長崎第一区、鹿児島第二区などで落選候補者によって起こされているが、いずれも県知事以下の選挙干渉を告発したものであり、 鹿児島の場合の訴状をみると

 

 「鹿児島県知事薄田美朝ハ今回ノ選挙開始セラルヽヤ県下ノ関係官公吏、学校長、警防団、警察署、壮年団等ニ対シテ特定候補者即チ翼賛政治体制協議会ノ推薦候補者ノ当選ヲ期スルタメ極力運動ヲナスベキ指令ヲ為シ、一方非推薦候補ノ落選ヲ期スル為極力選挙妨害ヲナスベキコトヲ指令シ……選挙人ヲシテ自由公正ナル選挙ヲナサシメス以テ所期ノ目的ヲ達成シテ前記ノ如ク推薦候補者ノ当選ヲ見ルニ到リタルハ選挙法規ニ違反シ為メニ選挙ノ結果ニ重大ナル影響ヲ及スモノニシテ当該選挙ハ無効トナサザルベカラズ」


とし、国民学校・青年学校長、壮年団長などが「此度ノ推薦制ハ天皇陛下ノ御命令ニ依ツテ定メラレタノデ推薦候補者ニ入レナイ者ハ陛下ノ命令ニ背クモノデアル」とか「自由候補ハ非国民」などと説き廻っているという事実をつきつけていた。

  結局大審院は、鹿児島二区については、45年(昭和20)3月1日に至って原告側の勝訴として、選挙無効の判決を下した。しかし硫黄島にまで米軍が進攻 してきているというこの時期では(大本営、3月21日硫黄島守備隊玉砕を発表)、この判決の意義も論ぜられることなく、3月21日に行われた再選挙でも、落選候補の得票は増加したものの、前回の推薦候補が再選されるという結果に終わった。



翼賛政治会の結成と大政翼賛会の改組

 総選挙が終わると、推薦候補者を軸とする新議員を どういう組織にまとめあげてゆくかというのが、東条内閣の次の課題となった。そしてここでもさきの翼協結成の場合と同じやり方がとられた。

  総選挙が終わった一週間後の5月7日、東条首相は貴・衆両院を中心に財界・言論界の有力者などを加えた70名を首相官邸に招き、「大東亜戦争完遂と翼賛政治体制の確立とを目ざす挙国的政治力の結集」のために協力することを求めた。そして政府側退席後、被招請者一同は、全員が委員となって翼賛政治結集準備会を発足させることを申し合わせ、翌8日の第一回総会では33名の特別委員が選出されすぐさま具体案作成の作業が始められた。特別委員は9日に全員による討議を行ったのち、さらに小委員会を選んでその結果のとりまとめを進め、東条首相に招請された一週間後の14日の総会では早くも新組織の結成方針が決定された。

  東条が招いた70人の顔ぶれをみると、さきの翼協のメンバー(南方軍政顧問に任命された児玉秀雄を除く全員、32名)に主として貴・衆両院議員を加えたものであった。新たに加えられた貴族院議員は、研究会= 岡部長景(子爵)、有田八郎、石渡荘太郎、河原田稼吉、木村尚達、堀切善次郎、山岡万之助(以上、勅選)、公正会=岩倉道倶、黒田長和(以上男爵)、無所属倶楽部=吉田茂らであり、衆議院議員では、小山松寿(10)、大口喜六(10)、清瀬一郎(8)、東郷実(7)、内ケ崎作三郎(7)、田辺七六(7)、田子一民(6)、松村謙三(6)、河上丈太郎(4)、(かっこ内は当選回数)などのすでに名を知られた代議士に、牛塚虎太郎、小平権一、白鳥敏夫、下出義援、真藤慎太郎、橋本欣五郎など推薦候補としてはじめて登場してきた新人を加えた点に特徴がみられた。なお準備会発足後、政府側から岸商相、井野農相、賀屋蔵相、八田鉄相、星野書記官長と各界代表として島津忠重、岡喜七郎が委員に追加され、委員総数は77名となった。

 5月14日の準備会総会では、政治力結集のため、政事結社として「翼賛政治会」を組織すること及び同会の宣言・綱領・規約などが決定され、準備会員全員 が発起人となって各方面に呼びかけを行い5月20日に創立総会を開くこととなった。開会宣言は、

 

 「翼賛議会の要は清新なる政治力を以て、派閥抗争を一掃し、一地方一職域の利害に拘らず、真に国家的見地に立ち、公議公論の府として政府と協力するにあり。議会翼賛の大道、また実にこゝに存す。本会は国民各界に亘り政治翼賛の総力を凝集し、以て国政の運行に協力せんとす。而して翼賛政治体制丿確立は、挙国的国民運動の基礎に立たざるべからず。因て本会は大政翼賛会と密なる連繋を保ち、相倶に大政翼賛運動の徹底を期せんとす」(朝日、5・15)。


と述べて、翼賛政治会(=翼政会)が、政府及び大政翼賛会と三位一体的な協力関係をつくろうとするものであることを強調しているが、それは国民支配の画一性を強化してゆこうという東条内閣の要求を反映したものにほかならなかった。すでにこの間東条内閣は、前年(41)年12月19日公布の言論出版集会結社等臨時措置法によって政府に与えられた政事結社認可権を背景とし、翼政会以外の政事結社を認めないという意向を明らかにして既存党派を解散に追い込みつつあった。総選挙の直後に興亜議員同盟と議員倶楽部が解散したのをはじめ、5月12日には社交団体として存続していた旧政友会中島派の芝園倶楽部が、ついで同14日には東条内閣に批判的であった同交会、19日には翼賛議員同盟もその主流が翼政会になだれ込んで解散した。また右翼小政党は、政事結社を解散して思想団体としての存続をはかるという対応を示し、5月23日の東方会の思想団体への改組を最後として、翼政会(5月20日結社届出)が唯一の政事結社となったのであった。

  同時にこうした政治組織の単一化に見合う形で、国民組織の指導を大政翼賛会に統合するという措置がとられた。翼政会の組織方針が決定された翌日、5月15日の閣議では次のような「大政翼賛会の機能刷新に関する件」が承認されている。

一、方針

大政翼賛会はその本来の使命たる万民翼賛臣道実践の国民組織確立の推進中核体たるの実を一層発揮す。これがため現存の各種国民運動を大政翼賛会の傘下に収め、逐次これが調整充実を図り国民が万民翼賛臣道実践の生活を営むことを活発ならしむる組織の確立を推進す。

二、大政翼賛会の事業

 

(一)

大政認許運動の基礎となるべき国民組織の確立

 

(二)

国民思想の統一、職域奉公の徹底、国防生活の確立、戦時経済の確保等のためにする大政翼賛運動の推進。

 

(三)

国民の錬成(イ)一般的錬成、(ロ)国防技術の錬成、尚右に関連し左の事業を行ふ。(1)上意滲透状況及び民情の査察。(2)国民生活の指導相談。

三、大政翼賛会の整備拡充に関する措置

 

(一)

行政各庁の主宰する各種国民組織確立の運動(産業報国、農業報国、商業報国、海運報国等)に関する事務及び之に伴ふ国民組織の編成及び指導の事務を大政翼賛会に委譲す。

 

(二)

選挙刷新、貯蓄奨励、物資節約及び回収、健民等国民運動の事務及び推進を大政翼賛会をして実施せしむ。

 

(三)

行政各庁の主管する国民錬成機関を大政翼賛会に委譲す。

 

(四)

上各号に関する行政各部の予算は将来大政翼賛会に対する補助金に統一す。

 

(五)

大政翼賛会に対する監督は内閣総理大臣之に当り、なほ各種の組織及運動に対しては関係主管大臣においてこれを指導す。

 

(六)

大政翼賛会の機構に必要なる改組を行ふ。

 

(七)

大政加持会の経費は国庫補助及び寄附金とす。

 

(八)

部落会・町内会等はその自治的機能を強化すると共に、他面大政翼賛会の指導する組織としその間必要なる調査を考慮す(朝日、5・16)。


  要するに東条内閣の構想は、政治組織は翼賛政治会、国民組織は大政翼賛会に一本化し、政府との間に三位 一体の関係をつくらせる。言いかえれば、政府と無関係な一切の組織を許さないというものであった。

  翼賛政治会は、5月20日貴・衆両院議員、大政翼賛会関係者、言論界・財界・産業組合など各種団体などの代表者、元翼協支部長など、9百余名を集めて創立総会を開き、総裁には阿部信行大将を推挙、阿部は早速衆議院より前田米蔵、山崎達之輔、永井柳太郎、大麻唯男、太田正孝、牛塚虎太郎の6名、貴族院より岩倉道倶、石渡荘太郎、太田耕造、岡部長景、後藤文夫、伍堂卓雄、横山助成の7名、計13名を常任総務に、また翼協事務局長をつとめた橋本清之助を事務局長に指名して体制をととのえた。また目前に迫っている第八○回議会に対応するため、院内総務、院内幹事、議案審査部などのほか、これまでの各派交渉会に代わるものとして議事協議会を設けることとした。もはや独立した活動の余地はないとみた旧同交会、東方会所属代議士の大部分や無所属の斎藤隆夫らも、ついに翼政会に加入していった。加入しなかったのは尾崎行雄ら8名にすぎなかった。



戦線の拡大と船舶問題

 翼賛選挙運動が展開されていたさなかの4月18日昼12時すぎ、米空けより発進した爆撃機(B25)16機は、東京、横浜、川崎、横須賀、名古記、四日市、和歌山、神戸、新潟などに銃爆撃を加え、中国大陸に飛び去って行った。この爆撃による直接の被害は軽微なものであったが、爆弾が落ち始めてから空襲警報のサイレンが嶋るという全くの奇襲を受けたことは、軍部にとって大きなショックであった。この日の午前6時30分には、海上哨戒中の漁船から「敵航空母艦三隻見ゆ」との報告が入っていたが、海軍側は、航続力の少ない艦載機による空襲を想定し、19日早朝来襲と判断したために、この奇襲をうける結果となったのであった。すでに2月以降、米機動部隊による空心がマーシャル諸島から南鳥島に拡がっており、本土空襲もありうるとは考えられていたが、それが現実になったという衝撃は大きく、以後の作戦計画にも影響を与 えることとなった。

  開戦前に決定されていた日本軍の作戦計画では、占領・確保すべき南方の要域としてフイリッピン・グアム島、香港、英領マレー、ビルマ、ビスマルク諸島、 ジャワ、スマトラ、ボルネオ、セレベス、チモール島 などがあげられていたが(防衛庁戦史室「大本営陸軍部(2)」、589頁)、42年3月の段階でこれらの目標の殆んどを達成、バターン半島(フィリッピン)の攻略とビルマ中北部の制圧を残すのみとなっており、大本営ではすでに11月から、第二段作戦をめぐる論議が始められていた。

  当時緒戦で予想以上の戦果をあげえたと考える海軍側では、更に積極的な攻勢をとって敵の反攻拠点を覆滅すべきだとする意見が強く、濠州・ハワイ攻略などが唱えられた。これに対して陸軍側はこうした太平洋方面における大規模な消耗戦に引き込まれることに反対し、イギリスを屈伏させるために印度方面への進攻を重視しようとした。そしてさらに、いずれの方向に向かうにせよ、積極的攻勢の前提として、占領地の資源による自給的戦争態勢の確立、戦力の培養が必要だとする空気が強かった。海軍の海上決戦にくらべて、陸軍部隊の進攻は、はるかに大きな補給力を必要とするのであり、こうした事情がすでに現実に問題化していたことも、この陸海の意見の対立の背景をなすものであった。問題は軍隊の輸送と物資の輸送とに船舶を どのように配分できるか、という形であらわれていた。

  対米英開戦時において、日本の輸送力として把握しうる船舶は2、529隻、約633万総トンであり、これに対して企両院は、昭和16年物動計両なみの物資を供給するためには常続的に最低300万総トンの船舶を確保しなければならないと主張していた。しかし軍側が南方作戦に必要とする船舶量は、この残りよりもはるかに厖大であり、日本の戦争計画は早くもこの点で一つの難関に直面していたのであった。この時企両院と陸海軍の間では、緒戦の主要作戦期間を4ヵ月と限定し、以後、陸軍が漸次徴傭船舶を解傭するという形で妥協が図られたのであり、この条件は第二段作戦の構想をも強く拘束していたといえる。41年11月5日の御前会議における鈴木貞一企両院総裁の説明 によれば、第一段作戦段階における陸海軍傭船量は企両院との間で表1のように協定されていた(「杉山メモ」 上、423頁)。

表1

陸 軍 海 軍
開戦第1ヶ月より
第4ヶ月     210万総トン
小型ヲ含ミ各月 180万総トン
内訳
第5ヶ月     170 〃 タンカー   27万総トン
第6ヶ月     165 〃 漁船    9・4万 〃
第7ヶ月以後  100 〃 貨客船  33・6万 〃
貨物船  110万  〃


  つまり、陸軍は開戦5ヵ月目より徴傭船の解傭をはじめ、以後次第に傭船量を減らし、100万総トンで安定する(海軍と合わせて280万総トン)、そしてここで、企両院の要求する常続300万総トンが実現される、というのがこの表の意図するところであった。そして第一段作戦のめどがついた3月には、企両院側はこの協定の実行を要求、3月7日の政府大本営連絡会議に表2のような「昭和一七年度船舶運用ノ基準」を提示した。

表2

年 月 陸 軍 海 軍
17・3 2,144,400噸 1,560,000噸
4 1,744,000〃 1,480,000〃
5 1,649,000〃
6 1,344,000〃
7 1,044,000〃
8 同    上
18・1


これに対して陸軍側はこの数字では作戦を行えないと反論し、企両院との間で次のような論議が交されている。

参謀次長

七月以降一〇四万屯デハ到底承認シ得ズ、「ビルマ」作戦ノ現状、泰「ビルマ」国境方面ノ交通等ノ実情ヨリ如何ニスルモ七月以降尚三〇万屯ヲ必要トス。

企画院総裁

三〇万屯デハ実際物動ガ動カヌ故、二〇万屯デ我慢出来ザルヤ。

総理

此レハ一応一〇四万屯ト決メテ置イテ後デ又決定スルコトトシテハ如何。

参謀次長

其レデハ「ビルマ」作戦ヲ止メル。

総理

其レハ困ル。

企両院総裁

此ノ数字ノ中ニハ引上船、木造船、拿捕船等ヲ人レアラザルニ付何トカ之ヲ遣り繰リシテ御希望ニ副フ如ク努カスベシ、此ノ辺デ承認シテ貰ヘズヤ。

参謀総長

数字ヲハッキリシナケレバ之レデ決定スベキニ非ズ。

総理

何トカ骨ヲ折ルベシ(同前、49頁)。


  結局、備考に「A(陸軍)ノ七月以降ノ徴傭船ニ就テハ別二約20屯ヲ必要トスル事情アルニ付引上船 ノ促進、拿捕船、機帆船、木造船等ノ利用ヲ強化シ別途之ニ応ズル如ク努カスルモノトス」(同前、50頁)との一項を加えることで、企両院案が承認されたが、この案に示された数字以外に、「別途」20万屯の船舶を用意することは容易なことではなく、問題を先にのばしただけともいえた。今や、船の問題が作戦を規制する大きな要因となることが明らかとなってきていた。

  こうした船舶問題からいっても陸軍側が太平洋方面での消耗戦を避けようとしたのは当然であったが、しかしその態度は徹底したものではなかった。太平洋方面では、1月23日のラバウル(ニューブリテン島)占領についで、その延長としてニューギニア島東北岸のラエ、サラモア、更には南岸の航空基地ポートモレスビーの攻略が計画されており、また海軍の濠州攻略論には反対したものの、米濠遮断のために、日本本土から7〜8000キロも離れたフィジー・サモア・ニューカレドニアを攻略するというF・S作戦には同意し、大本営直轄部隊から歩兵九個大隊を基幹とする兵力を送るという方針が立てられた。これらの作戦構想は、当面連合国側の強力な抵抗はありえないとする想定を 基礎としていたが、3月初旬のニューギニア作戦の開始以来、米機動部隊及び基地空軍による反撃は次第に強められ、こうした想定の安易さが暴露されると共に、船舶問題も深刻さを増すことになるのであった。

  すなわち、2月下旬からラバウルには米軍機の来襲が増加してきたが、3月7・8日のラエ、サラモア占領に対しては、3月10日米機動部隊の反撃が加えら れ、日本軍は輸送船4隻が撃沈、3隻が中破、4隻が小破されるという損害を蒙むるに至った。「これは開戦以来の全戦局からみて、連合軍の反撃による最初にして最大の被害であって、南太平洋方面における作戦の前途を暗示するものであった」(防衛庁戦史室「南太平洋陸軍作戦(1)」、73頁)。さらに以後くり返されるポートモルスビー爆撃によっても米戦力は衰えず、航空消耗戦の様相がみえ始めてきた。そして5月に入るとポートモレスビー上陸作戦が企てられたが、5月7、8日にわたり船団護衛の機動部隊は、米機動部隊と遭遇して珊瑚海海戦を展開することとなり、結局上陸作戦は中止されてしまった。

  珊瑚海海戦は、双方の空母搭裁機が攻撃をくり返すという形で戦われた史上最初の海戦であり、両軍の損害は表3の如くであったが、それは南太平洋における制空・制海権の確保が困難になってきたことを意味していた。

  ところで、2月以降の米機動部隊のこうした活発な動きに対して、海軍側では、前述したF・S作戦の実施より前に、ミッドウェー、アリューシャン攻略作戦を行い、防衛線の拡大をはかろうとする構想が生まれ、軍令部は4月5日この案を陸軍側に提示した。これに対して当初、太平洋方面での新たな作戦を好ましくないと考える陸軍側は、この作戦は海軍陸戦隊で充分であり陸軍部隊の協力は必要でないとする消極的態度を示していたが、4月18日に本土初空襲が行われると、陸軍側の態度も一変し、積極的にミッドウェー、アリューシャン作戦に参加することとなった。同時にまた、本土を空襲した米軍機が中国大陸に着陸したことから、大本営は4月30日支那派遊軍に対し、浙江省方面の中国軍航空根拠地の覆滅を命じ、5月から、いわゆる浙コウ作戦が展開されるに至るのであった。

表3

種 類 日 本 米 国
艦 船 空母1(祥鳳)、駆逐艦1、特設艦4、計沈没6 空母1(レキシントン)、油槽艦1、駆逐艦1、計沈没3
飛行機 80 66
人 員 約900 543

(同前、116頁)


  東条内閣が翼賛選挙の結果が明らかとなるとすぐ、5月4日の閣議で第八〇回臨時議会の召集を決定したのは、こうして次々と新作戦が立案されるなかで、立法措置によって造船体制の強化を図ることが緊急に必要とされてきたからにほかならなかった。



第八○回議会の召集


 第八〇回議会は、42(昭和17)年5月9日公布の召集詔書により、5月25日に会期2日の臨時会として召集された。5月27日の開院式に始まり、翌28日に会期を終わっている。

  この議会における国務大臣、政府委員、議長・副議長・全院委員長・常任委員長、議員の会派別所属などは次の通りであった。

国務大臣    
  内閣総理大臣 東条 英機
  外務大臣 東郷 茂徳
  内務大臣(42・2・17任命) 湯沢 三千男
  大蔵大臣 賀屋 興宣
  陸軍大臣(兼任) 東条 英機
  海軍大臣 嶋田 繁太郎
  司法大臣 岩村 通世
  文部大臣 橋田 邦彦
  農林大臣 井野 碩哉
  商工大臣 岸 信介
  逓信大臣 寺島 健
  鉄道大臣(41・12・2任命) 八田 嘉明
  拓務大臣(兼任) 井野 碩哉
  厚生大臣 小泉 親彦
  国務大臣(企画院総裁) 鈴木 貞一
     
政府委員(5・25発令)    
  内閣書記官長 星野 直樹
  法制局長官  森山 鋭一
  法制局参事官 佐藤 基
  入江 俊郎
  佐藤 達夫
  企画院次長 安倍 源基
  企画院部長 柴田 弥一郎
  秋永 月三
  柏原 兵太郎
  対満事務局事務官 高辻 武邦
  情報局総裁 谷 正之
  情報局次長 奥村 喜和男
  情報局情報官 福本 柳一
  松村 秀逸
  興亜院部長 及川 源七
  技術院総裁 井上 匡四郎
  技術院次長 和田 小六
  外務次官 西 春彦
  外務省東亜局長兼
外務省亜米利加局長
山本 熊一
  外務省欧亜局長 阪本 瑞男
  外務省通商局長 水野 伊太郎
  外務省条約局長 松本 俊一
  外務省調査部長 田尻 愛義
  内務次官 山崎 厳
  内務省地方局長 成田 一郎
  内務省防空局長 上田 誠一
  内務省警保局長 今松 治郎
  大蔵次官 谷口 恒二
  大蔵省主計局長 木内 四郎
  大蔵省主税局長 松隈 秀雄
  大蔵省理財局長 山住 克己
  大蔵省銀行局長 山際 正道
  大蔵省為替局長 原口 武夫
  大蔵省監理局長 長谷川 公一
  大蔵書記官 植木 庚子郎
  専売局長官 山田 鉄之助
  陸軍次官 木村 兵太郎
  陸軍主計中将 栗橋 保正
  陸軍少将 佐藤 賢了
  陸軍大佐 真田 穣一郎
  陸軍主計大佐 遠藤 武勝
  海軍次官 沢本 頼雄
  海軍主計中将 武井 大助
  海軍少将 岡 敬純
  海軍大佐 石川 信吾
  高木 惣吉
  海軍主計大佐 稲岡 新
  海軍大佐 林 彙邇
  司法次官 大森 洪太
  司法省刑事局長 池田 克
  文部次官 菊地 豊三郎
  農林次官 石黒 武重
  商工次官 椎名 悦三郎
  商工省総務局長 神田 暹
  逓信次官 手島 栄
  海務院長官 原  清
  海務院次長 安田 丈助
  海務院部長 新谷 寅三郎
  渡辺 浩
  米田 冨士雄
  若林 清作
  中尾 国次郎
  鉄道次官 長崎 惣之助
  鉄道省監督局長 佐藤 栄作
  鉄道省運輸局長 堀木 鎌三
  拓務次官 植場 鉄三
  朝鮮総督府財務局長 水田 直昌
  台湾総督府財務局長 中嶋 一郎
  厚生次官 武井 群嗣
  逓信省経理局長 小林 武治
 
〔貴族院〕    
議長   松平 頼寿(伯爵・研究会)
副議長   佐佐木 行忠(侯爵・火曜会)
 
全院委員長   徳川 圀順(公爵・火曜会)
 
常任委員長 資格審査委員長 互選するに至らず閉会となる
  予算委員長 林 博太郎(伯爵・研究会)
  懲罰委員長 互選するに至らず閉会となる
  請願委員長 堀田 正恒(伯爵・研究会)
  決算委員長 互選するに至らず閉会となる
     
会派別所属議員氏名
     
開院式当日各会派所属議員数 研究会 160名
  公正会 68名
  火曜会 45名
  同和会 31名
  交友倶楽部 31名
  無所属倶楽部 27名
  同成会 26名
  会派に属さない議員 24名
  412名
 
研究会 大久保 利武
  林  博太郎
  堀田 正恒
  徳川 宗敬
  樺山 愛輔
  副島 道正
  大木 喜福
  黒木 三次
  柳原 義光
  柳沢 保承
  山本  清
  松平 頼寿
  松木 宗隆
  二荒 芳徳
  後藤 一蔵
  酒井 忠正
  溝口 直亮
  児玉 秀雄
  橋本 実斐
  伊東 二郎丸
  入江 為常
  井上 匡四郎
  今城 定政
  池田 政e
  波多野 二郎
  西大路 吉光
  西尾 忠方
  錦小路 頼孝
  北条 雋八
  保科 正昭
  本多 忠晃
  戸田 忠庸
  戸沢 正己
  土岐  章
  富小路 隆直
  大河内 正敏
  大河内 輝耕
  大島 陸太郎
  岡部 長景
  河瀬  真
  加藤 泰通
  谷  儀一
  立花 種忠
  立見 豊丸
  冷泉 為勇
  曽我 祐邦
  上原 七之助
  裏松 友光
  梅園 篤彦
  植村 家治
  野村 益三
  柳沢 光治
  前田 利定
  松平 親義
  松平 忠寿
  松平 乗統
  松平 康春
  松平 保男
  牧野 康熙
  舟橋 清賢
  米田 国臣
  青木 信光
  綾小路  護
  秋田 重季
  秋月 種英
  秋元 春朝
  安藤 信昭
  実吉 純郎
  清岡 長言
  京極 高修
  京極 鋭五
  北小路 三郎
  由利 正通
  水野 勝邦
  三島 通陽
  宍戸 功男
  仙石 久英
  八条 隆正
  織田 信恒
  高橋 是賢
  高木 正得
  大岡 忠綱
  大久保 教尚
  藤井 兼誼
  市来 乙彦
  今井 伍介
  石渡 荘太郎
  八田 嘉明
  坂西 利八郎
  西野  元
  堀 啓次郎
  星野 直樹
  長  世吉
  大橋 八郎
  大橋 新太郎
  太田 政弘
  大塚 椎精
  小倉 正恒
  河原田 稼吉
  唐沢 俊樹
  賀屋 興宣
  横山 助成
  田口 弼一
  竹内 可吉
  内藤 久寛
  黒崎 定三
  山川 端夫
  松村 真一郎
  松本  学
  藤原 銀次郎
  藤沼 庄平
  木場 貞長
  伍堂 卓雄
  有田 八郎
  有賀 光豊
  青木 一男
  安宅 弥吉
  木村 尚達
  結城 豊太郎
  三井 清一郎
  宮田 光雄
  勝田 主計
  白根 竹介
  下村  宏
  平塚 広義
  関屋 貞三郎
  堀切 善次郎
  山岡 万之助
  広瀬 久忠
  村瀬 直養
  三重 伊藤 伝七
  鹿児島 岩元 達一
  北海道 板谷 宮吉
  新潟 飯塚 知信
  長崎 橋本 辰二郎
  宮城 二瓶 泰次郎
  福岡 大藪 守冶
  東京 小野 耕一
  徳島 奥村 嘉蔵
  岐阜 渡辺 甚吉
  鳥取 米原 章三
  島根 田部 長右衛門
  兵庫 滝川 儀作
  大阪 中山 太一
  石川 中島 徳太郎
  栃木 上野 松次郎
  鹿児島 上野 喜佐衛門
  高知 野村 茂久馬
  滋賀 野田 六左衛門
  北海道 栗林 徳一
  熊本 山隈  康
  奈良 松井 貞太郎
  熊本 古荘 健次郎
  山口 秋田 三一
  千葉 斎藤 万寿雄
  愛媛 佐々木 長冶
  青森 佐々木 嘉太郎
  茨城 結城 安次
  千葉 菅沢 重雄
  静岡 鈴木 幸作
 
公正会 岩村 一木
  岩倉 道倶
  伊藤 一郎
  伊藤 文吉
  井田 磐楠
  稲田 昌植
  井上 清純
  今園 国貞
  伊江 朝助
  飯田 精太郎
  原田 熊雄
  西  酉乙
  坊城 俊賢
  東郷  安
  小畑 大太郎
  大井 成元
  大蔵 公望
  奥田 剛郎
  渡辺  汀
  渡辺 修二
  加藤 成之
  神山 嘉瑞
  高崎 弓彦
  高木 喜寛
  辻  太郎
  中川 良長
  中村 謙一
  中御門 経民
  村田 保定
  向山  均
  黒田 長和
  久保田 敬一
  倉富  釣
  山川  建
  山根 健男
  山中 秀二郎
  八代 五郎造
  矢吹 省三
  安場 保健
  前田  勇
  松岡 均平
  松田 正之
  松平 外与麿
  益田 太郎
  深尾 隆太郎
  近藤 滋弥
  安保 清種
  赤松 範一
  明石 元長
  浅田 良逸
  北大路 信明
  北島 貴孝
  肝付 兼英
  宮原  旭
  水谷川 忠麿
  三須 精一
  柴山 昌生
  島津 忠彦
  東久世 秀雄
  関  義寿
  千田 嘉平
  周布 兼道
  杉渓 由言
  河田  列
  古市 六三
  本多 政樹
  松村 義一
 
火曜会 岩倉 具栄
  伊藤 博精
  一条 実孝
  二条 弼基
  徳川 家正
  徳川 圀順
  桂  広太郎
  鷹司 信輔
  九条 道秀
  山県 有道
  近衛 文麿
  三条 公輝
  島津 忠承
  島津 忠重
  井上 三郎
  池田 仲博
  池田 宣政
  蜂須賀 正氏
  細川 護立
  東郷  彪
  徳川 頼貞
  徳川 義親
  大炊御門 経輝
  大隈 信常
  伊達 宗彰
  築波 藤麿
  鍋島 直映
  中山 輔親
  中御門 経恭
  野津 鎮之助
  黒田 長礼
  山内 豊景
  山階 芳麿
  前田 利為
  松平 康昌
  小村 捷治
  浅野 長武
  西郷 吉之助
  西郷 従徳
  嵯峨 実勝
  佐竹 義栄
  佐佐木 行忠
  菊亭 公長
  四条 隆徳
  広幡 忠隆
 
同和会 勅男 若槻 礼次郎
  勅男 幣原 喜重郎
  岩田 宙造
  稲畑 勝太郎
  仁井田 益太郎
  徳富 猪一郎
  小原  直
  岡田 文次
  織田  万
  田所 美治
  中川  望
  永田 秀次郎
  村上 恭一
  村田 省蔵
  宇佐美 勝夫
  野村 徳七
  倉知 鉄吉
  松井  茂
  児玉 謙次
  江口 定条
  出渕 勝次
  有吉 忠一
  赤池  濃
  沢田 牛麿
  光永 星郎
  光行 次郎
  土方 久徴
  広島 松本 勝太郎
  大阪 佐々木 八十八
  山形 三浦 新七
  岩手 柴田 兵一郎
 
交友倶楽部 久我 通顕
  勅男 山本 達雄
  犬塚 勝太郎
  橋本 圭三郎
  岡  喜七郎
  若尾 璋八
  川村 竹治
  芳沢 謙吉
  長岡 隆一郎
  中川 小十郎
  中村 純九郎
  内田 重成
  古島 一雄
  佐藤 三吉
  水野 錬太郎
  埼玉 岩田 三史
  神奈川 磯野 庸幸
  福岡 出光 佐三
  香川 大西 虎之介
  和歌山 吉村 友之進
  宮崎 竹下 豊次
  沖縄 仲村 清栄
  佐賀 中野 敏雄
  埼玉 永瀬 寅吉
  岡山 山上 岩二
  大分 麻生 益良
  広島 水野 甚次郎
  群馬 渋沢 金蔵
  愛知 下出 民義
  福島 諸橋 久太郎
  京都 奥  主一郎
 
無所属倶楽部 大山  柏
  太田 耕造
  吉田  茂
  吉野 信次
  田辺 治通
  田中 穂積
  田沢 義鋪
  滝  正雄
  黒田 英雄
  安井 英二
  松本 蒸治
  福永 吉之助
  後藤 文夫
  小山 松吉
  宮城 長五郎
  広田 弘毅
  平生 釟三郎
  千石 興太郎
  遠藤 柳作
  富田 健治
  小林 一三
  阿部 信行
  小野塚 喜平次
  田中 館愛橘
  長岡 半太郎
  姉崎 正治
  新潟 長谷川 赳夫
 
同成会 入江 貫一
  阿井 弥八
  川上 親晴
  米山 梅吉
  建部 遯吾
  塚本 清治
  次田 大三郎
  中川 健蔵
  丸山 鶴吉
  青木 周三
  菊地 恭三
  柴田 善三郎
  下条 康麿
  愛知 磯貝  浩
  福島 大谷 五平
  山梨 河西 豊太郎
  長野 片倉 兼太郎
  福井 熊谷 三太郎
  東京 小坂 梅吉
  長野 小坂 順造
  富山 佐藤 助九郎
  岡山 坂野 鉄次郎
  静岡 三橋 四郎次
  秋田 塩田 団一郎
  神奈川 平沼 亮三
  茨城 渡辺 覚造
 
会派に属さない議員 雍仁 親王
  宜仁 親王
  崇仁 親王
  載仁 親王
  博 恭 王
  武 彦 王
  恒 憲 王
  邦 寿 王
  朝 融 王
  守 正 王
  鳩 彦 王
  孚 彦 王
  稔 彦 王
  盛 厚 王
  恒 徳 王
  春 仁 王
  家 彦 王
  徳大寺 実厚
  西園寺 八郎
  毛利 元道
  醍醐 忠重
  華頂 博信
  小松 輝久
  木戸 幸一
 
〔衆議院〕 議長 岡田 忠彦(岡山・翼政会)
  副議長 内ヶ崎 作三郎(宮城・翼政会)
  全院委員長 四王天 延孝(東京・翼政会)
 
常任委員長 予算委員長 大口 喜六(愛知・翼政会)
  決算委員長 高橋 寿太郎(岩手・翼政会)
  請願委員長 永田 良吉(鹿児島・翼政会)
  懲罰委員長 清瀬 一郎(兵庫・翼政会)
  建議委員長 近藤 英次郎(山形・翼政会)
 
会派別所属議員氏名
 
召集日各党派所属議員数 翼賛政治会 458名
  無所属 8名
  466名
 
翼賛政治会 東京 牛塚 虎太郎
  河野  密
  福家 俊一
  橋本 祐幸
  鳩山 一郎
  中島 弥団次
  長野 高一
  駒井 重次
  川口  寿
  瀬母木 真六
  安藤 正純
  渡辺 善十郎
  今牧 嘉雄
  真鍋 儀十
  滝沢 七郎
  本多 市郎
  山田 竹治
  四王天 延孝
  大橋 清太郎
  本領 信治郎
  牧野 賎男
  花村 四郎
  中村 梅吉
  前田 米蔵
  赤尾  敏
  山田  清
  田中  源
  津雲 国利
  八並 武治
  坂本 一角
  京都 田中 伊三次
  今尾   登
  中村 三之丞
  田中 和一郎
  水谷 長三郎
  池本 甚四郎
  田中   好
  川崎 末五郎
  岡田 啓次郎
  村上 国吉
  芦田  均
  大阪 田万 清臣
  川上 胤三
  一松 定吉
  山本 芳治
  田中 藤作
  池崎 忠孝
  高梨 乙松
  上田 孝吉
  山野 平一
  菅野 和太郎
  大川 光三
  吉川 吉郎兵衛
  西尾 末広
  勝田 永吉
  笹川 良一
  杉山 元治郎
  大倉 三郎
  河盛 安之介
  松田 竹千代
  井阪 豊光
  神奈川 中   助松
  田辺 徳五郎
  佐久間 道夫
  小泉 又次郎
  野口 喜一
  野田 武夫
  岡本 伝之助
  平川 松太郎
  河野 一郎
  安藤   覚
  山口 左右平
  兵庫 中井 一夫
  河上 丈太郎
  今井 嘉幸
  金光 邦三
  浜野 徹太郎
  前田 房之助
  阪本   勝
  白川 久雄
  南 鉄太郎
  小林 絹治
  黒田   巌
  吉田 賢一
  清瀬 一郎
  古河 和一郎
  田中 武雄
  原  惣兵衛
  斎藤 隆夫
  佐々井 一晃
  木崎 為之
  長崎 伊吹 元五郎
  馬場 元治
  木下 義介
  中瀬 拙夫
  則元 卯太郎
  小浦 総平
  鈴木 重次
  川副   隆
  森    肇
  新潟 長沼 権一
  吉川 大介
  高岡 大輔
  佐藤 芳男
  小柳 牧衛
  稲葉 圭亮
  三宅 正一
  川上 法励
  加藤 知正
  田下 政治
  今成 留之助
  中村 又七郎
  石田 善佐
  増田 義一
  埼玉 松永  東
  宮崎  一
  遠山 暉男
  飯塚  茂
  横川 重次
  坂本 宗太郎
  高橋 守平
  石坂 養平
  新井 堯弥
  出井 兵吉
  松岡 秀夫
  群馬 中島 知久平
  木村 寅太郎
  青木 精一
  五十嵐 吉蔵
  清水 留三郎
  最上 政三
  蝋山 政道
  木暮 武太夫
  篠原 義政
  千葉 多田 満長
  成島  勇
  篠原 陸朗
  川島 正次郎
  吉植 庄亮
  伊藤  清
  今井 健彦
  岩瀬  亮
  中村 庸一郎
  白鳥 敏夫
  小高 長三郎
  茨城 内田 信也
  豊田 豊吉
  渡辺  建
  小沢  治
  中井川  浩
  福田 重清
  川崎 巳之太郎
  赤城 宗徳
  山本 粂吉
  佐藤 洋之助
  小篠 雄二郎
  栃木 船田  中
  高田 耘平
  矢部 藤七
  佐久間  渡
  菅又  薫
  森田 正義
  森下 国雄
  松村 光三
  栃木 日下田 武
  奈良 越智 太兵衛
  北村 又左衛門
  江藤 源九郎
  植村 武一
  福井 甚三
  三重 井野 碩哉
  川崎  克
  九鬼 紋七
  馬岡 次郎
  松田 正一
  浜地 文平
  田村 レイ
  長井  源
  愛知 加藤 鐐五郎
  下出 義雄
  小山 松寿
  林  正男
  山崎 常吉
  中埜 半左衛門
  桶口 善右衛門
  安藤 孝三
  野田 正昇
  加藤 鯛一
  富田 愛次郎
  本多 鋼治
  小笠原 三九郎
  大野 一造
  田嶋 栄次郎
  鈴木 正吾
  大口 喜六
  静岡 八木 元八
  山口 忠五郎
  深沢 豊太郎
  山田 順策
  加藤 弘造
  鈴木 忠吉
  金子 彦太郎
  大村  直
  勝又 春一
  太田 正孝
  森口 淳三
  坂下 仙一郎
  加藤 七郎
  山梨 高野 孫左衛門
  今井 新造
  平野 力三
  田辺 七六
  堀内 一雄
  滋賀 堤  康次郎
  松原 五百蔵
  別所 喜一郎
  信正 義雄
  広野 規矩太郎
  岐阜 清    寛
  船渡 佐輔
  石樽 敬一
  伊藤 東一郎
  安田 桑次
  三田村 武夫
  牧野 良三
  古屋 慶隆
  間宮 成吉
  長野 松本 忠雄
  藤井 伊右衛門
  小坂 武雄
  小山  亮
  小山 邦太郎
  羽田 武嗣郎
  木下  信
  小平 権一
  吉川 亮夫
  中原 謹二
  吉田  正
  小野 祐之
  小野 秀一
  宮城 内ヶ崎 作三郎
  守屋 栄夫
  庄司 一郎
  阿子島 俊治
  菊地 養之輔
  高木 義人
  村松 久義
  小山 倉之助
  福島 内池 久五郎
  小松 茂藤治
  加藤 宗平
  牧原 源一郎
  助川 啓四郎
  仲西 三良
  神尾  茂
  唐橋 重政
  植松 練磨
  星   一
  山田 六郎
  岩手 田子 一民
  八角 三郎
  高橋 寿太郎
  泉  国三郎
  金子 定一
  小野寺 有一
  鶴見 祐輔
  青森 三浦 一雄
  小笠原 八十美
  森田 重次郎
  竹内 俊吉
  長内 健栄
  楠美 省吾
  山形 高橋 熊次郎
  木村 武雄
  近藤 英太郎
  西方 利馬
  松岡 俊三
  伊藤 五郎
  池田 正之輔
  小林 鉄太郎
  秋田 町田 忠治
  信 太儀右衛門
  二田 是儀
  中川 重春
  川俣 清音
  小山田 義孝
  斎藤 憲三
  福井 中西 敏憲
  猪野毛 利栄
  酒井 利雄
  添田 敬一郎
  石川 永井 柳太郎
  村沢 義二郎
  箸本 太吉
  桜井 兵五郎
  喜多 壮一郎
  青山 憲三
  富山 井村 荒喜
  高見 之通
  中川 寛治
  松村 謙三
  大石 斉治
  卯尾田 毅太郎
  鳥取 三好 英之
  坂口 平兵衛
  豊田  収
  由谷 義治
  島根 田部 朋之
  桜内 幸雄
  原  夫次郎
  恒松 於菟二
  島田 俊雄
  田中 勝之助
  岡山 岡田 忠彦
  久山 知之
  森谷 新一
  片山 一男
  逢沢  寛
  小川 郷太郎
  星島 二郎
  小谷 節夫
  土屋 源市
  広島 古田 喜三太
  奥  久登
  岸田 正記
  加藤 俊夫
  田中  貢
  永野  護
  木原 七郎
  肥田 琢司
  永山 忠則
  土屋  寛
  作田 高太郎
  宮沢  裕
  山口 西川 貞一
  林  佳介
  紀藤 常亮
  安部   寛
  岸  信介
  西村 茂生
  窪井 義道
  八木 宗十郎
  伊藤 三樹三
  和歌山 中谷 武世
  松山 常次郎
  山口 喜久一郎
  角  猪之助
  小山 谷蔵
  森川 仙太
  徳島 谷原  公
  紅露  昭
  田村 秀吉
  秋田  清
  三木 与吉郎
  三木 武夫
  香川 藤本 捨助
  三木 武吉
  前川 正一
  矢野 庄太郎
  松浦 伊平
  岸井 寿郎
  愛媛 武知 勇紀
  岡本 馬太郎
  米田 吉盛
  山中 義貞
  河上 哲太
  村瀬 武男
  野本 吉兵衛
  毛山 森太郎
  高畠 亀太郎
  高知 松永 寿雄
  大石  大
  宇田 耕一
  依光 好秋
  中越 義幸
  小野 義一
  福岡 中野 正剛
  松本 治一郎
  森部 隆輔
  江口  繁
  満井 佐吉
  松尾 三蔵
  赤松 寅七
  吉田 敬太郎
  図師 兼弐
  楢橋  渡
  沖   蔵
  山崎 達之輔
  鶴   惣市
  松延 弥三郎
  橋本 欣五郎
  勝  正憲
  有馬 英治
  林  信雄
  大分 柏原 幸一
  金光 庸夫
  大島 高精
  一宮 房治郎
  山口 馬城次
  綾部 健太郎
  木下  郁
  佐賀 真崎 勝次
  池田 秀雄
  田中 亮一
  藤生 安太郎
  愛野 時一郎
  熊本 荒川 真郷
  大麻 唯男
  松野 鶴平
  木村 正義
  石坂  繁
  中井 亮作
  深水 吉毅
  三善 信房
  藤原 敏捷
  伊豆 富人
  宮崎 斎藤 正身
  三浦 虎雄
  曽木 重貴
  野村 嘉久馬
  小田 彦太郎
  鹿児島 高城 憲夫
  松方 幸次郎
  南郷 武夫
  小泉 純也
  津崎 尚武
  浜田 尚友
  原口 純允
  東郷  実
  寺田 市正
  宗前  清
  永田 良吉
  金井 正夫
  沖縄 漢那 憲和
  仲井間 宗一
  伊礼  肇
  桃原 茂太
  北海道 山本 厚三
  沢田 利吉
  安孫子 孝次
  正木  清
  松浦 周太郎
  吉田 貞次郎
  坂東 幸太郎
  前田 善治
  真藤 慎太郎
  大島 寅吉
  渡辺 泰邦
  手代木 隆吉
  北  勝太郎
  南条 徳男
  深沢 吉平
  星野 靖之助
  黒沢 酉蔵
  南雲 正朔
  東条  貞
  奥野 小四郎
 
無所属 東京 大神田 軍治
  新潟 北  ヤ吉
  三重 尾崎 行雄
  福井 薩摩 雄次
  岡山 犬養  健
  広島 森田 福市
  佐賀 松岡 平市
  沖縄 湧上 聾人




第八○回議会の議案

 第八○回議会は前述したように、造船体制を強化するために召集されたものであり、提出された議案も追加予算案のほか、産業設備営団法改正案、船舶建造融資補給及損失柚償法改正案の二法律案にすぎなかった。

  ところで戦時下では海運全般を国家管理のもとに置くという構想はすでに対米英開戦以前から明らかにされており、41年8月19日の閣議で決定された「戦時海運管理要綱」では、船舶管理、船員管理、造船管理という三つの側面からの国家管理が考えられていた。造船管理の部分は次のように記されている。

(一)

政府ハ主要ナル造船所及船舶用機関、部分品等製造工場ヲ管理ス。

(二)

政府ハ船舶ノ建造及修繕計画ヲ樹立決定シ注文者及造船所ヲ指定シ之ヲ実施セシム

(三)

政府ハ造船又ハ船舶用機関、部分品等製造施設ノ拡充計画ヲ樹立シ関係業者ヲシテ之ヲ実施セシム、右ニ関シテハ必要ニ応ジ助成ノ方途ヲ講ズ

(四)

政府ハ必要ナル資材、労カヲ確保シ資材ノ計画的配給ヲ為ス

(五)

船舶ノ建造価格及修繕料ハ政府之ヲ決定ス(防衛庁戦史室「海上護衛戦」、55〜6頁)。

 
  この海運管理方針の実施のため、開戦直後の41年12月19日には通信省の外局として海務院(内容は逓信・海軍両省の合作初代長官宮原清海車中将)がつくられ、翌42年1月28日には重要産業団体令にもとづく12番目の統制会として造船統制会が設立されるなどの準備がすすめられた。また海務院と海軍省との関係については、2月4日になって、海務院の事務のうち「(一)船舶用主要資材ノ需給ノ調整、(二)海軍管理工場ニ於ケル造船及船舶修ニ関スル監督」は戦時中に限り海軍大臣に管理させる旨の勅令が発せられた。しかしまださきの「戦時海運管理要綱」が全面的に発動されたわけではなく、船価の昂騰によって民間ペースの造船が行き詰まっているという状況を打開するためには、どうしても早急に政府の手による計画造船の実施が必要とされたのであった。

  そしてこの計画造船実施のためには、艦艇と船舶への造船能力の配分をどうするか国家資金の造船への投資をどんな方法で行うか、などの問題を決定しなければならなかった。前者の問題は前述の勅令の改正(7月29日)により、長さ50メートル以上の鋼船の裂造・修繕・検査などはすべて海軍大臣の管理にまかされることとなり、海軍大臣が艦艇・船舶の建造・修理などの調整にあたることとなった。後者については、船舶建造営団を新設するとか特別会計を設置して政府白身が発注するといった案も検討されたが、結局、産業設備営団(41・12設立)を利用するという方式が採用 されることとなり、5月12日の閣議は次のような「計画造船の実施確保に関する件」を決定した。

一、

産業設備営団は本件に関し政府の樹立せる計画に紡き概ね下の事業を営むものとす。

 

(イ)、標準型船舶の建造の注文およびこれが処理

 

(ロ)、造船造機施設の新設拡充およびこれが処理

二、

標準型船舶の建造または譲渡に関する基準価格は政府においてこれを決定し、その細目および実行に関する事項は関係庁協議してこれを定むるものとす。

三、

標準船舶建造のため産業設備営団が蒙る損失については政府においてこれを補償し、所要資金の調達に関しては政府は全面的に援助するものとす(以下略)(朝日5・13付け夕刊)。


  すなわち、産業設備営団は、政府が決定した戦時標準船の設計(量産と資材節約のため構造が簡易化)と生産計画にもとづいて、造船所への発注を行い、出来あがった船舶を海運業者に売渡し又は貸しつけるといった業務を行うことになった。この議会に提出された産業設備営団法の改正は、営団の業務に関する規定に、こ うした計画造船に関する事項を追加したものであり、また追加予算は計画造船関係経費に船員教育施設拡充経費などを加えたものであった。

  もう一つの議案である船舶建造融資補給及損失補償法の改正案は、これまで造船の場合に限られていた政府の資金援助を、産業設備営団から船を買受ける場合にも拡大することを主眼としたものであり、同時に貸し付け限度額の引きげなどをも加味したものであっ た。

  貴・衆両院とも、政府協力の名のもとに、さしたる討議もなしに1日でこれらの議案を通過させた。政府側の発言も、28日午前の衆議院計画造船委員会で寺島逓相が、将来においても船舶国有は考えていないと言明したことが注目された程度であった。

 (古屋哲夫)