1992年3月

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満州国人事法令年表

大同元年(1932)〜康徳二年(1935)




表紙

古屋 哲夫


凡例

1.

満州国の支配体制の基本は、1932年から35年の間に造り上げられたと見ることができる。本稿はこの時期を対象として、 満州国研究の基礎的資料のひとつである「満州国政府公報」を取 り上げ、その掲載記事のなかから、主要な人事・予算.法令をはじめ、満州国の状況を理解するのに役立つと思われるものを採録し、日付順に整理したものである。各項目の末尾には、出典として「政府公報」の号数を付した。

2.

満州国では元号が用いられ、当初は「大同」、1934年3月1日に改元されて「康徳」に変わった。当時法令が、大同又は康徳何年何号と呼ばれていたこともあり、満州国に関する記述を読む際の便宜をも考慮して、本稿ではこれらの元号を使用することとした。

3.

本稿の記述は原則として「満州国政府公報曰訳」の表現に従った。とくにカタカナの部分は「曰訳」の表現を引用したものである。なお、「政府公報」については、巻末に発行日の一覧表とともに、「曰訳」をも含めた解説を付しておいた。

4.

人事については、文官では特任官および簡任官、軍人では中将以上の任免を採った。当時の日本の制度と比べると、特任=親任、 簡任=勅任、薦任=奏任、委任=判任に対応させることが出来る。

5.

法令については、教令・勅令を網羅的に全部を収録したほか、 院令・部令からさらには訓令・指令・公告なども適宜採録した。 教令は執政時代のものであり、帝制施行後は勅令に引き継がれることとなる。なお夫々年ごとに、発令順に一号より番号がつけら れている。

6.

満州国の最初の基本法となった大同元年教令第一号「政府組織法」には、「第五条 執政ハ立法院ノ翼賛ニ依り立法権ヲ行フ」、 「第十八条 凡テ法律案及予算案ハ立法院ノ翼賛ヲ経ルコトヲ要ス」との規定があり、帝制施行後の「組織法」にも執政を皇帝に 代えただけで、そのままの内容が受け継がれており、「法律」の制定が予定されていたといえる。しかし実際には、立法院が構成 されず、従って、「法律」は制定されることなく終り、教令・勅令が法律に代わる地位を占め続けるることとなった。

7.

立法院の未成立という事態のもとで主要法令は、参議府に諮詢するという方式がとられた。教令の場合をみると、当初20号までは「茲ニ何々〈法令名〉ヲ制定シ之ヲ公布セシム /執政 溥儀印」との前文が附されていたが、21号からは「参議府ノ諮詢ヲ経テ」の語句が加えられている。

8.

参議府の権限については大同元年の「政府組織法」で「第十五条、参議府ハ左ノ事項ニ関シ執政ノ諮詢ヲ侯テ其ノ意見ヲ提出ス」  として、「一、法律、二、教令、三、予算、四、列国交渉ノ条約約束並執政ノ名ニ於テ行フ対外宣言、五、重要ナル官吏ノ任免、 六、其ノ他重要ナル国務」の六項が列挙されていた。康徳元年の「組織法」にもこの規定の基本はそのままうけつがれ、「執政」を「皇帝」、「俟テ」を「承ケテ」、「提出」を「上奏」としたほかは、「二に帝室令」を加え、「二、教令」を「三、勅令」に、「三、予算」を、「四、予算及予算外国庫ノ負担トナルヘキ契約ヲ為スノ件」に修正、以下の各項を繰り下げ全7項としただけであった。ただし、「組織法」の場合には、附則のなかで「第四十一条、皇帝ハ当分ノ間、参議府ノ諮詢ヲ経テ法律卜同一ノ効力ヲ有スル勅令ヲ発布シ予算ヲ定メ、予算外国庫ノ負担トナルヘキ契約ヲ為スコトヲ得」と規定し、立法院が存在しない事態を容認することを明らかにしていた。

9.

前項の問題と関連するが、「政府組織法」の場合には「大同元年教令第一号」とされ、「茲ニ政府組織法ヲ発布シ以テ満州国ヲ統治スル国政ノ根本法卜為ス、本法ハ将来民意ヲ採取シ満州国憲法ヲ制定スルヲ俟テ直ニ之ヲ廃止ス」との前文が附されていた。 これは参議府がまだ成立せず、近い将来の憲法制定が当然の前提として考えられていたことを示している。これに対して「組織法」 の前文は「朕皇天ノ眷命ヲ承ケ帝位ニ即キ茲ニ組織法ヲ制定シ統治組織ノ根本ヲ示ス、朕ハ統治ノ権ヲ行フニ当り此ノ条章ニ循ヒテ愆ラサルヘシ」と述べて、憲法制定までの過渡的性格をとりのぞき、参議府に諮詢せずに皇帝が独自に制定したものであることを示した。従って政府公報においても勅令とは別に組織法の欄を 設け、勅令をこえる存在として位置づけている。

10.

本稿では、この教令・組織法・勅令を強調するために、その法令名に下線を附した。なお、諸官庁の基本組織としての「官制」は「教令」または「勅令」として出されているが、その内部分科規程は、それぞれの機関の長の名によって制定され、「政府公報」では「雑報」欄・「彙報」欄などに掲載されている。

11.

これらの法令が実際に効力を発しえたかどうかについては、まだ十分に研究されているとは云えない。例えば大同元年7月5日に制定された教令54号県官制、教令55号自治県制については、実施についてさまざまな意見が出され、結局実施されないまま、翌大同2年8月12日に民政部訓令として指示された県公署執務暫行規則、各県公署暫行組織画一概要などによって、実質的に改正されてしまっている。

12.

教令・組織法・勅令や特任官の任命などは、その制定・発令の曰の公報に掲載されるようになるが、人事も法令も下位のものになるにしたがって、公報掲載がおくれている。項目末尾の公報号数の乱れは、こうした掲載のおくれを示すものに他ならない。巻末の公報発行一覧表は、この点を確認するとともに、教令・勅令・予算などの公布期日の索引に利用して頂けるものと考えている。

13.

本稿の刊行は、国立学校特別会計特定研究経費によった。記して感謝の意を表する次第である。

     
1992年3月                        古屋 哲夫



満州国人事法令年表

―大同元・1932年―

3月1日

満州国建国宣言 満州国政府1号

3月1日

フ告一・「国号ヲ満州国卜定ム」、フ告二・「年号ヲ大同卜定メ 西暦一九三二年三月一日ヨリ大同元年卜称ス」・フ告三・「国旗旗式」 旗地を黄色とし、「旗ノ左方上角ハ紅藍白黒ノ四色トシ全旗ノ四分ノ一ヲ占有ス」1号

3月1日

執政宣言1号

3月9日

教令1号 政府組織法(40条、第1章執政1−13条、第2章議府14−16条、第3章立法院17−26条、第4章国務院 27−31条、第5章法院32−36条、第6章監察院37−39条、附則40条)1号

3月9日

教令2号 人権保証法(13条、法律の範囲内の権利の保証、「不当ナル経済的圧迫ヨリ保護」などを規定)1号

3月9日

教令3号 暫ク従前ノ法令ヲ援用スルノ件(4条)1号

3月9日

教令4号 参議府官制(11条、議長・副議長・参議若干名および秘書局より構成)1号

3月9日

教令5号 国務院官制(18条、国務総理、総務庁について規定、国務総理は「執政ノ命ヲ承ケ各部総長ヲ指揮監督シ国家行政ノ機務ヲ掌理」すると共に、「部内ノ機密人事主計及需用ニ関スル事項ヲ直宰シ」総務庁に処理させる。総務庁は秘書処・人事処・主計処・需用処より成る。需用処は営繕・用度に関する事項を管掌〉1号

3月9日

教令6号 国務院各部官制(61条、第1章通則、第2章民政部に総務・地方・警務・土木・衛生・文教の6司、第3章外交部に総務、 通商・政務の3司、第4章軍政部に参謀・軍需の2司、第5章財政部 に総務・税務・理財の3司、第6章実業部に総務・農鑛・工商の3司を置く、各部の長は総長、「各部ニ次長一人ヲ置クコトヲ得」)1号

3月9日

教令7号 監察院法(19条、「執政二直隷シ国務院二対シ独立ノ地位ヲ有ス」、院長・監察官・審計官・秘書官・事務官・属官および監察・審計の2部を置く)1号

3月9日

教令8号 法制局官制(8条、国務院に隷属し、「法律案教令案軍令案及院令案ノ起草及審査」などを管掌、局長・参事官・事務官属j官をおく〉1号

3月9日

教令9号 統計処官制(7条、法制局に附置、処長・統計官・属官をおく)1号

3月9日

教令10号 資政局官制(12条、「国務院二隷属シ各部施政ノ暢達ヲ資クル所トス」、局長・理事官・事務官・属官および総務・弘法の2処を置く〉1号

3月9日

教令11号 興安局官制(16条「国務院二隷属シ興安省二関スル一般行政ヲ管掌シ並二別二定ムル地域内ノ蒙古旗務二関シテ国務総理を補佐ス」、 総長・次長・参与官・秘書官・理事官・技正・事務官・属官および総務・政務・勧業の3処を置く〉1号

3月9日

教令12号 興安省ニ三分省ヲ分設スルノ件(「興安局ノ統治スル区域ヲ興安省ト定メ三分省ヲ分設ス」、興安北分省・興安南分省・興安東分省)1号

3月9日

教令13号 省公署官制(興安省を除く各省に省公署・省長・理事官・秘書官・技正・事務官・視学・属官および総務・民政・警務・実業・教育の各庁をおき、理事官を庁長にあてる)1号

3月9日

教令14号 暫ク省公署ニ参事官ヲ置クノ件(1省に6名以内)1号

3月9日

教令15号 暫行公文程式令(9条、1.教書=国務に関して発表される執政の意思。2.執政令=法律、教令、軍令、国際条約、予算及国庫の負担となるべき契約の公布。3.院令=国務院の発する命令、4.部令及局令=国務院各部及興安局の発する命令、5.省令、6.任命状=特任官及簡任官は執政が署名鈴印し、国務総理が副署、薦任官は国務総理が署名捺印、委任官は当該官署の長官が署名捺印、7.委任令、8.訓令、9.指令、10.布告=「人民ニ対シ事実ヲ宣示」、11.咨=同等の官署間の往復公文、12.呈=人民よりの陳情請訓、13.公函=隷属関係なき官署間の往復公文、14.批=陳情に対する認可又は反駁)1号

3月9日

国務総理

鄭孝胥 参議府議長 張景恵
 

民政部総長

臧式毅

参議府副議長

湯玉麟

 

外交部総長

謝介石

参議府参議

張景恵  湯玉麟  張海鵬

 

軍政部総長

馬占山

 

袁金鎧  羅振玉  貴 福

 

財政部総長

熙 洽

監察院長

于冲漢

 

実業部総長

張燕卿

奉天省長

臧式毅

 

交通部総長

丁鑑修

吉林省長

熙 洽

 

司法部総長

馮涵清

興安局長官

斉黙特色木丕勒

 

立法 院長

趙欣伯

東省特別区長官

張景恵

 

最高法院長

林 ケイ

中東鉄路督弁代理

李紹庚1号

 

最高検察庁長

李 槃

 

 

3月9日

「長春ニ於テ執政就任式ヲ挙行ス」1号

3月9日

「甘粕正彦ヲ執政府諮議ニ任命ス」4号

3月10日

民政部次長に葆康、軍政部次長に王靜修、財政部次長に孫其昌、京師憲兵司令官に徳楞額、長春特別市長に金璧東を任命。1号

3月10日

「駒井徳三ヲ暫ク国務院総務長官ニ特任ス」2号

3月10日

国務院フ告 「満州国国都ヲ長春ニ奠ム」1号

3月11日

教令16号 大赦令1号

3月11日

羅振玉の参議辞職を認める。3号

3月12日

黒竜江省警備司令官に程志遠を任命。1号

3月12日

財政部総務司長に坂谷希一、外交部総務司長に大橋忠一を任命。
軍政部参謀司長に郭恩霖、同軍需司長に張益三を任命。2号

3月12日

民政部総務司長に中野琥逸、財政部税務司長に源田松三を任命。3号

3月14日

奉天省警備司令官に干シ山、吉林省警備司令官に吉興を任命。

3月14日

国務院フ告 「長春ヲ新京ト命名ス」1号

3月18日

院令、東北交通委員会の解散と一切の書類の交通部への引き渡しを命ず。1号

3月18日

「五十嵐保司ヲ中央銀行設立委員長ニ、劉(火+?)(草冠+分+木)、酒井輝馬、久富治、竹内徳三郎、郭尚文、川上市松、劉世忠、日岡恵二ヲ委員ニ、難波勝二ヲ委員長補佐員ニ委任ス」4号

3月18日

東省特別区長官、銀行公会に哈爾浜大洋為替相場暴騰を鎮静させるよう訓令5号、3月23日5号、4月28日に再び訓令7号

3月22日

執政府諮議に中島比多吉、内務官に小平総治を任命。2号

3月25日

院令 「学校課程ニハ四書孝経ヲ使用講授シ禮教ヲ尊崇セシム、凡ソ党議ニ関スル教科書ノ如キハ之ヲ全廃ス」1号

3月29日

院令 「満州国警察権爾後之ヲ中央ノ管轄ニ帰属セシム」1号

3月29日

興安南分省長に業喜海順、興安東分省長に額勒春、興安北分省長に凌陞を任命。1号

3月29日

国務院、東三省官銀号・吉林永衡官銀号・黒竜江官銀号・辺業銀行の4行を以て、中央銀行を組織し、本店を長春に置くとの決定を関係省長に電訓。2号



以下、康徳2・1935年まで続く