『人文学報』第36号

1973年3月

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北一輝論 (1)


 

古屋 哲夫


は じ め に

1帝国主義と国家の必要
2社会の進化と個人
3公民国家=社会民主主義論
4国体論批判の性格と天皇機関論
5社会主義運動論の特徴と矛盾



3公民国家=社会民主主義論


 北の理論に於て、社会と国家の関係があいまいであることは、既に多くの論者によって指摘されているところである。例えば神島二郎氏は「彼には、国家と社会との区別がなく、支配機構としての制度観が確立されていない 1)」と述べ、或いは久野収氏は「国家と民族と生活上のゲマインシャフト〈共同体〉をほとんど無差別に混用し、それらをすべて国家という名前で呼ぶ意味論的まちがいをおかしている2)」と批判している。

 

1)

『北一輝著作集第1巻』「解説」(1-440頁)。

 

2)

「超国家主義の一原型」『近代日本思想史講座』4、149頁。

 
  なるほど北は国家と社会との関係を一般的な形では何等説明せず、両者を等置するかの如きやり方で、突如として国家の問題を引き入れているという印象をあたえる。例えば「社会主義者は…社会国家の為めに社会国家に対して個人の責任を要求す」(1−91頁)、「地理的に限定せられたる社会、即ち国家」(1-211頁)、「故に国家其者の否定を公言しつつある社会主義者と称する個人主義者は社会其者の否定に至る自殺論法として取らず」(1−348頁)などといったたぐいである。しかし彼の論理の展開をみると、その要となっているのは、国家の問題を如何にして社会進化論のなかに位置づけるかという問題なのである。そしてその両者を結びつける論理として主張されたのが「国家人格実在論」であった。

  「国家人格」とは、進化の過程で拡大・強化される社会性そのものを指していると解される。「国家の人格とは吾人が前きに『生物進化論と社会哲学』〈第3篇〉に於て説きたる社会の有機体なることに在り。 即ち空間を隔てたる人類を分子としたる大なる個体と言ふことなり」(1-239頁)という言葉もこのように解さなくては意味をなさなくなってくる。彼はまた、国家を擬制的な法人格とみる学説を批判して、「個人主義の仏国革命を以て国家を分解せしと言ふも国家は依然として社会的団結に於て存し破壊せられたるは表皮の腐朽せる者にして国家の骨格は嘗て傷れざりしを見よ」(1-238頁)とも述べている。従って、彼の国家と社会とを等置した用語法は、国家が社会性の代表者であることを強調するためのものであったと読めるのである。

  ではそのような用語法が何故読者を納得させず、「混用」と批判されるのかと言えば、彼が基礎理論としてきた社会進化論によっては何ら国家の形成が説明されていないからにほかならない。つまり、国家人格によって社会進化と国家との対応関係が示されるだけで、社会進化が何故国家人格を生み出すのかは全く明らかにされていないのである。

  このことはおそらく、北が国家の存在を自明のこととして前提してしまっていたことを意味するにちがいない。すでにみたように日露戦争を目前にした彼の関心は、国家の必要を如何にして論証するかという点に向けられていたのであり、そこから出発した彼は、国家を如何に意義づけるかという問題を中心に置き、そのための理論として社会進化論を用意したように思えるのである。従ってそこでは、国家を社会によって内容づけ、社会主義にとってもまた必要不可欠のものとして意義づけることに関心が集中し、国家を社会から区別するという逆の方向は欠落してしまったとみることが出来よう。彼はまた「人格は人格の目的と利益との為めに活動す」(1-240頁)とも述べているのであり、従って、国家人格を中核としない社会は、それ自身主体的に活動できないより低次の有機体と考えていたと思われるのである。つまり北の理論では、社会有機体論は国家有機体論としてしか完結しないのであり、言いかえれば、国家人格は社会を有機体として完成させるものとして意義づけられていたのであった。

  では、国家人格の問題は、進化論のなかに如何に位置づけられているのか。ここで北は「人格」という言葉を2つの意味で使っている。第1は国家人格と言う場合の人格であり、北はこの言葉で社会の有機体としての統一そのものを指しいるようにみえる。すなわち、国家人格は常に主体的に行動出来るのではなく、社会のなかに潜在的に実在している場合が想定されているからである。第2には、物格に対するものとしての人格という用語があげられる。つまり物格とは他人の所有物としてその処分に服従している客体を指し、これに対して人格とは自己の利益と目的のために活動する権利の主体となるものを指しているのである。

  北は人格についてのこの2種の用法を用いて、まず国家人格が現実の権力とは別に実在していると説く。そしてそれが、君主の所有物=物格としての国家から、権利の主体となり主権をもった人格としての国家へと進化するというのである。この説明では、国家人格と国家との関係があいまいであり、それがまたさきの国家と社会の混用という問題につながっていることは明らかであるが、ともかく北の主張したかったのは、国家人格の人格化ということであったと思われる。それは、社会のなかに埋没していた個人が、自由独立な個人として分化してくるのと同様な過程として、国家の進化を考えたものと言いうるであろう。北は次のように説明している。

  「国家は始めより社会的団結に於て存在し其の団体員は原始的無意識に於て国家の目的の下に眠りしと雖も…其の社会的団結は進化の過程に於て中世に至るまで、土地と共に君主の所有物となりて茲に国家は法律上の物格となるに至れり。即ち国家は国家白身の目的と利益との為めにする主権体とならずして、君主の利益と目的との為めに結婚相続譲与の如き所有物としての処分に服従したる物格なりき。即ち此の時代に於ては君主が自己の目的と利益との為めに国家を統治せしを以て目的の存する所利益の帰属する所が権利の主体として君主は主権の本体たり。而して国家は統治の客体たりしなり。此の国家の物格なりし時代を『家長国』と言ふ名を以て中世までの国体とすべし。今日は民主国と言ひ君主国と言ふも決して「中世の如く君主の所有物として国土及び国民を相続贈与し若しくは恣に殺傷し得べきに非らず、君主をも国家の一員として包含せるを以て法律上の人格なることは諭なく、従て君主は中世の如く国家の外に立ちて国家を所有する家長にあらず国家の一員として機関たることは明かなり。即ち原始的無意識の如くならず、国家が明確なる意識に於て国家自身の目的と利益との為めに統治するに至りし者にして、目的の存する所利益の帰属する所として国家が主権の本体となりしなり。此れを『公民国家』と名けて現今の国体とすべし。」(1-214〜5頁)

  北の国家論の骨格は、この引用部分のなかに尽きているように思われる。彼は人格化された国家を「公民国家」と名づけるのであるが、この公民国家の出現は、人類進化の上の一大画期を意味することになるにちがいない。すなわち、自律的な個人の出現を第1の画期とすれば、この公民国家の出現は第2の画期とされねばならないであろう。すでにみたような、自律的個人の公共心の拡大強化が、社会の進化をもたらすという論理だけでは、その強化の度合いから社会の進化を質的に画期づけることは困難であったが、北はそこに国家の物格から人絡への進化という観点を引き込むことによって、主権を獲得し生存進化の目的を有する主体的有機体としての国家=公民国家を設定したのである。そしてそこから、個人の公共心は国家へと焦点をしぼることによって、より明確な進化の担い手たりうるとの観点が導かれてくるのであった。 いわば有機体としての社会の統一そのものを国家人絡と名づけることによって、これまでみたような社会と個人との関係は、そのまま国家と個人の関係におきかえられ、しかもそれは進化にとって一層本質的なものとみなされるに至るのである。すなわち、社会を拡大強化したのが個人の公共心であり、それはまた社会そのものの意識であるとされたのと同様に、公民国家を成立せしめたのは個人の国家意識の発展であり、それはまた国家そのものの意識にほかならないと主張されるのである。彼が人格化した国家を「公民」国家と呼んだのも、このような国家意識の発達した個人を基礎におくことを強調したかったがためであろう。それはまた個人に対する国家の要求へと転化されるのは必然であった。

  「実に公民国家の国体には、国家自身が生存進化の目的と理想とを有することを国家の分子が意識するまでに社会の進化なかるべからず。即ち国家の分子が自己を国家の部分として考へ、決して自己其者の利益を終局目的として他の分子を自己の手段として取扱うべからずとするまでの道徳的法律的進化なかるべからず。」〈1−348頁)

  つまり、公民国家に於てはじめて、国家は社会有機体と一致し、従って国家の強化が社会の強化と一致し、国家は進化のための生存競争の単位たるの資格を得るのであり、それ故にまた、国家は進化の名において、個人に対して忠誠を要求し得る立場に立つことになるのである。「国家は生存の目的を有す、国家は進化の理想を有す、而して吾人は凡て上下なく国家の分子なり、国家の分子として国家の生存進化の目的理想のために努力すべき国家の部分たる吾人なり」(1−350頁)と。

  北は、公民国家が出現した進化の段階では、国家主義者であることが、進化の担い手となる必須の条件であり、社会主義もまた、この公民国家を完成させるためのものでなければならないと考えたのであった。かくして北は、日露戦争前に直面した社会主義と帝国主義の矛盾という問題を、公民国家という基盤の上で解決し得ると自負したにちがいないし、そのことが彼をして『国体論及び純正社会主義』の自費出版に駆り立てたであろうことは想像に難くない。

  では北の言う公民国家とは一体どのような内容を持っているのか。彼はまず、君主国か共和国かという分類に反対する。彼は国家を考える基準として「国体」と「政体」を用いるのであるが、彼の「国体」によると、一般に通用している君主国か共和国かという分類は無意味になるというのである。すなわち「国体とは国家の本体と言ふことにして統治権の主体たるか若しくは主権に統治さるる客体たるかの国家本質の決定なり」(1-236頁〉とするのであり、従って国家が統治権をもつ主権者であるか、或いはまた統治される客体にすぎないかが国体の分れめなのであって、君主が存在するかどうかは二次的な問題にすぎないということになるのである。この前者、国家が統治権の主体である場合が、「公民国家」であることは言うまでもないであろう。つまり、彼にとっては、公民国家か否かを判定することが国体論の最も重要な課題なのであった。

  では君主の存在はどういうことになるのかと言えば、君主個人が統治権の主体=主権者である場合にはその国家は公民国家と区別される「家長国家」とされるが、国家が王権をもつ「公民国家」の場合には、君主は存在していてもそれは統治権の所有者ではなく、統治権発動のための制度=「機関」だというのである。北はこの「統治権発動の形式」(同前)を「政体」と名づけるのであり、「機関」、とくに最高機関の組織によって政体を分類するのである。彼においては、公民国家における政体は、次のように3分類される。

第1

最高機関を特権ある国家の一員にて組織する政体(農奴解放以後の露西亜及び維新以後23年までの日本の政体の如し)

第2

最高機関を平等の多数と特権ある国家の一員とにて組織する政体(英吉利独乙及び23年以後の日本の政体の如し)

第3

最高機関を平等の多数にて組織する政体(仏蘭西米合衆国の政体の如し〉

(1-236頁)

 ここで「特権ある国家の一員」なる語が君主を指していることは容易に推測されるであろう。そして北は天皇をもこのなかに含ませていた。このことはあとで詳しくみることにするが、この文章で日本に触れている部分の意味は、明治維新から大日本帝国憲法の制定までは最高機関は天皇だけによって、その後は天皇と帝国議会の両者によって組織されているということにほかならない。従って公民国家の政体は、専制君主制、立憲君主制、共和制のいずれの場合もあり得るということになるのである。そして「特権ある国家の一員」の「特権」についてはそれ以上追究せず、ただ国家の必要によるものと理解するだけに止っているのである。そのことは、北にとって公民国家であるか否かが本質的な問題であり、その下の政体の問題は二義的な意味しか持たなかったことを示していると言ってよい。そして、この論理でゆけば、日本は欧米に対する後進国ではなく、欧米とならぶ「公民国家」となる筈であった。北のねらいはこの点にあったのであろう。彼はこれ以上政体の問題に深入りしようとはしなかった。彼が強調しようとしたのは、公民国家に於いては、君主と国民は相対立する階級ではなく、共に国家に対して権利義務を持つ機関なのだという点であった。彼は言う。

  「近代の公民国家に於ては…主権の本体は国家にして国家の独立自存の目的の為めに国家の主権を或は君主或は国民が行使するなり。従って君主及び国民の権利義務は階級国家に於けるが如く直接の契約的対立にあらずして国家に対する権利義務なり。果して然らば権利義務の帰属する主体として国家が法律上の人格なることは当然の帰納なるべく、此の人格の生存進化の目的の為めに君主と国民とが国家の機関たることは亦当然の論理的演繹なり。」(1-214頁)

  従って、さきの「特権ある国家の一員」の「特権」も、国民に対する特権ではなく、「国家の目的の為めに国家に帰属すべき利益として国家の維持する制度」〈1-213頁)ということになるのである。つまり公民国家に於ては、君主も国民も国家の機関の観点からみれば平等だというのである。彼が「国家の進化は平等観の発展に在り」(1-349頁)という時、その平等観とは 国家の一員として平等だとの意識、つまるところ国家意識そのものを指していたと解されるのである。しかもそれは彼の進化論にあっては、国家人格そのものの意識とされるのであるから、国家人格の主体化としての公民国家において最高機関がどのように組織されるかは、その国家人格の「個性」―彼はそのような言葉を用いてはいないが―の問題と考えられていたのではないであろうか。北が、公民国家の3つの政体の間の得失について論じようとしなかったのは、そのような考え方によるものではなかったか。つまり、日本が「公民国家」として欧米国家と肩をならべたとする彼の論から言えば、政体の問題は国家の本質にかかわりない国家の個性の問題とならざるをえないように思われるのである。

  ところで、以上のような形で、北が公民国家を人類進化の画期として設定したのは、たんに自らの進化論を完成させるためではなかった。彼のもう1つのねらいはこの公民国家を以て社会主義を基礎づけるという点にあった。彼が「土地及び生産機関の公有と其の公共的経営と言ふことが社会主義の背髄骨なるなり」(1-60頁)と述べている限りでは、3年前の「国家の手によりて土地と資本との公有を図る」(3−90頁)という社会主義観そのままであるかにみえる。しかしさきには、国家の必要が強調されたのに対して、ここでは社会有機体が最高の所有権者であるとする論点が正面に押し出されてくるのである。「社会主義は社会が社会労働の果実に対して主張する所有権神聖の声なり」(1-25頁)つまり彼は富は社会的に形成されたものなのだから本来社会に帰属すべきものだとして、社会のものを社会に返させることを以て社会主義の目的と考えるのである。それは同時に労働者階級による公有を否定することでもあった。

  「真に法律の理想によりて円満なる所有権を主張し得るものは、其等個々の発明家にもあらず、其の占有者たる階級の資本家にもあらず、 又その運転を為しつゝある他の階級たる今の労働者にも非ず、只歴史的継続を有する人類の混然たる一体の社会のみ。 機械は歴史の智識的積集の結晶物なり。 機械は死せる祖先の霊魂が宿りて子孫の慈愛のために労働しつゝあるものなり。 …故に若し所有権神聖の理由を以て社会主義に対抗せんとするものあらば、 社会主義は寧ろ社会労働の果実たる資本に対して所有権神聖の名に於て公有を唱ふと言はん。」(1-26頁)

  社会を最高の所有権者とみるこの社会主義は、国家を社会の人格化とする理論によって国家主義へと転化する。すなわち、社会は国家人格が主体化した公民国家に於てはじめて所有権者たる資格を得たことになるのであり、社会主義は公民国家に於てはじめて実現の基礎的条件を得たとされるのである。従って社会主義は、公民国家の擁護者、その進化の推進者として性格づけられることになる。つまり社会主義の任務は、土地・資本を国家に与えて、公民国家を強化することにほかならなくなるのであった。

  同時に北は、さきの平等観の発展=国家意識の浸透を以て民主主義の基礎的条件の成立とも考えていた。彼は公民国家を社会主義と同時に民主主義をも内含するものとして設定したのであった。もちろんそれによって民主主義の意味がそれ相応に変容させられたことは当然であろう。彼は言う。「国民(広義の)凡てが政権者」たるべきことを理想とし国民の如何なる者と雖も国家の部分にして、国家の目的の為め以外に犠牲たらざるべからずとの信念は普及したり。即ち民主主義なり」(1-360頁)と。北は国民の政権への参加や普通選挙についても語っている。然し彼が民主主義の基本的条件としたものが、国家意識の普及にあったことはこの引用からも明らかであろう。そして、政権参加の具体的あり方を重視しなかったことは、さきの君主の特権の内容を問おうとしなかったことと表裏をなすものに他ならなかった。
ともあれ、先には偏局的社会主義と偏局的個人主義から自らを区別するために「純正社会主義」を名のった北は、今度は公民国家を基礎とする点で、自らの立場を「社会民主主義」と称したのであった。

  「『社会民主主義』とは個人主義の覚醒を受けて国家の凡ての分子に政権を普及せしむることを理想とする者にして個人主義の誤れる革命論の如く国民に主権存すと独断する者に非らず。主権は社会主義の名が示す如く国家に存することを主張する者にして、国家の主権を維持し国家の目的を充たし国家に帰属すべき利益を全からしめんが為めに、国家の凡ての分子が政権を有し最高機関の要素たる所の民主的政体を維持し若しくは獲得せんとする者なり。」(1-246頁)

  このような北の社会民主主義から言えば、現実の国家が基本的に公民国家の性格を持つと考えられる場合には、そこにはすでに社会民主主義の要素が存在しているということになり、この要素を強化すると共に主として経済的な面での変革を行うことによって社会主義は実現し得るということになるのである。彼はかつての矛盾―帝国主義者として現実の明治国家の膨脹を積極的に支持しながら、他面では社会主義者として体制の変革を志すという矛盾を、このようなやり方で、つまり明治国家を公民国家と認定することによって解決しようとしたのであった。

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