『帝国議会誌』第30巻

1977年12月

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第七一回帝国議会 貴族院・衆議院解説


 

古屋 哲夫

 

第七一回帝国議会 貴族院解説
第七一回帝国議会 衆議院解説

第七一回帝国議会 衆議院解説
第二〇回総選挙
林内閣総辞職
近衛内閣の性格
財政経済三原則と盧溝橋事件
第七一回議会の召集
衆議院の状況

第七一回帝国議会 衆議院解説



第二〇回総選挙

 林内閣が第70回議会の最終日に至って、突如として衆議院を解散したことは、国民を驚かせ、政党を憤激させるものであった。政府側は、主要議案の審議を停滞させるなどもはや政党側には誠意が認めがたいとし、政党の反省・自覚を促し議会刷新の第一歩とするために解散を断行したと主張した。つまり、特定の政策をめぐる議会との対立を解決するためではなく、議会の質的向上をめざす解散だというわけである。しかし、解散は議会の勢力分野を変えることを目標とするものだという一般常識からすれば、この政府の抽象的な言い分は理解できないものであった。従って当初は、この解散を機に政府側が何らかの政党再編策を実行に移すのではないかとの観測もみられた。例えば解散当日の東京朝日新聞夕刊(4・1付け)は、

 

「政府は既成政党の分解作用と新党出現に望みをかけ」「解散断行に就いては……第一に政党に対する膺懲的意味と新党待望の気持を含めている。このため政府としては来るべき総選挙ならびに政局異変に対しては『立憲政治の健全な発達』と『政党の自覚促 進』の二大旆を高くかざして強く国民に訴えようとしている」

と述べ、また4月2日の社説「総選挙に対する政府の義務」では、総選挙で国民の判断を求めようとする以上、「どの点に時局認識の相違があるのか、政策政見の対立があるのかをはっきりさせるのが何よりも先」 であるとし、

 

「今のままでは、政府を非として、民政政友を是とする場合には、投票のしやうもあるが、林内閣を是とする場合には、どう投票するのか……政府は一日も早く対政党の態度をはっきりし、新政党の母胎でも作り上げて、国民の前にこれを明瞭にしなければならぬ」

と主張した。もちろん政府側でもそうした方向に事態を進展させることを望んではいた。解散直後の記者会見で林首相は「時局に目ざめた政党が出ることは希望 している」(東朝、4・1)と述べ、また、4月8日には近衛文麿を訪問、「既成政党も革新勢力も打って一 丸となった新政党の出現」(東朝、4・9付け夕刊)への希望を語ってもいた。しかし近衛に新党組織に動く気 配はなく、昭和会・国民同盟といった準与党を糾合し てみても大した勢力を期待できず、かといって、反政府熱の高まっている政・民両党を切り崩すことも、この期に及んでは不可能とみられた。  

  一方、政府から「膺懲」の対象とされた政・民両党は、選挙戦を通じて解散の非立憲性・独善性を国民に訴え、林内閣反対の気運を盛りあげようとした。つまりこれまでの選挙におけるような両党間の争いをやめ、 反林内閣共同戦線をつくって、与党小会派に痛撃を与えるべきだとする気分が強まっていった。民政党では「町田総裁は去る五日の党連合会において従来の微温的態度を一擲し、断乎反政府の態度を闡明したため党員の活気は愈々揚がり、打倒林内閣の旗幟の下に党の結束は強化され」、また政友会では「今回の解散が頗る無理であったので現内閣に対しても好意的是々非々の態度を執らんとしていた者迄も自然に反政府的態度をとらざるを得なくなると共に、従来閣内の一部の者や昭和会等と連絡をとって新党の出現を希望していた者も、これ等と行動を共にすることが出来なくなったので、政友会は挙党一致で林内閣打倒と、現内閣支持の群小会派撃滅の旗幟の下に政戦に臨むこととなった」 (東朝、4・12)と伝えられた。

  このように、政策上の具体的争点もなく、勝敗の明らかな政・民両党対群小会派という選挙戦では、国民の関心が盛り上がらないのも当然であった。しかもそのうえ、政治状況の根底的問題に触れる言論に対しては、強い弾圧が加えられた。総選挙を前にした四月五日、林内閣は地方長官会議を召集、選挙に対する態度を説明すると共に、軍民を離間する如き言論の取締りを命じたが、翌6日の府県警察部長会議では内務省は取締りの対象とすべき言論を次のように指示している。

「一、

革新断行或は国民生活安定実現のため、大衆蜂起或は直接行動等の非合法行動を煽動するが如き言論

一、

軍は侵略的意図をもって徒に戦争を挑発しつつありとなすが如き言論  

一、

軍は議会制度を否認せんとする意図を有すと誣ふるが如き言論

一、

軍の命令服従関係に疑惑を懐かしむるが如き言論

一、

徴兵制度に疑惑を懐かしむるが如き言論  

一、

人民戦線運動を煽動するが如き言論」(東朝、4・7)。

     
  こうした言論抑圧の強化のうえに、選挙粛正のかけ声とともに、いわゆる形式的選挙違反への取締りも厳 しくなっているとあって、選挙運動は全般的に低調であった。「笛吹けど踊らず」の傾向は、前々年には国体明徴運動の主力となった在郷軍人会などでも明らかであった。  

 

「右翼派並に中立派は何れも郷軍方面の好意的支持を期待しているやうだが、郷軍の選挙に対する意気込みは近来になく積極的ではあっても各分会や各班等ではそれ程有力な動きを見せていない。秋田でも山形でも本部の指令に基き、各支部は選挙に臨む郷 軍としての態度を指示した文書を配布し、国防に理解のある人を選び反軍的人物を排除すべしと強調している他、県内数か所に各地区の分会長等を集め、連隊区司令官以下が出張して懇談会を開き郷軍としての理想人物推薦の具体的方法等についても協議した。然し今までの所では上からの働きかけで、各分会、班を基礎とした下からの動きは全く現れていないやうである」 (東朝、4・19「地方戦線視察、秋田・山形」)。


  ともかくも選挙戦は「今回総選挙の最大特異性は全国を蔽ふ選挙熱の冷却である」(東朝、 4・26)という状況のなかで進められ、4月30日投票日をむかえた。  

  選挙結果は次表の通りであり、党派別で最も躍進したのは社会大衆党であった。注目の政・民両党は民政が後退してほぼ互角となったが、社大党を加えた三党の合計は、殆んど変化していない。また内閣に山崎達之輔農相を送って唯一の与党と目された昭和会が敗北 したのは、林内閣の不人気のあらわれとみられた。

第20回総選挙結果
党派別 民政党 政友会 社会大衆党 昭和会 国民同盟 東方会 中立その他
当選者数 179名 175 37 19 11 11 34 466
立候補者数 267名 266 66 36 21 20 150 826
解散時議席 204名 171 20 24 11 9 25 *464
(* 欠員2名)


  またこの選挙で棄権率、とくに大都市における棄権率の上昇が顕著であり、大阪4区(東淀川・西淀川・東成・西成・旭・住吉区)53.9%、大阪1区(西・港・大正区)50.2%と半数をこえる有権者が棄権する選挙区があらわれたほか、大阪2・3区、東京1・5区、京都1区でも4割をこえる棄権率が示されていた。 なおいわゆる普選実施後の棄権率は次表の如く推移しており、前回選挙より実施された選挙粛正運動が棄権率を増加させる結果となり、更に今回はそのうえに、選挙そのものの不人気という現象が加わったと推定することができる。

普選実施後の棄権率(%)
右地域・下選挙 全国平均 東京府 大阪府 京都府 神奈川県 兵庫県
16回(昭3) 19.5 23.5 27.6 23.6 34.5 21.1
17回(昭5) 16.5 20.4 23.3 24.2 22.8 16.9
18回(昭7) 18.2 22.1 31.5 27.0 21.4 21.4
19回(昭11) 21.1 26.6 35.2 32.9 25.1 23.2
20回(昭12) 26.3 37.3 45.7 35.5 30.8 28.5


 なお、当時の東京朝日は、この「総選挙に現はれた民意」を次のように特徴づけていた。   

 

「その一つは、矯激なる議会制度撹乱的な言論を支持しなかったことである。その二は、独善主義を批判して政府に深甚なる内省を求めたことである。而してその三は、実に、新興の社会大衆党を倍大させて、一面既成政党への他山の石たらしめ、他面議会に新生面を開かんとするの示唆を与えたことにあると云へよう。その勤労議会建設なるスローガンは具体的な朔瞭さを欠くにしても、ともかく議会の改革と再建を必要とし、これを待望する意味において投票は集中したのである。また国内改革の必要と独裁的傾向への反対論も、個々の論議の内容に賛成しない者でも、その大体の志向を是なりとして合流して行ったと見られる」(5・3、社説)。

  ともあれ、この選挙結果によって、林内閣が苦境に追いこまれたことは確かであった。

第20回総選挙当選者一覧表(1937年4月30日施行)    
      選挙区名の下の数字は有権者総数
  得票数 党派 新元前 候補者指名
東京一区 116,627      
  14,798 社大 河野  密
  8,086 民政 原  玉重
  7,663 民政 高橋 義次
  7,539 中立 道家 斉一郎
  7,279 政友 本田 義成
東京二区 116,879      
  19,251 社大 安倍 磯雄
  12,101 政友 鳩山 一郎
  11,757 民政 中島 弥団次
  8,864 民政 駒井 重次
  8,863 民政 長野 高一
東京三区 107,527      
  13,923 民政 頼母木 桂吉
  12,590 社大 浅沼 稲次郎
  11,701 中立 田川 大吉郎
  11,133 政友 安藤 正純
東京四区 104,821      
  12,096 社大 阿部 茂夫
  10,192 民政 真鍋 儀十
  8,352 政友 滝沢 七郎
  7,915 中立 朴  春琴
東京五区 392,557      
  34,143 社大 麻生  久
  32,914 日本無産 加藤 勘十
  28,599 民政 斯波 貞吉
  27,847 社大 三輪 寿壮
  25,023 政友 牧野 賎男
東京六区 391,896      
  37,949 社大 鈴木 文治
  37,606 政友 前田 米蔵
  34,391 民政 山田  清
  33,285 民政 中村 梅吉
  24,648 政友 田中  源
東京七区 89,238      
  14,664 民政 八並 武治
  14,133 社大 中村 高一
  12,861 政友 津雲 国利
京都一区 190,663      
  34,335 社大 水谷 長三郎
  17,181 民政 中村 三之丞
  12,261 民政 福田 関次郎
  11,989 民政 西村 金三郎
  11,236 政友 江羅 直三郎
京都二区 102,114      
  20,101 民政 川崎 末五郎
  16,060 民政 池本 甚四郎
  15,467 政友 田中  好
京都三区 75,542      
  (無投票) 政友 芦田  均
  (同) 民政 津原  武
  (同) 民政 村上 国吉
大阪一区 130,708      
  21,553 社大 田万 清臣
  13,983 政友 板野 友造
  13,529 民政 一松 定吉
大阪二区 79,655      
  13,214 民政 紫安 新九郎
  10,365 政友 山本 芳治
  8,712 社大 井上 良二
大阪三区 129,471      
  14,822 社大 塚本 重蔵
  13,910 中立 池崎 忠孝
  10,874 民政 内藤 正剛
  10,606 政友 上田 孝吉
大阪四区 303,921      
  23,880 社大 川村 保太郎
  21,061 社大 西尾 末広
  20,904 民政 中山 福蔵
  17,740 民政 本田 弥市郎
大阪五区 170,693      
  37,665 社大 杉山 元治郎
  27,486 民政 勝田 永吉
  15,788 民政 田中 万逸
  14,109 政友 曽和 義弌
大阪六区 108,474      
  18,840 昭和 井阪 豊光
  18,209 民政 松田 竹千代
  15,359 政友 南  鼎三
神奈川一区 150,469      
  26,162 社大 岡田  憲
  20,074 民政 飯田 助夫
  19,494 政友 野方 次郎
神奈川二区 114,951      
  19,269 民政 小泉 又次郎
  18,800 社大 片山  哲
  12,809 政友 小串 清一
  11,907 政友 野口 喜一
神奈川三区 105,923      
  24,058 政友 河野 一郎
  14,404 民政 平川 松太郎
  13,545 政友 鈴木 英雄
  11,609 民政 岡崎 久次郎
兵庫一区 191,553      
  22,888 社大 河上 丈太郎
  18,635 政友 中井 一夫
  18,180 社大 永江 一夫
  13,639 民政 野田 文一郎
  11,995 民政 浜野 徹太郎
兵庫二区 159,599      
  25,615 民政 前田 房之助
  19,536 社大 米窪 満亮
  15,965 民政 小林 房之助
  14,473 政友 立川  平
兵庫三区 101,269      
  23,740 政友 小林 絹治
  15,636 社大 河合 義一
  13,090 政友 田中 源三郎
兵庫四区 107,205      
  21,193 国同 清瀬 一郎
  19,022 民政 田中 武雄
  17,420 政友 原 惣兵衛
  13,366 民政 小畑 虎之助
兵庫五区 82,418      
  23,069 民政 斎藤 隆夫 
  17,082 政友 若宮 貞夫
  13,797 政友 山川 頼三郎
長崎一区 142,249      
  19,369 東方 馬場 元治
  17,126 政友 西岡 竹次郎
  13,950 政友 倉成 庄八郎
  13,519 民政 中村 不二男
  13,370 政友 太田 理一
長崎二区 114,478      
  19,792 民政 牧山 耕蔵
  17,827 昭和 森  肇
  10,440 民政 川副  隆
  9,783 政友 佐保 畢雄
新潟一区 82,497      
  (無投票) 政友 山本 悌二郎
  (同) 民政 北  ヤ吉
  (同) 民政 松井 郡治
新潟二区 107,572      
  18,610 国同 高岡 大輔
  12,657 民政 佐藤 与一
  11,857 政友 松木  弘
  10,038 民政 小柳 牧衛
新潟三区 141,573      
  26,360 国同 大竹 貫一
  17,851 政友 加藤 知正
  13,594 民政 今成 留之助
  11,261 民政 佐藤 謙之輔
新潟四区 93,422      
  17,166 政友 武田 徳三郎
  16,568 民政 増田 義一
  14,698 民政 川合 直次
埼玉一区 134,432      
  27,165 民政 松永  東
  24,838 政友 宮崎  一
  16,715 政友 高橋 泰雄
  16,022 社大 松永 義雄
埼玉二区 104,537      
  20,744 民政 高橋 守平
  15,724 政友 横川 重次
  13,417 政友 石坂 養平
  10,232 中立 坂本 宗太郎
埼玉三区 88,690      
  20,007 国同 野中 徹也
  17,867 政友 出井 兵吉
  13,917 民政 古島 義英
群馬一区 146,357      
  22,191 政友 中島 知久平
  19,390 昭和 青木 精一
  18,232 社大 須永  好
  15,735 民政 飯塚 春太郎
  15,019 民政 清水 留三郎
群馬二区 109,948      
  21,107 政友 篠原  義政
  19,888 民政 最上 政三
  17,411 民政 木桧 三四郎
  17,025 政友 木暮 武太夫
千葉一区 134,094      
  23,371 民政 多田 満長
  18,533 民政 篠原 陸朗
  17,231 民政 成島  勇
  15,920 政友 川島 正次郎
千葉二区 97,349      
  18,662 政友 今井 健彦
  17,504 政友 吉植 庄亮
  10,079 民政 宇賀 四郎
千葉三区 110,756      
  118,933 政友 岩瀬  亮 
  13,924 政友 小高 長三郎
  13,257 民政 土屋 清三郎
  11,950 民政 池田 清秋
茨城一区 122,930      
  18,043 昭和 内田 信也
  16,719 民政 仲崎 俊秀
  15,098 民政 豊田 豊吉
  11,123 政友 葉梨 新五郎
茨城二区 80,729      
  19,368 民政 中井川 浩
  13,563 政友 川崎 已之太郎
  12,798 政友 大内 竹之助
茨城三区 126,916      
  24,778 中立 風見  章
  24,161 中立 赤城 宗徳
  17,399 政友 佐藤 洋之助
  15,988 昭和 飯村 五郎
栃木一区 124,387      
  19,190 政友 船田  中
  17,887 民政 高田 耘平
  15,071 社大 石山 寅吉
  10,627 政友 江原 三郎
  9,895 民政 岡田 喜久治
栃木二区 116,175      
  18,279 民政 森下 国雄
  17,854 政友 松村 光三
  15,306 政友 小平 重吉
  14,002 民政 木村 浅七
奈良 137,960      
  17,265 政革 江藤 源九郎
  14,247 政友 福井 甚三
  13,464 政友 森  栄蔵
  12,068 民政 松尾 四郎
  11,977 民政 八木 逸郎
三重一区 157,267      
  27,884 政友 加藤 久米四郎
  22,541 民政 松田 正一
  21,173 民政 片岡 恒一
  20,496 民政 川崎  克
  15,601 政友 馬岡 次郎
三重二区 106,459      
  19,971 中立 尾崎 行雄
  15,658 政友 浜地 文平
  13,370 民政 長井  源
  13,012 政友 浜田 国松
愛知一区 223,629      
  23,462 民政 塚本  三
  23,086 民政 小山 松寿
  19,015 民政 服部 崎市
  18,496 中立 椎尾 弁匡
  16,875 政革 山崎 常吉
愛知二区 97,413      
  26,321 中立 安藤 孝三
  14,689 政友 樋口 善右衛門
  12,885 政友 丹下 茂十郎
愛知三区 88,376      
  16,372 民政 加藤 鯛一
  15,183 中立 滝  正雄
  14,684 民政 渡辺 玉三郎
愛知四区 103,138      
  27,338 民政 大野 一造
  20,963 民政 岡本 実太郎
  19,298 政友 小笠原 三九郎
愛知五区 84,025      
  20,360 国同 鈴木 正吾
  15,963 政友 大口 嘉六
  10,634 東方 杉浦 武雄
静岡一区 165,959      
  23,612 民政 山田 順策
  20,386 政友 深沢 豊太郎
  20,271 政友 山口 忠五郎
  18,452 民政 平野 光雄
  18,451 政友 宮本 雄一郎
静岡二区 114,999      
  15,920 社大  山崎 釼二
  12,989 政友 塩川 正蔵
  12,106 民政 高木 粂太郎
  11,690 昭和 春名 成章
静岡三区 123,553      
  22,068 政友 太田 正孝
  16,119 民政 津倉 亀作
  14,366 政友 倉元 要一
  13,469 民政 坂下 仙一郎
山梨 135,851      
  19,676 政友 田辺 七六
  19,336 皇道 平野 力三
  17,427 中立 笠井 重治
  15,324 民政 堀内 良平
  13,364 中立 今井 新造
滋賀 160,927      
  27,724 民政 堤 康次郎
  19,199 民政 青木 亮貫
  18,717 政友 森 幸太郎
  17,450 東方 田中 養達
岐阜一区 86,226      
  17,365 民政 清  寛
  14,007 政友 匹田 鋭吉
  14,001 政友 大野 伴睦
岐阜二区 76,557      
  18,801 政友 木村 作次郎
  11,259 民政 伊藤 東一郎
  8,458 東方 三田村 武夫
岐阜三区 105,732      
  31,583 政友 牧野 良三
  19,085 民政 古屋 慶隆
  17,172 社大 加藤 鐐造
長野一区 94,205      
  24,677 民政 松本 忠雄
  18,229 政友 丸山 弁三郎
  15,800 民政 田中 邦治
長野二区 85,550      
  18,176 民政 小山 邦太郎
  13,791 中立 小山  亮
  10,170 政友 羽田 武嗣郎
長野三区 106,394      
  17,784 民政 宮沢 胤勇
  12,249 民政 北原 阿智之助
  11,749 政革 中原 謹司
  11,614 社大 野溝  勝
長野四区 85,230      
  16,446 政友 植原 悦二郎
  14,281 民政 百瀬  渡
  11,393 養生 田中  耕
宮城一区 144,269      
  21,383 民政 内ヶ崎 作三郎
  16,038 社大 菊地 養之輔
  13,887 政友 庄司 一郎
  13,424 昭和 守屋 栄夫
  13,010 政友 菅原  伝
宮城二区 93,755      
  20,559 民政 村松 久義
  17,359 民政 小山 倉之助
  15,902 政友 大石 倫治
福島一区 95,196      
  22,475 民政 粟山  博
  19,320 民政 釘本 衛雄
  19,175 政友 菅野 善右衛門
福島二区 137,240      
  18,557 政友 八田 宗吉
  16,158 民政 仲西 三良
  15,493 政友 助川 啓四郎
  15,302 昭和 中野 寅吉 
  14,427 民政 林  平馬
福島三区 80,252      
  14,634 民政 比佐 昌平
  14,367 政友 星  一
  13,651 民政 山田 六郎
岩手一区 93,341      
  23,429 政友 田子 一民
  16,835 民政 高橋 寿太郎
  13,417 政友 八角 三郎 
岩手二区 120,954      
  21,014 政友 泉 国三郎
  17,316 政友 松川 昌蔵
  12,335 民政 鶴見 祐輔
  11,445 政友 志賀 和多利
青森一区 107,317      
  18,572 政友 小笠原 八十美
  17,145 民政 工藤 鉄男
  17,127 民政 森田 重次郎
青森二区 81,940      
  15,034 東方 小野 謙一
  11,181 政友 津島 文治
  10,291 政友 工藤 十三雄
山形一区 123,345      
  26,698 東方 木村 武雄
  25,391 政友 高橋 熊次郎
  19,317 政友 西方 利馬
  13,007 国同 佐藤  啓
山形二区 106,050      
  21,709 政友 松岡 俊三
  13,549 政友 熊谷 直太
  10,896 民政 伊藤 五郎
  10,631 民政 清水 徳太郎
秋田一区 110,115      
  18,429 民政 町田 忠治
  13,934 民政 信太 儀右衛門
  13,224 政友 中田 儀直
  12,276 民政 中川 重春
秋田二区 101,257      
  19,723 社大 川俣 清音
  15,666 政友 小山田 義孝
  14,728 民政 土田 荘助
福井 142,676      
  22,412 政友 猪野毛 利栄
  19,758 民政 漆田 敬一郎
  19,498 政友 池田 七郎兵衛
  16,731 民政 斎藤 直橘
  16,479 昭和 熊谷 五右衛門
石川一区 90,578      
  22,400 民政 永井 柳太郎
  18,970 中立 長谷 長次
  14,232 政友 箸本 太吉
石川二区 78,547      
  16,076 民政 桜井 兵五郎
  15,730 政友 青山 憲三
  12,520 民政 喜多 壮一郎
富山一区 90,784      
  23,508 政友 高見 之通
  17,636 民政 寺島 権蔵
  17,310 民政 野村 嘉六
富山二区 85,589      
  20,088 民政 卯尾田 毅太郎
  18,442 民政 松村 謙三
  17,324 政友 土倉 宗明
鳥取 106,580      
  18,577 政友 稲田 直道
  16,447 民政 山枡 儀重
  15,640 民政 三好 栄次郎
  15,543 昭和 豊田  収
島根一区 95,886      
  21,148 民政 桜内 幸雄
  20,244 民政 原 夫次郎
  19,105 政友 高橋 円三郎
島根二区 79,151      
  18,951 政友 島田 俊雄
  16,361 民政 俵  孫一
  15,591 政友 沖島 謙三
岡山一区 152,604      
  30,174 政友 久山 知之
  25,455 政友 岡田 忠彦
  16,692 政友 行吉 角治
  15,769 社大 黒田 寿男
  10,263 昭和 玉野 知義
岡山二区 151,542      
  23,876 民政 小川 郷太郎
  22,729 民政 西村 丹治郎
  22,516 政友 犬養  健
  19,308 政友 星島 二郎
  15,998 政友 小谷 節夫
広島一区 130,101      
  18,357 昭和 岸田 正記
  17,455 民政 古田 喜三太
  16,698 政友 名川 侃市
  16,429 民政 藤田 若水
広島二区 121,072      
  21,297 民政 木原 七郎
  20,715 昭和 望月 圭介
  15,808 民政 山道 襄一
  15,491 政友 肥田 琢司
広島三区 142,932      
  22,864 昭和 永山 忠則
  20,672 民政 土屋  寛
  17,952 民政 作田 高太郎
  14,700 政友 宮沢  裕
  13,975 政友 森田 福市
山口一区 126,354      
  17,918 政友 西川 貞一
  14,698 東方 青木 作雄
  11,198 政友 庄 晋太郎
  10,788 中立 安倍  寛  
山口二区 138,439      
  18,894 政友 西村 茂生
  17,677 昭和 窪井 義道
  17,124 政友 国光 五郎
  15,672 民政 福田 悌夫
  11,946 政友 中野 治介
和歌山一区 107,511      
  18,542 政友 松山 常次郎
  15,087 政友 木本 主一郎
  11,611 民政 西田 郁平
和歌山二区 89,587      
  13,745 民政 小山 谷蔵
  10,358 中立 田渕 豊吉
  9,369 政友 世耕 弘一
徳島一区 84,237      
  13,130 政友 生田 和平
  12,730 民政 田村 秀吉
  11,872 政友 紅露  昭
徳島二区 80,447      
  13,827 民政 真鍋  勝
  12,929 中立 秋田  清
  11,402 中立 三木 武夫
香川一区 82,147      
  14,814 社大 前川 正一
  13,168 中立 藤本 捨助
  12,731 政友 宮脇 長吉
香川二区 84,688      
  18,981 政友 三土 忠造
  18,861 民政 矢野 庄太郎
  10,816 政友 松浦 伊平
愛媛一区 89,029      
  (無投票) 民政 武知 勇記
  (同) 政友 大本 貞太郎
  (同) 民政 松田 喜三郎
愛媛二区 87,529      
  14,803 政友 河上 哲太
  13,019 民政 小野 寅吉
  11,393 民政 村瀬 武男
愛媛三区 75,430      
  19,318 政友 砂田 重政
  15,875 政友 高畠 亀太郎 
  10,999 民政 村上 紋四郎
高知一区 82,532      
  14,552 東方 大石  大
  13,204 民政 富田 幸次郎
  11,429 民政 長野 長広
高知二区 79,338      
  11,992 社大 佐竹 晴記
  10,694 政友 依光 好秋
  10,537 政友 林  譲治
福岡一区 130,896      
  19,191 東方 中野 正剛
  15,790 社大 松本 治一郎
  15,285 中立 簡牛 凡夫
  13,772 政友 原口 初太郎
福岡二区 170,810      
  22,837 社大 亀井 貫一郎
  17,937 政友 田尻 生五
  17,610 政友 石井 徳久次
  16,810 民政 田島 勝太郎
  14,141 民政 松尾 三蔵
福岡三区 145,098      
  17,153 政友 野田 俊作
  16,779 中立 山崎 達之輔
  16,518 政友 鶴  惣市
  16,335 政友 増永 元也
  13,442 民政 岡野 竜一
福岡四区 119,677      
  23,106 民政 勝  正憲
  18,079 民政 末松 偕一郎
  16,951 社大 田原 春次
  10,801 政革 小池 四郎
大分一区 129,368      
  16,954 政友 金光 庸夫
  16,314 民政 一宮 房治郎
  12,974 民政 長野 綱良
  12,494 政友 小野  廉
大分二区 80,466      
  (無投票) 民政 重松 重治
  (同) 政友 清瀬 規矩雄
  (同) 政友 綾瀬 健太郎
佐賀一区 61,194      
  16,392 民政 池田 秀雄
  15,016 民政 中野 邦一
  12,737 政友 田中 亮一
佐賀二区 78,078      
  16,393 政友 藤生 安太郎
  14,815 政友 一ノ瀬 俊民
  14,615 民政 愛野 時一郎
熊本一区 140,181      
  19,725 国同 安達 謙蔵
  19,214 政友 松野 鶴平
  17,017 政友 木村 正義
  16,134 国同 石坂  繁
  15,254 民政 大麻 唯男
熊本二区 145,838      
  19,190 国同 伊豆 富人
  18,889 政友 三善 信房
  17,056 政友 坂田 道男
  16,813 政友 小宮山 七十五郎
  15,716 国同 蔵原 敏捷
鹿児島一区 125,962      
  22,227 政友 伊東 岩男
  14,590 東方 三浦 虎雄
  13,058 中立 曽木 重貴
  12,669 民政 鈴木 憲太郎
  10,801 昭和 陣  軍吉
鹿児島二区 113,916      
  11,052 政友 井上 知治
  9,860 民政 小泉 純也
  9,810 中立 松方 幸次郎
  9,749 中立 津崎 尚武
  8,981 昭和 蔵園 三四郎
鹿児島三区 74,649      
  17,132 社大 富吉 栄二
  17,084 政友 東郷  実 
  11,698 政友 寺田 市正
  8,151 政友 岩元 栄次郎
沖縄 136,594      
  24,191 民政 漢那 憲和
  15,739 国同 伊礼  肇
  9,671 民政 仲井間 宗一
  7,709 政友 崎山 嗣朝
  6,444 政友 盛島 明長
北海道一区 129,394      
  19,118 民政 山本 厚三
  17,121 政友 板谷 順助
  15,900 民政 沢田 利吉
  15,108 民政 一柳 仲次郎
北海道二区 102,314      
  18,439 政友 東  武
  16,749 昭和 林  路一
  11,768 民政 坂東 幸太郎
  10,026 民政 松浦 周太郎
北海道三区 92,948      
  14,380 民政 大島 寅吉
  12,227 東方 渡辺 泰邦
  8,957 政友 田代 正治
北海道四区 124,054      
  16,588 国民協会 赤松 克麿
  14,404 民政 手代木 隆吉
  12,047 中立 北  勝太郎
  9,140 民政 岡田 春夫
  8,009 政友 南条 徳男
北海道五区 129,235      
  20,028 民政 遠山 房吉
  18,208 政友 木下 成太郎
  15,649 政友 東条  貞
  15,037 民政 南雲 正遡




         
林内閣総辞職

 林内閣は5月3日、総選挙後の初閣議を開き、選挙結果にとらわれず、時局に必要な政策を具体化して特別議会に臨むとの態度を決めると同時に、「新に選出せられたる議員は、私を威し公に奉ずるの精神を以て国体の本義に基き肇国の理想を顕揚して、我邦独特の憲法政治の発達を図り、正しき時局認識の下に大政翼賛の実を挙ぐるに努めらるることを衷心より期待するものである」(東朝、5・4付け夕刊)との声明を発表した。この声明が政党側を強く刺激したのは当然であり、民政・政友・社大各党は総辞職を要求する強硬な反駁声明をもってこれに応じたが、東京朝日も翌4日「身勝手な政府声明」と題する社説をかかげて次のように論じた。

 

「明瞭に反政府を示す総選挙の結果を前にして、黙って居据りを続けるのは流石に気が咎めると見え、政府は早くも頬冠りの弁とも称すべき妙な宣言を公にした。選挙の結果に照らして、議会解散の責任が先づ白已に向って訊されねばならぬ時、ケロリとした顔で選出新議員に訓示を与えるような態度は、人を喰ったと云ふか、無責任と云ふか、ここらの遣り方が林首相の云ふ『我邦独特の憲法政治』でもあらうか。……見やうによっては最大級のこの挑戦状に対して、少くとも民政・政友両党は黙っては居られず、若し黙って居るとすれば最初から腰抜けたることを明証するものであらう」。


 しかし、林内閣は政党や世論の動きを無視し、5月10日には物価対策委員会の委員の人選を決定、14日には企画庁を発足させ、16日にはこの内閣として2回目の地方長官会議を召集するなど、政権担当に強気の姿勢を示した。企画庁は、広田内閣時代の総務庁の構想を一応白紙にもどして、内閣調査局を拡充改組して国策統合機関たらしめようとするものであり、重要政策の統合調整、そのための予算統制の立案、各省より閣議に提出する重要政策案の事前審査などの権限を与えられていた。総裁は結城蔵相の兼任、次長には農林省蚕糸局長井野碩哉が起用されたが、企画庁の当面の目標は陸軍の要求する生産力拡充をめざす産業5ヵ年計画の策定であり、物価対策委員会は、その阻害要因として物価騰貴がクローズ・アップされてきたことに対応するものであった。

  物価が急騰し始めたのは、前年秋、昭和12年度予算が軍拡を中心とした大規模なものとなることが明らかとなって以来であるが、この傾向が持続するとすれば、5ヵ年計画の策定が困難になるばかりでなく、当面の予算執行にも問題が生ずる筈であった。「而して陸軍が最も憂慮しつつあるのは本年より第一年度に入った軍備充実六ヵ年計画の遂行に支障が生ずることはないかという点」(東朝、5・17)であり、従って陸軍は「政策を中心に林内閣を指導せん」(同前、5・8)としているとみられた。林首相も5月17日夜、地方長官を招待した晩餐会で演説し、先の解散は「政党が自粛自戒出直してもらいたい」ために行ったものであり、従って「議員が反省したか否かを見届けることが義務 であると考へている次第である。議会においてある党派の数が多くなったから直に政権が移動すべきであるとの考へ方は政党流の考へ方であると思ふ」(5・18) などと述べて、強気の態度をつづけていた。

  こうした林内閣の態度が政党側の強い反発を呼びおこしたのは当然であり、連携の姿勢で選挙戦を戦ってきた政・民両党は、選挙後の新役員を決定すると、共同して倒閣運動を具体化する方向に踏み出し、5月14日にはその第一歩として民政=小泉又次郎・政友=松野鶴平両幹事長会談が行われた。この会談では「現内閣の存在は国務の渋滞を来し国家の損失甚大なるものがある。我々は既に決定せる国民の輿論を代表し相協力して速かに現内閣を打倒して国民の総意を基調とせる真の挙国一致内閣を作り時艱に邁進せねばならぬ」 (東朝、5・15)との申し合わせが行われるとともに、両党より10名づつの代表委員を選定して倒閣の協議会を結成することが決定された。

  この決定にもとづき、民政党より富田幸次郎・太田政弘・小川郷太郎・大麻唯男・俵孫一・頼母木桂吉・永井柳太郎・小山松寿・桜内幸雄・小泉又次郎、政友会より川村竹治・東武・浜田国松・若宮貞夫・岡田忠彦・安藤正純・植原悦二郎・砂田重政・金光庸夫・松野鶴平が代表委員となり、19日午前、帝国ホテルで初会合し倒閣運動の第一段階として、「(一)倒閣本部を 設くること、(二)実行委員を設くること(代表委員は当然実行委員たること)、(三)28日午後2時より東京会館において両党懇親会を開催すること(貴衆両院議員並に両党全国支部長)」(東朝、5・20付け夕刊)などを決め、両党の倒閣の気運は次第に盛りあがっていった。しかもこの直後に与党の中心とみられていた昭和会が解党したことも、政・民側の気勢を高める要因となっていた。

  昭和会は、5月21日にいたって午後1時より総選挙後初の代議士会(18名出席、1名欠席)を開いたが、この席で会の長老望月圭介は突如として「解党」を提議、「今日の時局に処し真に国家のため政府、政党に対し各々反省、自覚して、至誠奉公、皇猷輔翼の大義に殉ずべく、その立場を捨て全く私心を忘れよと要望するに於て、所謂隗始の意味に基きこの議を提唱いたすのである。要するに既成の党派的存在を解消し各自所信に向って代議士たるの本分を完うするが宜しからうといふのである」(東朝、5・22)と演説した。この提議につき種々協議のすえ、結局同会はこれを全会一 致でうけいれ、同日夜さきの総選挙での公認候補者を加えた総会において正式に解党が決議された。この「解党は政府の期待するが如き林内閣支持の与党たる新党樹立工作に拍車をかけるものではなく、寧ろ望月氏以下の狙ふ所は林内閣退却後における政局に、必ずや再燃すべき政党分野の大異変に善処するの自由を確保せんとする一種の先物買ひにあると見るべきであらう」 (同前)、いわば昭和会にも、林内閣と心中する気は全くなくなっているというわけであった。

  こうしたなかで、政・民両党は丸之内会館5階に倒閣本部を置き、25名づつの実行委員を設け、28日の倒閣大懇親会には両党の貴・衆両院議員、地方支部長ら500余名が出席するという盛況であり、こうした倒閣共同戦線の成立は清浦内閣反対の第二次護憲運動以来のことと評された。懇親会は町田民政党総裁、鳩 山政友会総裁代行委員の演説ののち、「今や天下の輿論は定まり民心の向背決す。大勢の趨く所火を賭るより明かなり。林内閣は速かに自覚して大政扶翼の道を正し、直ちにカン下に伏して骸骨を乞ひ奉り以て天下に謝して国政の進路を開くべきなり」(東朝、5・29付け夕刊)との共同声明を発表、特別議会の劈頭に政・民両党により内閣不信任案が提出、可決されるのは避け難い情勢となってきた。

  これに対して林内閣内部では「杉山、結城、塩野、 伍堂氏等の閣内強硬論者は……斯る時局において現状維持勢力と称せらるる政党に押し潰されるが如き形を とることは今後の政界に反響を招来する恐れありとし、政策本位で飽迄特別議会に臨まんとして頻に首相を激 励している」が、「河原田、山崎、児玉、米内等の各相は四囲の情勢を見てこの際無理押しは寧ろ取らざるところなりとしこの際進退を考慮するのが妥当であらうとの見解を抱いている」(東朝、5・29)とみられ、 閣内が統一されているわけではなかった。

  林首相も表面では強気の姿勢を示していたが、内実は辞める方向に傾いており、各方面から期待されている近衛文麿に出馬の意思なしとみるや、後継首相に杉山陸相を推薦して、5月31日ついに総辞職した。陸軍出身の林としては、杉山を総理とすれば、陸軍が政党に屈したとの印象を避けうると主張したが、元老西園寺公望は現役軍人である陸相を総理大臣とすることに断乎反対し、近衛を推挙、木戸幸一らも強く近衛を 説得して結局出馬に踏み切らせた(この間の事情に関しては「第七一回帝国議会貴族院解説」参照)。6月1日、天皇は近衛に組閣を命じ、近衛内閣は6月4日親任式を終えた。



近衛内閣の性格

 近衛内閣の閣僚の顔振れには、この内閣の次のようないくつかの方向があらわれていた。まず、杉山陸相、米内海相の留任、陸軍の支持する元蔵相馬場^一の入閣にみられるように、産業5ヵ年計画などこれまで 軍の要求してきた政策を基本的に認めてゆこうという方向が明らかであった。近衛は財界に不評な馬場を経済閣僚からはずし、内相の地位にすえたが、反面、陸軍の要望に従って企画庁総裁を兼任させようと考えていた。しかし同時に、軍の要求と財界の要求との妥協を図ろうとした結城前蔵相の方向で、経済政策を運用しようとする姿勢も示されていた。結城の蔵相留任を 求めて断られた近衛は、結城が大蔵次官に起用した賀屋興宣を大臣に昇任させ、商相には賀屋とコンビを組める吉野信次をあて、さらにこの両者が、馬場内相の企画庁総裁兼任に反対するや、これに譲歩して広田外相に総裁兼任を求めている。

  広田外相の再登場は、すでに首相経験のある広田を副総理格として入閣させ、内閣に重みを持だせようとしたものであり、平沼枢密院議長の直系である塩野法相の留任にも同様の配處がみられる。しかし同時に広田の外相就任は、これまでの外交路線の継続を意味し、 この内閣が既に完全に行き詰まっている日中関係(「第七一回帝国議会貴族院解説」参照)を切りひらくための画期的な政策を用意してはいないことを示すものでも あった。

  近衛内閣のもう1つの方向は、政党との関係のなかにみられた。近衛は林前首相のように政党排撃の態度は示さなかったものの、斉藤・岡田・広田の場合のように、組閣にあたって政党党首を訪問して協力を求めることもせず、民政党より永井柳太郎(逓相)、政友会から中島知久平(鉄相)を党代表としてではなく個人として引き抜いている。永井・中島ともに近衛擁立の新党運動を画策しており、これに近衛の親しい友人である有馬農相、近衛周辺の昭和研究会のメンバーである風見書記官長、滝法制局長官を加えてみると、この内閣が親軍的新党運動の方向に1つの基礎を置こうとしていたことをうかがうことができる。そしてそのことは政務官(政務次官、参与官)選任の際にも明らかになっていた。

  政務官は元来、政府と議会との連絡をはかる目的で設置されたものであるが、貴・衆両院議員の猟官運動の対象となる有害無益なものとの批判も起こり、林内閣はその任用をとりやめてしまった。これに対して近衛首相は「国民代表の行政府への参加を大いに積極的にしたい」(東側、6・13付け夕刊)との観点から、人材本位で政務官制度を復活させることとし、しかも全員を衆議院議員から選任するという従来にない新方式を決めた。そして6月24日にいたって、次のような新政務官が任命されている。

省別 政務次官 参与官
外務 松本 忠雄・民政 船田  中・政友
内務 勝田 永吉・民政 木村 正義・政友
大蔵 太田 正孝・政友 中村 三之丞・民政
陸軍 加藤 久米四郎・政友 比佐 昌平・民政
海軍 一宮 房太郎・民政 岸田 正記・旧昭和
司法 久山 知之・政友 藤田 若水・民政
文部 内ケ崎 作三郎・民政 池崎 忠孝・無所属
農林 高橋 守平・民政 助川 啓四郎・政友
商工 木暮 武太夫・政友 佐藤 謙之輔・民政
逓信 田島 勝太郎・民政 犬養  健・政友
鉄道 田尻 生五・政友 金井 正夫・旧昭和
拓務 八角 三郎・政友 伊礼  肇・国同

 この人選については当時次のように評されていた。

 

「今回の政務官の銓衡は政府をしていはしむれば人材本位であらうが、政友会に関する限り従来重視された地方団体関係を無視して居り、しかもその殆ど全部は中島鉄相を盟主とする国政一新会のメンバーであり、従来党の中枢的地位を占めていた鳩山系は全く影をひそめた感があり、党内に於ける両氏の現在の地位を反映したものとして興味が深い。   

  之を系統的に見れば太田、木暮、田尻、八角、船田、木村、助川の七氏は国政一新会のメンバーであり、加藤氏は同会のメンバーではないが政治的動向においては全く中島鉄相の一党に属している。右のうち太田氏が党内では鳩山系に属していたが、現在では鳩山氏とは不即不離の関係をいでず、中島鉄相に非常に近くなっているので、十名のうち中島系八名、鳩山系一名(犬養氏)、中立一名(久山氏)である」(東朝、6・25付け夕刊)。

  いいかえてみれば、この人選は、新党運動を志向する中島知久平らの、いわゆる政友会革新派を力づけることを意味していた。そしてこうした閣僚や政務官などの人選にみられる新党運動への方向性は、政・民両党内部にも大きな影響を与えた。政友会革新派有志は近衛内閣成立直後の6月7日夜の会合で、新党結成を期待し、「これに対して常に協力しうるよう用意を整えて置く」(束朝、6・8)ことを協議しているし、17日の民政党有志代議士懇談会に於ても、新党論者の台頭がみられた。同党の状況は次のように報ぜられてい る。

 

「民政党にあっては党の現状維持に慊らず、何等かの再建更生工作を絶対必要とするとの論議が最近とみに活発となり、その具体策に関しては、政党本来の使命に鑑み、飽く迄政策本位の党を再建すべしとする再建論と、この際起死回生策として一度解党すら辞せず、看板塗りかへを断行して、所謂新党運動に率先して新党の母胎たるを期せんとする更生論との二大潮流が漸く表面化してきている」(東朝、6・18)。  

  さきの林内閣倒閣運動においても、政・民両党のスローガンは「真の挙国一致の実現」であり、もはや政界において、政党内閣の復活への期待は消えうせていた・そしてそこから、他の勢力と結合することで、政党の地位を少しでも回復しようとする新党論が拡まりつつあった。新党運動が具体化するのは、翌1938(昭和13)年になってからであるが、ともかく、近衛内閣の成立は、政界がこうした新党−再編成の方向に動き出す画期をなすものであった。


 

財政経済三原則と蘆溝橋事件

 近衛内閣は、生産力拡充計画の作成と実現を第1の目標として発足したが、まずそのための経済的条件が急速に悪化しつつあるという状況に直面しなければならなかった。前年秋の広田内閣による大軍拡予算の決定以来、物価騰貴、輸入の激増=国際収支の悪化、為 替相場の下落という事態があらわれ、この年に入ると次第に深刻になっていたが、とくに問題とされたのは貿易の逆調であった。  

  この年上半期(1〜6月)の実績をみると、輸出16億200万円、輸入22億4300万円であり、6億4100万円におよぶ輸入超過を記録しているが、これを前年(昭11)同期とくらべてみると輸出の3億3800万円増に対して、輸入は6億6400万円も増加しており、この輸入の激増が貿易の逆調をもたら していることは明らかであった。しかもその内容をみると、輸出の増加は単価高騰によるものであって輸出の数量的増加がみられないのに対して、輸入面では「鉄、 機械類、銅、生ゴム等の軍需資材は増加率に於ては勿論、絶対額に於ても驚くべき上昇で、輸出工業原料たる棉花、羊毛の増加と相侯ち、貿易全体に堪へ難き重圧を加へつつある」(東朝、7・1)と報ぜられていた。 そしてこの記事はこうした状況を次のように評している。

 

「輸出におけるかかる数量的頓挫は、輸出品が次第に高級品化して行く過程に極く一部基因するとはいへ、生産力拡充政策に基く国内物価の高騰は生産費の嵩み、原料高と相俟って輸出の数量的増進を極度に阻害し始めたことを裏書するものである。他方輸入ば軍需工業原料を中心として価額的増嵩と共に数量的増嵩が顕著となった今日、貿易の悪化は不可避的現象で、これを調整するために輸入の抑制、特に……輸出品工業(棉花・羊毛等)に対する抑制を厳重にすることはこれら原料品の国内相場を高騰せしめ……益々輸出を阻害する結果に立ち至ることは明かである。要するに現下の準戦時体制下に於ては国際収支を適合せんと藻掻けば藻掻くほどこれが悪化の深みに落ち込んでゆくことをどうすることも出来ない」  

 こうした状況に対して、賀屋蔵相・吉野商相のコン ビで打ち出されたのが、財政経済三原則であった。この発案者である賀屋は、吉野商相のみならず近衛首相にも同原則の了解を求めたうえで、正式に入閣を承諾 したことにもみられるように、内閣の経済政策をこの方針のうえにのせようとする強い姿勢を示していた。 三原則とは(一)生産力の拡充、(二)国際収支の適合、(三)物資需給の調整という3点を経済政策の基本におくというものであるが、その中心は、国際収支と生産力拡充とを適合させるというところにおかれていた。つまり 生産力拡充のためには輸入の増大が必然となるが、それを支えるためには輸入力が増大しなければならない、 いいかえれば、輸入力の限度内でしか生産力拡充は行えないということであり、この限度内での物資需給の調整が必要となる筈であった。

  財政経済3原則が6月15日の閣議で承認されると、 賀屋蔵相はつぎに来年度予算の編成につき、「物の予算」の編成を求めるという新しい方針を打ち出した。 具体的には次のようなものである。  

 

「物資需給の適合を図る見地から、単に金の予算のみならず、物の予算の提出を求め物資需要の予測を試みる一手段とすること

これがため、各省予算の中

(一)、

棉花、羊毛、鉄、原油及重油、機械類、豆類、生ゴム、パルプ、木材、石炭、鉱、硫安、採油用原料、自動車及同部分品、油糟、小麦、揮発油、銅、麻類、砂糖の二十種に上る重要輸入品(大体輸入金額順)  

(二)、

国内重要商品にして政府の需要量の大きいセメント、木材等  

 

等の方面からみた物資に対する各省の需要額を見積った物の予算を要求すること」(来朝、6・2)。

  こうした「物の予算」方式は、輸入力増強のための輸出力強化、輸入力の範囲内での物資需給の調整といった問題の解決をめざす全般的な経済統制に進展するのは必至とみられたが、三原則の具体化がすすむ前に、 7月7日夜北平郊外の盧溝橋における日中両軍の衝突 事件が起こり、情勢は新たな局面に突入することとなった。  

  盧溝橋事件の発端そのものは、偶発的なものであったとみられるが、その背景には、日中関係が完全に行き詰まっているという状況が存在していた(詳しくは 「第七一回帝国議会貴族院解説」参照)。前年12月の西安事件以後、国共合作の実質的進展とともに、抗日の気運は全中国に高まっており、とくにその目標は華北に向けられていた。蒋介石も華北分離工作で侵害された中国主権の回復を対日政策の当面の目標とするという態度を明確にしてきていた。こうして中国の対日態度が強まっている以上、日本側が従来の政策の転換を はからなければ、両国の全面衝突は避けがたいものとなっていた。日本側でもこのことはある程度は認識されていた。例えば石原莞爾参謀本部作戦部長らは、対ソ戦備の完成までは戦争を避けるべきであり、とくに泥沼の長期戦となることの明らかな中国との戦争を回避するためには、華北での譲歩を行わねばならないと主張した。この年4月16日、陸軍・海軍・外務・大蔵の4相会議で華北分離の政治工作は行わないとの決定がなされたことは、こうした日中関係行き詰まりについての苦慮がある程度政策面にもあらわれはじめたことを示すものであった。

  しかし政治工作を行わないというこの方針は、それを代償として経済進出を活発化してゆこうとする意図を内包しており、またこれまでの既成事実を解消しよ うとするものでもなかった。つまり政策の重点を政治から経済へ移すというだけで、華北の特殊(親日満)地帯化という発想そのものが転換されたわけではなかっ た。いいかえれば、政府も軍部も日中の衝突事件の拡大を防止しうるような、政策的準備を持たないままに、 盧溝橋事件を迎えたといえよう。

  盧溝橋事件が起こると近衛内閣も陸軍も一応は現地処理・不拡大の方針を固めた。しかし国民政府中央軍の北上というニュースがはいると、11日の閣議では、 派兵声明及び関東軍・朝鮮軍よりの応急派兵、内地3個師団の動員出兵方針が決定され(ただし、参謀本部は 内地師団動員を留保)、事件拡大の方向が見えはじめてきた。しかも政府はこの日午後9時から新聞界、9時半から政界、10時より財界と各界代表を首相官邸に招き、対中国政策への挙国一致的支援を求めるなど、事態の重大化を思わせる措置をとっていた。衆議院からは、町田忠治、小泉又次郎(民政党)、鳩山一郎、前田米蔵、島田俊雄、松野鶴平(政友会)、安達謙蔵(国民同盟)、望月圭介(旧昭和会)、中野正剛(東方会)、安部磯雄(社会大衆党)らが招かれたが、いずれも政府支持の態度を明らかにしていた。

  しかし、この同じ7月11日夜、現地では停戦協定が調印されており、以後この協定実施のための細目の交渉が進められることになるわけであるが、その矢先にこうした日本政府の強硬態度が伝えられたことは、中国側をも硬化させ、交渉を困難にする大きな要因となっていた。そしてこの議会の開院式の行われた25日夜には、軍用電信線の修理に向かった日本軍が、廊坊(北平・天津のほぼ中間)で中国軍から攻撃されるという事件が起こり、これを契機として参謀本部も留保 していた内地師団の動員を実施、武力解決の方針に転 じ、日本軍は28・29日の総攻撃によって北平・天津地区を制圧した(詳しくは「第七一回帝国議会貴族院解説」参照)。第71回議会が開かれだのは、まさに日中全面戦争への第一歩が踏み出された時点においてであった。



第七一回議会の召集

 第71回議会は、第20回総選挙にともなう特別会として、6月11日公布の召集詔書により7月23日に召集された。会期は14日間で、7月25日の開院式に始まり、8月7日予定通り会期を終わった。  

  この議会では、総選挙以来の政・民連携の気運が持続しており、民政党は議長を獲得する代わりに、副議長・予算委員長を政友会に譲った。また、旧昭和会一派は、国民同盟及び右翼小党派・無所属議員などとともに、院内団体として、第一議員倶楽部を結成している。同倶楽部の日本革新党は、右翼戦線の統一を唱えて政治革新協議会を結成していた江藤源九郎・赤松克麿らが中心となって7月18日設立されたものであり、 新日本国民同盟(代表佐々井一晃)、国民協会(代表赤松克麿)、旧愛国政治同盟(代表小池四郎)、愛国革新連盟(代表伊藤信司)などの組織を糾合したものであったが、政治革新協議会から当選した中原謹司(信州郷軍同志会)はこの結党には参加しなかった。同党は総務委員長江藤、党務長赤松、党務委員佐々井・小池・山崎常吉・津久井竜雄ら8名という顔振れで発足している。

  この議会における議長・副議長、全院・常任委員長、 国務大臣、政府委員、議員の党派別所属は次の通りであった。

議長   小山 松寿(民政・愛知)
副議長   金光 庸夫(政友・大分)
     
全院委員長   重松 重治(民政・大分)
     
常任委員長 予算委員長 熊谷 直太(政友・山形)
  決算委員長 宮沢  裕(政友・広島)
  請願委員長 青木 亮貫(民政・滋賀)
  懲罰委員長 山本 芳治(政友・大阪)
  建議委員長 真鍋  勝(民政・徳島)
     
国務大臣 内閣総理大臣 近衛 文麿
  外務大臣 広田 弘毅
  内務大臣 馬場 ^一
  大蔵大臣 賀屋 興宣
  陸軍大臣 杉山  元
  海軍大臣 米内 光政
  司法大臣 塩野 季彦
  文部大臣 安井 英二
  農林大臣 有馬 頼寧
  商工大臣 吉野 信次
  逓信大臣 永井 柳太郎
  鉄道大臣 中島 知久平
  拓務大臣 大谷 尊由
     
政府委員(7・24発令) 内閣書記官長 風見  章
  法制局長官 滝  正雄
  法制局参事官兼内閣恩給局長 樋貝 詮三
  法制局参事官 森山 鋭一
  企画庁次長 井野 碩哉
  資源局長官 松井 春生
  対満事務局次長 青木 一男
  情報委員会事務官 横溝 光暉
  関東局事務官 大塚 喜一
  外務政務次官 松本 忠雄
  外務参与官 船田  中
  外務省東亜局長 石射 猪太郎
  外務省通商局長 松嶋 鹿夫
  外務書記官 土田  豊
  内務政務次官 勝田 永吉
  内務参与官 木村 正義
  内務省警保局長 安倍 源基
  内務書記官 熊谷 憲一
  社会局長官 大村 清一
  大蔵政務次官 太田 正孝
  大蔵参与官 中村 三之丞
  大蔵省主計局長 谷口 恒二
  大蔵省主税局長 大矢 半五郎
  大蔵省理財局長 関原 忠三
  大蔵書記官 山田 鉄之助
  氏家  武
  陸軍政務次官 加藤 久米四郎
  陸軍参与官 比佐 昌平
  陸軍主計中将 平手 勘次郎
  陸軍少将 後宮  淳
  陸軍主計大佐 栗橋 保正
  海軍政務次官 一宮 房治郎
  海軍参与官 岸田 正記
  海軍主計中将 村上 春一
  海軍中将 豊田 副武
  海軍主計大佐 山本 丑之助
  司法政務次官 久山 知之
  司法参与官 藤田 若水
  司法省刑事局長 松阪 広政
  司法書記官 斎藤 直一
  文部政務次官 内ケ崎 作三郎
  文部参与官 池崎 忠孝
  文部書記官 橋本 政実
  農林政務次官 高橋 守平
  農林参与官 助川 啓j四郎
  農林省経済更生部長 小平 権一
  農林書記官 周東 英雄
  商工政務次官 木暮 武太夫
  商工参与官 佐藤 謙之輔
  商工省商務局長 新倉 利広
  商工省工務局長 小島 新一
  商工省鉱山局長 東  栄二
  商工書記官 波江野 繁 
  燃料局長官 竹内 可吉
  貿易局長官 寺尾  進
  逓信政務次官 田島 勝太郎
  逓信参与官 犬養  健
  逓信省管船局長 小野  猛
  逓信省経理局長 手島  栄
  鉄道政務次官 田尻 生五
  鉄道参与官 金井 正夫
  鉄道省経理局長 池井 啓次
  拓務政務次官 八角 三郎
  拓務参与官 伊礼  肇
  拓務書記官 副島  勝
  朝鮮総督府政務総監 大野 緑一郎
  朝鮮総督府財務局長 林  繁蔵
  台湾総督府総務長官 森岡 二朗
  台湾総督府財務局長 嶺田 丘造
  樺太庁長官 今村 武志
     
政府委員追加(会期中発令) 司法省民事局長 大森 洪太
  内閣紀元2600年祝典事務局長 歌田 千勝
  文部省専門学務局長 山川  健
  文部省普通学務局長 藤野  恵
  教学局長官 菊地 豊三郎
  内閣東北局長 桑原 幹根
  大蔵省銀行局長 入間野 武雄
  大蔵省為替局長 上山 英三
  大蔵省書記官 尾関 将玄 
  久保 文蔵
  農林省農務局長 小浜 八弥
  農林省山林局長 原  辰二
  農林省水産局長 三宅 発士郎
  農林省米国局長 荷見  安
  逓信省電気局長 大和田 悌二
  拓務省管理局長 棟居 俊一
  拓務省殖産局長 植場 鉄三
  拓務省拓務局長 安井 誠一郎
  外務省欧亜局長 東郷 茂徳
  外務事務官 山形  清
  内務省神社局長 児玉 九一
  内務省地方局長 坂  千秋
  内務省土木局長 赤松 小寅
  内務省衛生局長 挟間  茂
  社会局部長 清水  玄
  陸軍輜重兵大佐 柴山 兼四郎
  文部省実業学務局長 小笠原 豊光
  文部省社会教育局長 田中 重之
  文部省図書局長 石井 忠純
  文部省宗教局長 松尾 長造
  教学局部長 阿原 謙蔵
  農林省畜産局長 細川 利寿
  農林省蚕糸局長 田渕 敬治
  馬政局長官 村上 竜太郎
  商工省保険局長 後藤 保清
  商工省統制局長 黒田 鴻五
  特許局長官 石井 銀弥
  逓信省郵務局長 進藤 誠一
  逓信省電務局長 藤川  靖
  逓信省工務局長 梶川  剛
  逓信省航空局長 小松  茂
  貯金局長 荻原 丈夫
  簡易保険局長 伊勢谷 次郎
  鉄道省監督局長 鈴木 清秀
  鉄道省運輸局長 山田 新十郎
  鉄道省建設局長 平山 復二郎
  鉄道省工務局長 阿曽沼 均
  大蔵書記官 山際 正道
  迫水 久常
  松隈 秀雄
  立憲民政党 180名
  立憲政友会 174名
  第一議員倶楽部 49名
  社会大衆党 36名
  第二控室 13名
  東方会 11名
  無所属 3名
  466名
     
立憲民政党 東京 原  玉重
  高橋 義次
  中島 弥団次
  駒井 重次
  長野 高一
  頼母木 桂吉
  真鍋 儀十
  斯波 貞吉
  山田  清
  中村 梅吉
  八並 武治
  京都 中村 三之丞
  福田 関次郎
  西村 金三郎
  川崎 末五郎
  池本 甚四郎
  津原  武
  村上 国吉
  大阪 一松 定吉
  紫安 新九郎 
  内藤 正剛
  中山 福蔵
  本田 弥市郎
  勝田 永吉
  田中 万逸
  松田 竹千代
  神奈川 飯田 助夫
  小泉 又次郎
  平川 松太郎
  岡崎 久次郎
  兵庫 野田 文一郎
  浜野 徹太郎
  前田 房之助
  小林 房之助
  田中 武雄
  小畑 虎之助
  斎藤 隆夫
  長崎 中村 不二男
  牧山 耕蔵
  川副  隆 
  新潟 北  ヤ吉
  松井 郡治
  佐藤 与一
  小柳 牧衛
  今成 留之助
  佐藤 謙之輔
  増田 義一
  川合 直次
  埼玉 松永  東
  高橋 守平
  古島 義英
  群馬 飯塚 春太郎
  清水 留三郎
  最上 政三
  木桧 三四郎
  千葉 多田 満長
  篠原 陸朗
  成島  勇
  宇賀 四郎
  土屋 清三郎
  池田 清秋
  茨城 中崎 俊秀
  豊田 豊吉
  中井川 浩
  栃木 高田 耘平
  岡田 喜久治
  森下 国雄
  木村 浅七
  奈良 松尾 四郎
  八木 逸郎
  三重 松田 正一
  片岡 恒一
  川崎  克
  長井  源
  愛知 塚本  三
  小山 松寿
  服部 崎市
  加藤 鯛一
  渡辺 玉三郎
  大野 一造
  岡本 実太郎
  静岡 山田 順策
  平野 光雄
  高木 粂太郎
  津倉 亀作
  坂下 仙一郎
  山梨 堀内 良平
  滋賀 堤 康次郎
  青木 亮貫
  岐阜 清  寛
  伊藤 東一郎
  古屋 慶隆
  長野 松本 忠雄
  田中 邦治
  小山 邦太郎
  宮沢 胤勇
  北原 阿智之助
  百瀬  渡
  宮城 内ケ崎 作三郎
  村松 久義
  小山 倉之助
  福島 栗山  博
  釘本 衛雄
  仲西 三良
  林  平馬
  比佐 昌平
  山田 六郎
  岩手 高橋 寿太郎
  鶴見 祐輔
  青森 工藤 鉄男
  森田 重次郎
  菊地 良一
  山形 伊藤 五郎
  清水 徳太郎
  秋田 町田 忠治
  信太 儀右衛門
  中川 重春
  土田 荘助
  福井 添田 敬一郎
  斎藤 直橘
  石川 永井 柳太郎 
  桜井 兵五郎
  喜多 壮一郎
  富山 寺島 権蔵
  野村 嘉六
  卯尾田 毅太郎
  松村 謙三
  鳥取 山枡 儀重
  三好 栄次郎
  島根 桜内 幸雄
  原 夫次郎
  俵  孫一
  岡山 小川 郷太郎
  西村 丹次郎
  広島 古田 喜三太
  藤田 若水
  木原 七郎
  山道 襄一
  土屋  寛
  作田 高太郎
  山口 福田 悌夫
  和歌山 西田 郁平
  小山 谷蔵
  徳島 田村 秀吉
  真鍋  勝
  香川 矢野 庄太郎
  愛媛 武知 勇記
  松田 喜三郎
  小野 寅吉
  村瀬 武男
  村上 紋四郎
  高知 富田 幸次郎
  長野 長広
  福岡 田島 勝太郎
  松尾 三蔵
  岡野 竜一
  勝  正憲
  末松 偕一郎
  大分 一宮 房治郎
  長野 綱良
  重松 重治
  佐賀 池田 秀雄
  中野 邦一
  愛野 時一郎
  熊本 大麻 唯男
  宮崎 鈴木 憲太郎
  鹿児島 小泉 順也
  小林 三郎
  沖縄 漢那 憲和
  仲井間 宗一
  北海道 山本 厚三
  沢田 利吉
  一柳 仲次郎
  板東 幸太郎
  松浦 周太郎
  大島 寅吉
  手代木 隆吉
  岡田 春夫
  遠山 房吉
  南雲 正
     
立憲政友会 東京 本田 義成
  鳩山 一郎
  安藤 正純
  滝沢 七郎
  牧野 賎男
  前田 米蔵
  田中  源
  津雲 国利
  京都 江羅 直三郎
  田中  好
  芦田  均
  大阪 板野 友造
  山本 芳治
  上田 孝吉
  曽和 義弌
  南  鼎三
  神奈川 野方 次郎
  小串 清一
  野口 喜一
  河野 一郎
  鈴木 英雄
  兵庫 中井 一夫
  立川  平
  小林 絹治
  田中 源三郎
  原 惣兵衛
  若宮 貞夫
  山川 頼三郎
  長崎 西岡 竹次郎
  倉成 庄八郎
  太田 理一
  佐保 畢雄
  新潟 山本 悌二郎
  松木  弘
  加藤 知正
  武田 徳三郎
  埼玉 宮崎  一
  高橋 泰雄
  横川 重次
  石坂 養平
  出井 兵吉
  群馬 中島 知久平
  篠原 義政
  木暮 武太夫
  千葉 川島 正次郎
  今井 健彦
  吉植 庄亮
  岩瀬  亮
  小高 長三郎
  茨城 葉梨 新五郎
  川崎 已之太郎
  大内 竹之助
  佐藤 洋之助
  栃木 船田  中
  江原 三郎
  坪山 徳弥
  松村 光三
  小平 重吉
  奈良 福井 甚三
  森  栄蔵
  三重 加藤 久米四郎
  馬岡 次郎
  浜地 文平
  浜田 国松
  愛知 樋口 善右衛門
  丹下 茂十郎
  小笠原 三九郎
  大口 喜六
  静岡 深沢 豊太郎
  山口 忠五郎
  宮本 雄一郎
  塩川 正蔵
  太田 正孝
  倉元 要一
  山梨 田辺 七六
  滋賀 森 幸太郎
  服部 岩吉
  岐阜 匹田 鋭吉
  大野 伴睦
  木村 作次郎
  牧野 良三
  長野 丸山 弁三郎
  羽田 武嗣郎
  植原 悦二郎
  宮城 床司 一郎
  宮沢 清作
  大石 倫治
  福島 菅野 善右衛門
  八田 宗吉
  助川 啓四郎
  岩手 田子 一民
  八角 三郎
  泉 国三郎
  松川 昌蔵
  志賀 和多利
  青森 小笠原 八十美
  工藤 十三雄
  山形 高橋 熊次郎
  西方 利馬
  松岡 俊三
  熊谷 直太
  秋田 中田 儀直
  小山田 義孝
  福井 猪野毛 利栄
  池田 七郎兵衛
  石川 箸本 太吉
  青山 憲三
  富山 高見 之通
  土倉 宗明
  鳥取 稲田 直道
  島根 高橋 円三郎
  島田 俊雄
  沖島 鎌三
  岡山 久山 知之
  岡田 忠彦
  行吉 角治
  犬養  健
  星島 二郎
  小谷 節夫
  広島 名川 侃一
  肥田 琢司
  宮沢  裕
  森田 福市
  山口 西川 貞一
  庄 晋太郎
  西村 茂生
  国光 五郎
  中野 治介
  和歌山 松山 常次郎
  木本 主一郎
  世耕 弘一
  徳島 生田 和平
  紅露  昭
  香川 宮脇 長吉
  三土 忠造
  松浦 伊平
  愛媛 大本 貞太郎
  河上 鉄太
  砂田 重政
  高畠 亀太郎
  高知 依光 好秋
  林  譲治
  福岡 原口 初太郎
  田尻 生五
  石井 徳久次
  野田 俊作
  鶴  惣市
  増永 元也
  大分 金光 庸夫
  小野  廉
  綾部 健太郎
  清瀬 規矩雄
  佐賀 田中 亮一
  藤生 安太郎
  一ノ瀬 俊民
  熊本 松野 鶴平
  木村 正義
  三善 信房
  坂田 道男
  小宮山 七十五郎
  宮崎 伊東 岩男
  鹿児島 井上 知治
  東郷  実
  寺田 市正
  岩元 栄次郎 
  永田 良吉
  沖縄 崎山 嗣朝
  盛島 明長
  北海道 板谷 順助
  東  武
  田代 正治
  南条 徳男
  木下 成太郎
  東条  貞
     
第1議員倶楽部    
〔国民同盟〕 兵庫 清瀬 一郎
  新潟 高岡 大輔
  大竹 貫一
  埼玉 野中 徹也
  愛知 鈴木 正吾
  山形 佐藤 啓
  熊本 安達 謙蔵
  石坂  繁
  伊豆 富人
  蔵原 敏捷
  沖縄 伊礼  肇
〔旧昭和会〕 大阪 井阪 豊光
  長崎 森  肇 
  群馬 青木 精一
  茨城 内田 信也
  飯村 五郎
  静岡 春名 成章
  宮城 守屋 栄夫
  福島 中野 寅吉
  福井 熊谷 五右衛門
  鳥取 豊田  収
  広島 岸田 正記
  望月 圭介
  永山 忠則
  山口 窪井 義道
  福岡 山崎 達之輔
  宮崎 陣  軍吉
  鹿児島 蔵園 三四郎
  金井 正夫
  北海道 林  路一
〔日本革新党〕 奈良 江藤 源九郎
  愛知 山崎 常吉
  福岡 小池 四郎
  北海道 赤松 克麿
〔無所属〕 東京 朴  春琴
  埼玉 坂本 宗太郎
  茨城 赤城 宗徳
  安藤 孝三
  山梨 平野 力三
  笠井 重治
  石川 長谷 長次
  岡山 玉野 知義
  山口 安部  寛 
  徳島 秋田  清
  香川 藤本 捨助
  福岡 簡牛 凡夫
  宮崎 曽木 重貴
  鹿児島 津崎 尚武
  北 勝太郎
     
社会大衆党 東京 河野  密
  安部 磯雄
  浅沼 稲次郎
  阿部 茂夫
  麻生  久
  三輪 寿壮
  鈴木 文治
  中村 高一
  京都 水谷 長三郎
  大阪 田万 清臣
  井上 良二
  塚本 重蔵
  川村 保太郎
  西尾 末広
  杉山 元治郎
  神奈川 岡崎  憲
  片山  哲
  兵庫 河上 丈太郎
  永江 一夫
  米窪 満亮
  河合 義一 
  新潟 三宅 正一
  埼玉 松永 義雄
  群馬 須永  好
  静岡 山崎 釼二
  岐阜 加藤 鐐造
  長野 野溝  勝
  宮城 菊地 養之輔
  秋田 川俣 清音
  岡山 黒田 寿男
  香川 前川 正一
  高知 佐竹 晴記
  福岡 松本 治一郎
  亀井 貫一郎
  田原 春次
  鹿児島 富吉 栄二
  東京 道家 斉一郎
  田川 大吉郎
  加藤 勘十
  大阪 池崎 忠孝
  三重 尾崎 行雄
  愛知 椎尾 弁匡
  山梨 今井 新造
  長野 小山  亮
  中原 謹司
  田中  耕
  和歌山 田渕 豊吉
  徳島 三木 武夫
  鹿児島 松方 幸次郎
     
東方会 長崎 馬場 元治
  愛知 杉浦 武雄
  滋賀 田中 養達
  岐阜 三田村 武夫
  青森 小野 謙一
  山形 木村 武雄
  山口 青木 作雄
  高知 大石  大
  福岡 中野 正剛
  宮崎 三浦 虎雄
  北海道 渡辺 泰邦
     
無所属 茨城 風見  章
  愛知 滝  正雄
  福島 星  一


なお、この議会の会期中、無所属の星一が政友会に入り、閉会時には政友会は175名となっている。



衆議院の状況

 蘆溝橋事件の拡大するなかで聞かれたこの議会は、 政党各派が政府の事件への対応を全面的に支持していたため、最初から波瀾のない議会となることが予想さ れた。「政府の施政方針演説に対する質問に於ても政民両党とも質問者は2名宛くらいとし質問の内容も施 政全般に対する抽象的事項並に財政経済問題にとどめ外交、軍事方面の諸問題に対しては時局に鑑み政府当局を支持鞭撻する立場から発言することとならう」(東 朝、7・22)とも報ぜられていた。

  7月27日、施政方針演説が終わると、「陸海軍将兵ニ対スル感謝決議」を全会一致で採択してから質問に移っているが、「北支事変」(蘆溝橋事件以後の状況がこう呼ばれた)については、「我軍ガ遂ニ自衛上支那軍ヲ膺懲スルノ行動ヲ執ルニ至リマシタコトハ、又已ムヲ得ヌコト」(小川郷太郎・民政)、「自街上適当ノ措置ヲ執ラザルベカラザルコトハ、是ハ自明ノ理デアリマス」 (安藤正純・政友)などと全面的に肯定したうえで、今後の対策如何が問われているが、政府側からは「我国ノ支那ニ求ムル所ハ領土ニアラズシテ提携デアリマス」 (近衛首相、以上速記録第3号)という程度の答弁しか得 られていない。しかし事件を「計画的武力抗日」の結果と断じた7日11日の政府声明の観点からいって、現地解決−不拡大−提携という政府の方針は実現可能なのかという疑問が出されてくるのは必然であった。 とくに右翼的小党派からは、蒋介石政権への一撃論が強く主張されるに至っている。

  例えば赤松克麿(日本革新党)は「今日ノ抗日意識ヲ支那四億ノ民衆ニ植付ケタ国民党政権ガ今日ノ一切ノ 禍根デアリ、抗日運動ノ震源地デアル」とし、「北支事変ノ解決モ、結局ハ抗日運動ノ策源地デアル所ノ国民党政権ニ対シテ断乎タル対策ヲ講ジナケレバ間ニ合ハナイ」と論じたし、また杉浦武雄(東方会)は「今度ノ事件ヲ現地的ニ解決シヨウト云フコトハ絶対ニ出来ルモノデハナイ」「政府ハ今ヤ本当ニ肚ヲ決メテ……支那全体ノ問題トシテ解決ヲ為サルル態度ヲ決メテ戴キタイ、此態度ガ一タビ決マリマスレバ、帝国一タビ意思ヲ決シテ起ツ時ニハ、北支ニ爆撃ヲ行フニアラズ、支那全部ニ向ツテ爆撃ヲ行フ、斯ウ云フ事ニナルノデハナイカ」「支那ヲ誤り導イタ現在ノ政権ヲ徹底的ニヤッツケテシマフ、此処マデ米ナケレバ、日本ノ国民ハ満足シナイ」(速記録第4号)などと叫んでいた。不拡大を唱えていた近衛内閣も、こうした拡大論を抑えるのに有効な政策を持ち合わせてはおらず、この議会終了後には、赤松や杉浦の主張が現実のものとなるので あった。

  この議会は形式的には総選挙にともなう特別会であったが、実際には「北支事変」処理のための臨時議会といった性格をもっていた。政府はまず事変のための経費として9600余万円の追加予算と、それをまかなうための公債発行法案を提出したが、28日以後の武力解決方針への転換にともない、さらに4億1千900余万円の追加予算を要求、この財源も主としては公債に求められたが、その一部は北支事件非常特別税(昭和て12・13年度で約1億円)によることとしそのための法案も提出されている。

  事変費以外の追加予算では、保健社会省設置のための経費が注目される。これは翌年厚生省と改称して正式に発足するものであるが、徴兵検査における体力の低下を憂慮した陸軍の強い要求にもとづくものであった。その設置大綱は7月9日の閣議で決定されているが、国民体位の向上と国民福祉の増進をはかるため、労働・社会・体力・衛生・医務の5局及び保健院を置き、これまで各省に分散していた業務を統合運営し、またこれに対応して道府県にも保健社全部を置くことが予定されていた。  

  法律案では、前議会で未成立に終わったものが中心 となっているが、人造石油製造事業法案、帝国燃料興業株式会社法案、製鉄事業法案、貿易組合法案、工業組合改正法案、貿易及関係産業ノ調整ニ関スル法律案、百貨店法案など、いずれも生産・流通過程に対して政府が介入する権限を強めようとするものであり、この議会ではこれらの法案と財政経済3原則とをからめて、経済統制の性格をめぐる論議がくり返しなされていた。 3原則に関連して新たに立案されたものとしては、金の政府への集中を強化し、対外決済力を豊富にしよう とする産金法案、日銀券などの発行準備にあてる金の評価を、時価に従って評価し直そうとする金準備評価法案などが提案されている。

  前議会で未成立に終わった法案としてはそのほか、 国民健康保険法案、農地法案、電力国家管理法案などがあるが、これらはねり直しのため、この議会への提案は見送られた。この議会では、政府提出法律恵35件のうち、成立34件に及び、政党の協力ぶりは顕著なものがあった。未成立に終わった一件は、陪審法改正案であるが、「陪審法改正案の不通過は、『共同被告人多数にして複雑なる場合』を陪審より除外せんとするその事が、反対といふよりも寧ろこの改正を必要とせしめた神奈川県の集団放火事件における人権蹂躙が、選挙違反事件に関する拷問問題などとからんで、司法権殊に検察機関に対する不信任が、事をここに至らしめた」(東朝、8・8)と評されていた。なお、この拷問問題に関しては、いずれも神奈川県から選出された平川松太郎(民政)、河野一郎(政友)が本会議で質疑を 行っている(速記録第7号参照)。            

(古屋哲夫)