『現代歴史学と教科書裁判』

1973年4月

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日ソ中立条約と教科書裁判


 

古屋 哲夫


はじめに
1 検定側の意図と方法
2 対ソ政策の転換
3 日ソ中立条約の締結過程
4 中立条約締結後の日ソ関係



はじめに


 教科書裁判の進行をみていると、その審理が進むにつれて、教科書検定の不法・不当性がいよいよ明らかに露呈されてきているように思われる。とくに、日ソ中立条約をめぐる問題は、裁判における具体的争点とされている3種6ヵ所の不合格処分のうちでも、検定側が「ソビエト連邦の提案に応じて」という文章を挿入させようとして記述内容に対する最も具体的かつ積極的介入をおこなっている箇所であり、それ故にそこでは検定の不法・不当性が最もわかりやすい形であらわれている。

  周知のように、検定処分取消訴訟第一審判決(1970年7月17日、杉本良吉裁判長)は、これらの具体的不合格処分が「思想(学問的見解)内容を事前に審査するものというべきであ」り、また「客観的に明白な誤りとはいえない、記述内容の当否に介入するもの」であると判断し、したがって、憲法第21条2項、教育基本法第10条に違反するとして処分取消 を命じたのであった。

  これに対して、この判決を不服として控訴した検定側は、「教科書検定は実質的に事前の許可たる性格のものと解するを相当とする」という一審判決に反対して「教科書検定の本質は教科書選定行為」であり、「執筆者・出版者に対する関係では本来非権力的な作用」であると主張する(昭和46年6月25日提出、検定側「準備書面」)。つまり、検定側は、検定を現場の学校での教科書選定─ここでも選定権が現場の教員の手を離れているという問題が重大であるが─と同質の行為だと強弁しようとしているのである。しかし、日ソ中立条約が「ソビエト連邦の提案に応じて」結ばれたと書かなければならない、そうしなければ教科書として使わせないような検定が、何で「選定行為」であり「非権力的な作用」なのであろうか。

  おそらく検定側も、このような無茶苦茶としか言いようのない主張が説得力をもつとは考えてはいまい。そして同時に現在の日本の裁判が、法律なり制度なりを抽象的に審理するものではないこと、つまりここでの問題で言えば、裁判はまず具体的検定処分のあり方を直接の争点とし、その検討を通じてはじめて検定制度の法的性格の問題に達することを心得ているに違いない。したがって検定側は、検定制度一般についての理論の薄弱さをカバーするためにも、「記述内容の当否への介入」としての不合格処分が学問的根拠をもつかどうかを裁判の主要な争点に押し上げざるを得なくなっているのである。控訴審において、大学教授に鑑定書の作成を依頼したことも、こうした検定側の意図を物語っていよう。

  それは一審判決の問題の立て方そのものへの挑戦にほかならない。つまり一審判決は、検定側の不合格処分の学問的根拠を問題にしているのではなく、検定が介入し得る範囲は「教科書の誤記・誤植その他の著者の学問的見解にかかわらない客観的に明白な誤り」に限定されるべきだと主張しているからである。検定側は、一方で検定は「選定行為」であり、「非権力的な作用」であるなどと唱えながら、他方では、一審判決の問題のとらえ方を逆転させて学問的根拠があれば、「記述内容の当否」に介入できるという原則を打ち立てようともくろんでいるのである。

  問題の本質がここにあることをわれわれはつねに忘れてはならない。しかし日本の裁判が現に前述のような形で進められている以上、われわれも検定側の主張する学問的根拠なるものに立ち入らないわけにはゆかない。本稿は検定側の日ソ中立条約をめぐる主張を検討し、教科書検定の性格を明らかにすることを目的とするものである。

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